月明かりに勝るは高潔なる意志
閉店作業を全て終えた俺と東大路先輩は、学校の制服に着替え帰宅の準備をした。
揃ってマスターと女将さんに挨拶をし、裏口から外へ出る。
ちなみに亜夜姉ぇと輝夜は今日は店に顔を出さなかった。
亜夜姉ぇと輝夜は店舗の隣の一軒家に住んでおり、店によらずに直接帰る日もある。
おそらく今日はそうだったのだろう。
チラッと亜夜姉ぇの家を見て、部屋に灯りがついているのを確認した。
隣でスクールバッグを肩に掛けている東大路先輩を見る。
「それじゃ帰りましょうか。東大路先輩も歩きですか?」
「ええ、そうですわよ。燕昇司さんも徒歩ですの?」
「はい、そうです。俺の家はあっちの…住宅街の方なんですけど、先輩は?」
「あら、私も一緒ですわ。途中まで一緒に行きましょう。」
そう言うと返事も待たずに歩み出す。
別段断る理由もない俺は無言で後を追った。
暫し無言で歩く。
隣を歩く先輩に目線を送ると、腰辺りまでの流麗な線を辿る金色の髪が、暗い闇の中でも神々しく輝いているように見えた。
思わず見惚れていると、視線に気付いた先輩がこちらを見る。
「どうかされましたか?」
「あ、いえ、すみません。……東大路先輩が徒歩で帰るのが、ちょっと意外だったので。」
心の内を悟られぬよう、話をそらす。
「意外…ですか?」
「東大路先輩ほどのお嬢様ともなると、車で送迎とかされるものかと……勝手な想像ですが。」
「ああ、そういう事でしたの。一年生の頃まではそうでしたわ。」
まじかよ。
凄いなお嬢様。
「ですが、二年生からはこうした私的な外出だけでなく、登下校等でも送迎を受ける事はできなくなりましたの。」
「それはまたどうして?」
「お父様からの命令……いえ、試練ですわ。」
「試練?」
「課題ともいえますわね。」
……どういう事だ?
先輩の言葉の意味がわからず首を捻る。
そんな俺を見て先輩が小さく笑った。
「私の生家である東大路家は、明治初期に組織された東商会を源流とする東大路財閥の家系ですわ。」
「えぇ、それは勿論知っています。」
先輩が足を止めて月を見上げた。
「東大路家は元を辿れば江戸幕府の頃より東に根付く土民ですが、それもただの下級武士の家に過ぎませんでしたわ。他の財閥に比べると歴史が浅く土台もない……そんな私達が何故これほどまでの権勢を誇っているのか。」
東大路先輩が胸に手を当て目を瞑る。
月明かりに照らされながら滔々と語るその姿は筆舌に尽くしがたいほど美しくて、思わず俺は無言で佇み聞き入ってしまう。
「その理由は、歴代当主が持つ能力にありますわ。」
「能力……ですか?」
「"先を見据える力"……あるいは"時勢を読み解く力"とでも言いましょうか。」
「未来予知のようなものでしょうか?」
訝しげな俺の視線に先輩は軽く笑った。
「ふふっ、そんなに格好の良いものではありませんわ。………そうですね、世間のニーズを把握する力、といえばわかりやすいでしょうか。」
「なるほど、そういう事でしたか。……それで、先輩の家の歴代当主はその力を持っている、と?」
「ええそうです。もっと正確に言えば、その力を持つ者こそが、東大路家の当主たりえるのですわ。」
つまり、当主だから力を持つのではなく、力を持つから当主になれるのだ、と。
「………しかし、それももう過去の話です。」
胸を張って誇らしげにしていた東大路先輩が、儚げな表情で軽く俯いた。
「どういう事です?」
「私達一族が誇りとしていたその特異な力は、既に失われてしまったのです。」
失われてしまった?
「私のお爺様の代には、時勢を読み解く力を持つ者は現れませんでした。ずっと続いていればたまにはこういう事もある……当時、一族の人間はそう考えたそうですわ。しかし………」
先輩の顔が悲痛に歪む。
「お父様の代でも、力を持つ者は現れませんでした。そして……私の代でも、未だにその兆候を見せる者は現れておりませんの。」
透き通るような碧眼が潤む。
「かつて東大路の名を世に知らしめた誇るべき力は、一族の手から零れ落ちてしまったのですわ。」
「………何故、その話を俺に?」
「……何故、でしょうね。私にもわかりません。今まで一族以外の者に話した事などありませんでしたのに。」
俺の問いかけに、先輩は細く美しい指で涙を拭いながらそう答えた。
「でも、……正確な理由は私にもまだわかりませんが………嬉しかったのかもしれません。」
意味がわからず首を傾げる。
「何がですか?」
「本日、貴方にお会いできた事がです。」
………ふむ。
いや、意味わからん。
「……俺、何かしました?」
「いえ、特別な事は何も。"何もしない"をしてくれました。」
「…すみません。俺にはわかりかねます。」
言葉の意図を読み取るのは人並みにできるつもりだが、意味がわからなすぎた。
しかし先輩は、そんな俺を見てまた微笑んだ。
「そんな貴方だからこそ、私は話せたのかもしれませんわね。」
「………?」
意味不明すぎてもはや言葉も出せない。
「燕昇司さん…貴方、私を"ただの学校の先輩"あるいは"ただのアルバイトの後輩"くらいにしか見ていませんでしょう?」
「まぁ……事実そのはずですが?」
「そうですわね。しかし、そうやって見てくれる方はあまりいませんのよ。同年代の、それも男性の方であれば特に。」
ようやく少しわかってきた気がする。
まぁ、東大路財閥のご令嬢でこれだけの美貌だ。
おまけに何でもそつなく……どころか完璧にこなす誰もが認める才女である。
色眼鏡で見る者が多くいて当然かもしれない。
「……私は常に"東大路家の娘"として見られてきました。それを嫌だと思った事はありませんわ。私は東大路の名に誇りを持っておりますし、その末裔として相応の評価を得る事が私の責務だと考えておりますの。」
……この人は、どこまで高貴で、誇り高い人なのだろう。
心の底から尊敬できる人だと、素直にそう思った。
「しかし私にだって個人の感情というものはありますわ。それは時として家の為に犠牲にしなければならないものであり、その覚悟もしております。」
悲しげに微笑む先輩。
こうして見ていると、完璧に見える…事実完璧に近い先輩にも、様々な表情があるのだと気付かされる。
「それでも、稀に考えるのです。もし私が東大路でなかったら……どのような人生を歩んでいたのだろう、と。」
遠い何かを見つめるように、届かないものに手を伸ばすように、優しく照らす月を見る。
「普通に学校へ通い、普通にお友達と遊び、普通にアルバイトをして、普通に毎日を送る………そんな人生もあるのかもしれない、なんて夢想するんですの。」
「……東大路先輩は、逃げたいと思った事はないんですか?」
それは俺なんかが聞いて良い事ではないのかもしれない。
それでも聞きたかった。
「……所詮、空想は空想ですわ。私は他の誰かにはなれませんし、その逆もまた然り。そして私は、私である事を後悔した事はありませんわ。」
「…そうですか。」
本当に……本当に強くて、そして美しい人だと思った。
「………そういえば、一つ聞いても良いですか?」
「何ですの?」
ちょっとした問答の後、俺達は再び帰路についていた。
「先輩は、どうしてバイトを始めたんですか?」
「あぁ……それは、お父様に与えられた試練だからですわ。」
「試練?……送迎の話の時にも、そんなことを言ってましたね。」
「……燕昇司さんは、私が一般の高校に通っている事を不思議に思いますか?」
「東大路先輩とは今日初めてお会いしたばかりですし、気にした事はありませんでしたが………言われてみればそうですね。」
「私も中学校までは上流階級の子女が集う学校に通っておりましたわ。」
やっぱりあるんだな、そういうの。
「しかし、高校は一般のものに通いたいと、一族の反対を押し切って訴えましたの。」
「何故わざわざそんな事を?」
「私という人間の可能性を拡げる為ですわ。」
「可能性を拡げる……ですか。」
「東大路家は一族の者全てが、いわゆる上品で高級な、貴族的な生活を享受しておりますわ。それを否定するつもりはありません。祖先が作り上げたものの恩恵を受け、そしてまた子孫に還元する。こうして今の私達があるのですから。」
「しかし、先輩の考えは違う、と?」
「一族皆がそうである必要はない、と考えています。いえ、むしろ全てがそうであれば、それはただの停滞に他ならないのですわ。」
「……まぁ、先輩の言わんとすることはわかりますが。」
「停滞した環境では固定化された価値観しか生まれませんわ。それでは多様化する世界に、時代に取り残されてしまいます。私達が真に先を目指すのならば、時代に追いつくのではなく、時代を作らなければならないのです。」
「かつて、先輩の祖先がそうしてきたように…ですか?」
少し前を歩いていた先輩が振り返り、嬉しそうに微笑んだ。
「やはり貴方は素晴らしいですわ、燕昇司さん。……その通り、私達は旧態依然とした形を変化させ、前に進むべきなのです。」
「今の東大路家は、形骸化しつつあるという事ですか?」
「悔しいですけれど、その通りですわ。皆が気付いていない、あるいは目をそらそうとしている事実。そしてそれが、一族の力を失った原因であると私は考えているのです。」
「"時勢を読み解く力"ですか?」
「ええ、そうですわ。時勢とは即ち、その時代における潮の流れ。かつては持っていたはずの、先へ進む覚悟、己の価値観を捨てる勇気、そうして手に入れる広い視野……そういったものを無くしてしまったからこそ、力を失ってしまったというのが私の見解ですわ。」
「……なるほど。」
「こうして言葉で言うのは簡単ですわ。しかし、言葉だけでは大人は動きません。それを証明する為に私は………」
「それまでの環境を捨て、一般人の世界にきたわけですね。」
「………しかし、一族の者達はもちろん、父でさえも強く反対しましたわ。」
「それでも許されたから、こうして通っているんですよね?」
「そうですわ。……しかし、無条件ではありませんでしたけれど。」
「何かしらの条件を出された訳ですね。」
東大路先輩がゆっくりと頷く。
「その条件とは?」
「……半年に一度、父から与えられる試練を達成し続ける事ですわ。」
試練。
「達成し続ける?」
「一度与えられた試練は、次の試練が与えられても継続するのですわ。」
「今回のバイトも……」
「ええ、自らの稼いだお金で生活する事。それが今回与えられた試練ですの。アルバイトは卒業まで続けますわ。……とは言っても、マンションは既に父が購入した部屋を与えられておりますから家賃はかかりませんし、水道光熱費と食費くらいのものですけれど。」
「ちなみに先輩、家事とかできるんですか?」
「去年からしておりますわ。最初は何もできず酷いものでしたけれど、やってみると何とかなるものですわね。」
それができるのは先輩だからだろう。
流石の才女っぷりである。
「他にはどんな試練があったんですか?」
「一番最初に与えられた試練は、定期試験において総合一位を取る事でしたわ。」
つまり、先輩は入学から卒業まで一度たりともトップから落ちる事が許されないのか。
「その次の試練は、半年間で50人以上の方と連絡先を交換する事ですわ。それ専用の番号を与えられましたの。」
人脈を拡げるというやつか。
俺には無理だな。
「二年生になってから与えられた試練は、一人暮らしをする事と生徒会長になる事でしたわ。それまでも今のマンションに住んでいたのですけれど、家事は使用人がしておりましたの。」
生徒会長になったのは父親の依頼だったのか。
「そして今回ですわ。初めてのアルバイトで緊張と不安で胸がいっぱいでしたけれど………ふふっ、父に感謝しなければなりませんわね。」
「感謝ですか?」
「父の試練がなければアルバイトなどきっとしていませんでしたわ。そして、貴方にお会いする事もなかった……。」
「……そうですか。」
面と向かって言われると流石にくるものがあるな。
思わず目をそらしつつ、照れ隠しのように言葉を紡ぐ。
「……そういえば、さっき一族の方々に証明するって言ってましたが……」
「ええ、確かに言いましたわ。」
「具体的には、どうやって?」
「あら、簡単な話ですわ。旧態依然とした価値観が原因で力を失った、というのが私の考えですもの。ならば、多様な価値観を持てば力が発現するというのが逆説として立ちますわ。」
「そんな無茶苦茶な………確証もないし、力を発現するのが先輩だとは限らないんじゃ……?」
「いえ、私以外にはあり得ませんわ!」
俺の疑問を跳ね除けるように、あるいは断ち切るように、先輩は腕を組んで仁王立ちをする。
豊満な胸が組まれた腕に乗り、強く主張する。
いつもなら思わず目が引き寄せられるところだが、この時ばかりは先輩の瞳から目を離す事ができなかった。
「力に目覚めるのは、東大路の頂点に立つのは、私しかいません。何故なら私は………」
何故なら先輩の瞳が………
「東大路青藍なのですから!!」
夜空に浮かぶ月より美しく、輝いていたから。
わがままな高飛車お嬢様にするはずだったのに………
どうしてこうなった




