弾丸少女の忘れ物
4月も下旬に差し掛かり、迫るゴールデンウィークに世間が浮き足立つ頃。
暖かな日を浴びながら家を出た俺は、学校へと足を向けた。
行ってきますと告げても返事など帰ってこようはずもない。
俺は一人で住むには大きすぎる家を見上げた。
俺の家は一軒家だ。
二階建ての小綺麗なものだが、特別大きいものでもない。
ただ一人暮らしには明らかに不釣り合いであった。
それもそのはず。
この家はかつて父が建てたものだからだ。
保険金やら国の補助金やらでローンは残っていない。
詳しくは知らないが父は生前、外交的な仕事をしていたようで、保険金はそれなりのものだったとか。
父の死後も俺と母が最低限生きていく事ができたのはそれのお陰だったのだろう。
まだ何もわからない子どもだった当時の俺は知る由もなかったが。
高校に入学した俺は、それまで暮らしていた孤児院を出てここに戻ってきた。
とっくに売り払われてでもいるのだろうと思っていたのだが、母のたっての願いという事で残されていたらしい。
あの状態の母がわざわざ願うほど、この家は大切なものだったという事だろう。
愛する夫が遺したものであり、幸せな家族の記憶がそこにはあった。
俺が戻ってくるまで、母の知り合い等がたまに掃除しに来てくれたりしていたらしい。
亜夜姉ぇや陽奈の母親などだ。
俺の母と亜夜姉ぇと陽奈の母親は昔からの知り合いであり、俺もずっとお世話になってきた。
俺自身、彼女達には一生かけても返せない恩があると思っている。
しかし、亜夜姉ぇはともかく、陽奈の母親に返せるものなどそもそもあるのだろうか。
そんなことを考えながら歩き出すと、家を出てすぐに話題の人に会った。
「あ、陽乃さん。おはようございます。」
お隣の一軒家に住む女性がゴミ出しをしていた。
その背に声をかけると、彼女は振り返って微笑んだ。
「あらー、吾郎君じゃない。おはよう。何だか久し振りねー?」
おっとり間延びした声の彼女は朝霧陽乃。
陽奈の母である。
亜夜姉ぇより幾つか歳上のはずだが、例によって若々しい容姿をしている。
流石に亜夜姉ぇほど若くは見えないが、その愛嬌のある顔立ちは我が幼馴染みの面影を感じた。
「そうですね、最近そっちには行ってませんでしたから。」
「陽奈がいつも寂しがってるわよー。たまにはいらっしゃーい。」
「はは…まぁそのうち行きますよ。」
必殺の愛想笑いを送る。
「それより、吾郎君は今から学校ー?」
「えぇそうです。陽奈はもう行きました?」
「もうとっくに行っちゃったわー。部活の朝練で毎日早起きするようになってねー。」
「張り切ってるんですね。」
「そうなのよー。でもおっちょこちょいは変わらないで、今日もお弁当を………あっ」
陽乃さんが言葉の途中で何かに気付いたような反応をした。
「どうかしました?」
「そうだ!お弁当……吾郎君、ちょっと待っててくれるー?」
「え、あ、はい。」
何だかわからないが一応返事をすると、パタパタと家の中へ戻って行った。
数十秒後、小さな紙袋を持って出てくる。
それを俺に差し出した。
「何ですかこれ?」
言いながら中を見る。
黄色の布で包まれた小包があった。
「それね、陽奈のお弁当なのー。あの子ったら慌てて出て行ったからお弁当忘れちゃってー。」
「あぁなるほど。これを陽奈に届ければ良いんですね?」
「悪いけどお願いできるかしらー?」
「勿論です。これくらいお安い御用ですよ。」
「ごめんなさいねー。助かっちゃったわー!」
「気にしないで下さい。…それじゃ行ってきます。」
「行ってらっしゃーい。………吾郎君!」
紙袋を持った俺は挨拶をして再び学校へ向け歩き出すが、すぐに後ろから声がかかった。
まだ何か忘れたものでもあるのかと思いつつ振り返る。
「どうしました?」
「陽奈のこと、よろしくねー!!」
ゆったりとした動きで手を振る陽乃さんに、俺は無言で頷いた。
陽奈のお世話をする、仲良くする。
そんな恩返しもあるのかね。
授業の合間で一年生の教室が集まっている三階へ向かう。
二年の教室は四階にあるから一つ下がるだけだ。
朝行っても良かったが、陽奈の朝練が何時に終わるかわからない為、後にしたのだ。
三階に着いて辺りを見渡す。
数人の生徒が廊下で話してていたり、移動教室であろう生徒達がゾロゾロと歩いたりしている。
学年は校内シューズの色でわかるのだが、現在二年生である事を表す緑色のラインが入ったシューズを見て、不思議そうに俺を見る者もいた。
「しまったな……そういえば陽奈がどのクラスなのか聞いてないぞ……」
虱潰しに見ていくしかないのかと辟易していると、見知った顔を見つけた。
図書委員で数回話した事のある生徒だ。
「おーい、高橋君!」
朴訥とした顔の高橋君は俺の呼びかけに足を止めた。
「はい…あ、燕昇司先輩じゃないですか。どうしました?」
「ちょっと聞きたい事があるんだ。一年生に朝霧陽奈という女子生徒がいるはずなんだが、知ってるか?」
「朝霧さん?………うーん、聞いたことあるような……」
少なくとも高橋君のクラスではないようだった。
高橋君が考えていると、一緒にいた男子生徒が声を上げた。
「あっ、俺知ってますよ!」
「お、ほんとか。」
「はい、部活が一緒なので……他に同じ名前の人がいなければですけど。」
「君の部活は?」
「空手部です。」
「なら間違いない。忘れ物を届けたいんだが、陽奈のクラスを知っているか?」
「朝霧なら1-Cだったはずですけど。……忘れ物?」
首を捻る彼に紙袋を軽く上げて見せる。
「弁当だってさ。陽奈の母親に頼まれて持ってきたんだ。」
「へ、へぇ………ちなみに先輩、朝霧とはどんなご関係で?」
何となく聞いている風に装っているが滅茶苦茶気になっているのがモロバレだ。
この青年は陽奈に惚れているのだろうか。
まぁ顔は良いし性格も良いから陽奈がモテるのも肯ける話だ。
アホだけど。
「幼馴染みだよ。幼稚園からのな。陽奈は妹みたいなもんだ。」
「そ、そっすか!」
わかりやすく明るくなる青年。
まぁどこぞの勘違い大学生(元陸上部員)と違って純朴そうな良い男だ。
もし陽奈を振り向かせられたら素直に祝福してやろう。
「っと…俺はそろそろ行くよ。教えてくれてありがとな。高橋君も、ありがとう。」
「とんでもないっす!」
「先輩、また委員会で。」
二人に手を振り、俺は1-Cへ向かった。
1-Cに着いた時、ちょうど教室へ入ろうとしていた女子生徒に声をかける。
「君、すまないがちょっと良いか?」
呼び止められた女子生徒は振り向き、俺が一年生でない事に気付いてやや緊張した顔をした。
「あ、あの、何か?」
「朝霧陽奈を呼んでくれないか?忘れ物を届けに来たんだ。」
「は、はぁ……ちょっと待ってて下さい。」
彼女は素直に頷き、中へ入って行った。
扉についたガラスから中を見る。
数人の生徒がチラチラとこちらを見ていた。
先程の女子生徒が歩く先を見ると、クラスメイトと談笑している陽奈がいた。
女子生徒が陽奈に伝えると、陽奈がこちらを向いた。
軽く手を上げると、陽奈は満面の笑みで勢いよく立ち上がり、猛ダッシュで向かってきた。
溜息を零しながら待ち構える。
予想通り、陽奈は猫科の猛獣のような動きで飛びかかってきた。
「吾郎兄ぃぃぃぃ!!」
「よっと………」
絶妙にいなして優しく受け止める。
いつものように頭に手を置き、呆れたように口を開いた。
「陽奈、何度も言っているが………」
「何で吾郎兄ぃがいるの!?陽奈に会いに来たの!?うぉっほほーい!!あ、おはよう吾郎兄ぃ!」
ミサイルタックルの次はマシンガントークだ。
最後に気付いたようにちゃんと挨拶するのが彼女らしい。
「おはよう陽奈。これを届けに来たんだが。」
紙袋を陽奈に渡す。
「ほぇ?これなに………あぁ!お弁当!!」
どうやら弁当を忘れた事にすら気付いていなかったらしい。
「持ってきてくれたんだね!……あれ、でも何で吾郎兄ぃが?」
「たまたま家の前で陽乃さんに会ってな。その時に頼まれたんだよ。」
「そうなんだ!わざわざありがとうね、吾郎兄ぃ!!」
ニカッと笑う。
思わずこちらも微笑みながら頭を撫でた。
すると、教室からドスドスと荒々しい足音が聞こえてきた。
「ちょっと陽奈!そうやってどこでもかんでも走ったら駄目って言ってるでしょ!!」
出てきたのはやや長めの黒髪を二つに結んだ少女。
背丈は陽奈より少し高いくらい。
細身で色白、だが華奢ではない。
陽奈とはまた違った種類の鍛えられた身体だ。
おそらく、何かスポーツでもしているのだろう。
平均より明らかに整った顔の中でも、やや鋭い猫目が特に印象的である。
「あ、朱里ちゃん!ごめんごめーん!」
陽奈の友達か。
「全くあんたって子は………それで、誰この人?」
腕を組んで訝しげに俺を見る少女。
礼儀を知っているとは言い難い。
「吾郎兄ぃは吾郎兄ぃだよ!陽奈のお兄ちゃん!!」
「え、あんた兄妹いたの!?」
陽奈の言葉に少女が驚く。
俺はまたもや溜息をついた。
「陽奈、いい加減な事を言うな。兄妹どころか親戚でもないだろう。…俺は二年の燕昇司吾郎、陽奈の幼馴染みだ。」
アホの子に任せておけず自己紹介をする。
「お、幼馴染み?ほんとに?」
「そーだよ!ずっと一緒にいるの!!」
「ふーん……?」
確認する少女の声に能天気な陽奈が答えた。
だが少女は怪しげに俺を見上げる。
ここはまず自己紹介を返すべきだろうに、少女は名乗る気配すら見せない。
「陽奈、この子は友達か?」
「あ、うん!同じクラスの朱里ちゃんだよ!この間仲良くなったの!!」
ということは高校からの知り合いか。
まだ入学して一ヶ月も経っていないのにこれほど仲良くなれるというのは流石だ。
「あ、えっと………南風原朱里です。」
気付いたように自己紹介をする。
だがこちらを見る目は変わらない。
「朱里ちゃんは水泳部なの!陽奈と一緒でスポーツ推薦なんだよ!!」
「ほう、それは凄いな。」
自分の事のように嬉しげな陽奈の頭を撫でる。
「いえ、別にそんな…………っていうか、それ何してるんですか?」
少女が半ば睨みつけるように見ている。
「……ん?」
首を傾げる。
途端に少女、南風原は怒り出した。
「ん?じゃないわよ!その手!女の子の頭をそんな何度も撫でるとか、何考えてんのよ!!」
敬語まで取れて、烈火の如く怒っている。
「ん、あぁこれか……何でそんなに怒っているんだ?」
ひとまず手を話しながら問いかける。
陽奈も首を傾げて不思議そうにしていた。
「い、いくら幼馴染みでもそんな事しないでしょ普通!?」
「そうなのか?」
「陽奈わかんなーい!」
二人して首を傾げる。
「まぁ世の幼馴染みはどうか知らんが、陽奈が嫌がってないなら良いんじゃないか?君に怒られる謂れはないと思うが。」
「なっ!!……あ、あんた陽奈の純粋な心に付け込むような真似してっ!!嫌がってるに決まってるじゃない!!」
つまりどういう事だってばよ。
「陽奈、嫌なのか?」
「ううん、ぜーんぜん!もっと撫でてー!!」
ニパッと笑う陽奈。
言われる通りに再度撫でる。
「っっ!!……陽奈!あんたもあんたよ!嫌なら嫌ってちゃんと言いなさい!!」
「だから別に嫌じゃないってー……朱里ちゃんどうしたの?ちょっとおかしいよ?」
不思議そうに、むしろ心配そうに首を傾げる陽奈。
「ほ、本気で言ってるの!?……陽奈、あんた前から思ってたけど人との距離が近すぎるわ!」
「えぇーそうかなぁ?」
「そうよ!あのね陽奈、抱きついたり頭を撫でたりは、普通の人にはしないのよ?」
「そんなの陽奈だってわかってるよぉ?」
「わかってないじゃない!そういうのは、特別な人にしかしないしさせないものなの!」
「だからわかってるってぇ……陽奈だって、こんなの吾郎兄ぃにしかしてもらいたいって思わないよ?」
「……え?」
南風原が固まった。
陽奈が誰にでもこういうのを許すから嫌がってないのだと思っていたのだろうか。
だが陽奈はそれを否定した。
「誰にでも頭撫でてもらいたくなんてないよ!吾郎兄ぃだから良いの!」
「えっと……それは、つまり………?」
南風原は混乱しているようだ。
「だって吾郎兄ぃは、陽奈にとって特別な人だもん!!」
胸を張ってそう宣う陽奈。
ミサイルタックル、マシンガントークときて、最後に核弾頭を投下した。
「最近変な奴に絡まれる事多くないか…?」
気のせいですぜ旦那




