高貴なる姫カット先輩
見慣れた裏口の扉を開けると、中から芳しいコーヒーの香りが漂ってきた。
芳醇な香りを楽しみながら控え室代わりの一室へ進み、荷物を置いて『十六夜』の制服に着替える。
細身の黒パンツと清潔感のある白のシャツ。
マスターや亜夜姉ぇ達のようなホールスタッフはこれに茶色の腰エプロンをつけるが、俺や女将さんのようなキッチンに立つ可能性のあるスタッフは普通に胸当てのエプロンを着ている。
胸当てエプロンの色は紺色だ。
俺にいたってはほぼキッチン固定なので、毛髪混入防止の為に普段は視界の半分を覆っている前髪をかき上げ、茶色のベレー帽を被っている。
ザ・洒落たカフェ店員装備でキッチンへ向かうと、洗い場で女将さんが食器を洗っていた。
「お疲れ様です、女将さん。」
声をかけると女将さんはいつもの和みスマイルで挨拶を返してきた。
「あらゴローちゃん、お疲れ様。学校はどうだった?」
「いつも通りですよ。特に何もありませんでした。」
昼食中に佐藤の変顔を見た山田が吹き出し、被害者の田中が激おこぷんぷん丸になるという珍事はあったものの、それを女将さんに言っても仕方ないだろう。
「そう。クラスにはもう馴染めた?」
「そこそこ、ですね。今のクラスになってもう二週間が経ちますし、それなりに話す奴らもできましたよ。」
主に名前詐欺衆だが、その三人の知り合いだったりで数人のクラスメイトと接する機会は何度かあった。
「それは良かったわね。去年のクラスではあまりお友達もできなかったみたいだし、ちょっと心配してたの。ごめんなさいね。」
「いや、謝られるような事じゃないですよ。去年は…まぁ、確かにあまり学校で何かした記憶もないですけど。」
去年は学校外で様々な出会いや出来事があったり、委員会で先輩から振り回されたりしていた為、クラスメイトに目を向ける暇はあまりなかった気がする。
「今度、ゴローちゃんのお友達を連れてきてちょうだい。」
「そう…ですね。機会があれば、いつか連れてきたいと思います。」
「ええ、待ってるわ。」
暫し女将さんと談笑していると、マスターがキッチンに顔を出した。
「やぁゴロー君、来てたんだね。お疲れ様。」
「あ、お疲れ様ですマスター。すみません、挨拶が遅れました。」
「いや、構わないよ。どうせ暇な老人にでも捕まったんだろう?」
「あら、暇な老人でごめんなさいね。私と違ってお忙しい老人の貴方にはクッキーでも焼いていただきましょうか?」
「おいおい勘弁してくれ。私がその手のに向かないのはお前が一番よく知っているだろう。」
「知りませんわ。」
そっぽを向くようにホールへ向かう女将さん。
しかし穏やかな笑みは崩れず、二人の会話が冗談であることを表している。
良いよな、こういう関係。
「やれやれ、参ったな。という訳でゴロー君。来て早々で悪いが、クッキーを焼いてくれるかな?」
いいともー。
「了解です。他には何かいります?」
「そうだね……何かすぐにできそうなものはあるかい?」
「カップケーキかマフィンくらいなら30分もあればできますけど?」
「カップケーキはプレーンかい?」
「ホイップと果物くらいなら乗せられますよ。」
「ならそれをお願いするよ。幾つか適当に頼むね。」
いいともー。
「わかりました。」
マスターがホールへ行き、俺はシャツの袖をまくる。
「よし、手っ取り早く行きますか。」
クッキーとカップケーキ作りに入って15分弱。
俺が先程入ってきた裏口が開く音が聞こえた。
「誰だ?」
マスターと女将さんはホールにいる。
亜夜姉ぇはお出かけのため今日は休みらしい。
そのまま輝夜を迎えに行って帰ってくると聞いている。
まだまだそんな時間ではないので亜夜姉ぇでもないだろう。
不思議に思って裏口の方を見に行く。
そこには、俺の通っている高校の制服を着た女子生徒が立っていた。
高い身長にスラッとした手足。
しかしただ細いだけではなく、むちっとした柔らかそうな肢体からは"男"の本能をくすぐる"女"の色香が溢れ出ていた。
やや短めのスカートから覗く太ももは、女の身体を見慣れている俺でも思わず目を引き寄せられる。
さらに細身なのにもかかわらず制服の胸部を押し上げる母性の象徴。
おまけにモデル並みなのはスタイルだけではなく、その容貌もである。
女性ならば誰もが羨むであろう小顔に外国人風の美貌、透き通る碧眼。
突然現れた俺を見て浮かべているキョトンとした表情が、完璧すぎる彼女の容姿に少女らしい可愛さまでトッピングしていた。
そして最も目を引くのはその髪。
美しく輝くプラチナブランドの髪は腰まで届きそうなスーパーロング。
さらに姫カットというおそろしく人を選びそうな髪型が、彼女の持つ華やかで高貴な雰囲気にこれ以上ないほどマッチしていた。
「……えっと………」
思わず数秒ほど見惚れていたが、黙っていても仕方ないと口を開く。
「初めまして?」
とりあえず初見の挨拶。
会った事ないよな?
ないはず。
ない………と思う。
数日前の北嘉多玄絵ことクロエとの一件から、やや不安になりつつ、こんな女子生徒に会ってたら忘れる訳がないと考える。
「あ、は、初めましてですわ!私、本日よりこちらでアルバイトをさせていただく、東大路青藍と申しますの!」
俺の挨拶にはっとした女子生徒、東大路さんが焦りながらも丁寧に頭を下げた。
その美麗な仕草からはごく自然な高貴さを感じた。
一朝一夕で身につけたものではない。
そこまで考えたところで、去年風紀委員会の先輩から聞いた事を思い出した。
先輩の学年には、日本でも有数の財閥のご令嬢がいるのだとか。
おまけにその生徒は入学時から全ての定期試験で総合一位を取り続けている才女で、二年生に上がってからは生徒会長にまでなったという。
東大路財閥といえば、国内ではトップクラスの大富豪だと言われている。
彼女の名前から考えると、おそらくこの女性が先輩の言っていた才女で間違いないだろう。
「俺は燕昇司吾郎といいます。ここでバイトをしていますが、東大路さんと同じ高校の二年生です。」
「まぁ!アルバイトの方でしたのね!それなら貴方はこちらでは先輩ですが、学校では私の後輩という事になりますのね?」
「そういう事になります。えっと…東大路先輩?」
「何ですの?」
「先輩は今日からここに?」
「そうですわ。本日が初めての出勤で、私ワクワクしておりますの!」
胸を押さえて目をキラキラさせる東大路先輩。
話し方や所作はお嬢様のそれだが、性格的には明るくて好奇心が強いのかもしれない。
「とりあえず店の人を呼んでくるので、こっちで待っててもらっても良いですか?」
「勿論ですわ。わざわざ案内していただいて感謝致しますわ。」
荷物を置いている部屋にひとまず案内し、マスターか女将さんを呼びに向かった。
女将さんが東大路先輩の方へ向かい、俺は途中にしていた作業を再開する。
クッキーはもうじき焼き上がる。
次に焼くカップケーキの生地を手早く型に入れていく。
しっかり焼けて芳醇なバターの香りがするクッキーを取り出し、冷ましている間に生地を入れたカップをオーブンで焼く。
並行してホイップ作りと果物のカットを行う。
カットした果物をパットに入れて冷蔵庫へ、ホイップは絞り袋に入れてしっかりと口を塞ぎ、さらに密閉シートに入れて冷凍庫へ保管する。
そんな事をしている間にカップケーキが焼き上がる。
オーブンを開けると、クッキーとはまた違う甘い香りが漂ってきた。
我ながらなかなかの出来であると自画自賛しつつ頷いていると、裏の方から足音が聞こえてきた。
足音は二人分。
女将さんと東大路先輩で間違いないだろう。
数秒後、現れたのは和やかに笑う女将さんと店の制服に着替えた東大路先輩であった。
東大路先輩はニコニコ……いや、ニヤニヤしながら腰に巻いた茶色のエプロンを触っている。
また、その美しい金色の長髪は高めの位置でポニーテールにしてある。
幼馴染である陽奈のちょこんとした小さなテールではなく、これぞポニテであるぞと言わんばかりにフリフリと揺れている。
「あぁ、とっても良い香りが致しますわ!これは貴方がお作りになったのかしら?」
焼き立てのクッキーとカップケーキを見てその大きなブルーアイズをいっそうキラキラさせる東大路先輩。
先輩も女の子らしく、甘いものが好きなのだろうか?
「ええ、そうですよ。」
「素晴らしい腕前ですわね!この香りだけで、こちらの焼き菓子がいかに美味しいかが伝わって参りますわ!」
「ゴローちゃんはうちのお店の調理担当なのよ。ゴローちゃんのお菓子はとっても美味しいの。」
女将さんが微笑みながら褒めそやす。
「やめて下さいよ女将さん。そんな大したものでもないです。」
「そんなことありませんわ!!」
首を振って否定する俺に、東大路先輩がグッと詰め寄った。
「美味しいお菓子は見ればわかるものですわ!貴方のお菓子は一目で私の心を掴んでみせましたのよ!私の目に狂いはございませんの!」
「は、はぁ…ありがとうございます。」
亜夜姉ぇや陽奈とはまた違う押しの強さ。
絶対的な自負から生じる気持ちの強さである。
「えっと、良かったら食べてみますか?」
「宜しいのですか!?」
俺の提案にさらに身を乗り出す東大路先輩。
もはやその目はキラキラを通り越してギラギラと燃えていた。
「大丈夫だと思いますけど……良いですよね、女将さん?ちょっと多めに作ってたんですけど。」
輝夜が帰ってきたらあげようかと思っていたが、欲しがったらまた作れば良い話だ。
「構わないわよ。セーラちゃんも今日から私達の仲間になるのだし、ゴローちゃんのお菓子の味を知っておいた方が良いわ。」
セーラちゃん……まぁ見るからに異国の血が入っている東大路先輩には合っているかもしれない。
「ありがとうございますわ!それでは早速……」
「あ、クッキーから食べて下さい。カップケーキはまだ仕上げがあるので。」
「承知致しましたわ!それでは………っ!?お、美味しいですわ!絶妙な水分量でサックサク!サックサクですわー!!」
過剰に反応してみせてくれる東大路先輩を尻目に、俺は先程保管したばかりのホイップと果物を取り出し、カップケーキの上に盛り付けた。
カップケーキの熱でホイップが溶けないよう手早く盛り、東大路先輩へ差し出す。
「どうぞ、果物は適当に乗せたので、苦手なものがあれば取って下さい。ホイップが溶けるので、お早めに召し上がれ。」
「取り除くなんてとんでもない!果物は全て大好きですのよ!」
そう言いつつ忠告通り急いで、しかし品良くカップケーキを食べる。
もぐもぐと小さな口で食し、カッと目を見開いた。
「こ、これも大変美味ですわ!!甘さ控えめのホイップとほんのり優しい甘さのケーキ!そして引き立つ果物の酸味!!……貴方、燕昇司さんと仰いましたわね!何者ですの!?」
「いや、別に何者でもないですけど……。東大路先輩なら、もっと美味しいお菓子だっていっぱい知ってるでしょうに。」
客観的に味わって、俺の作るお菓子は結構美味しい、くらいのものだ。
マスターが俺の要望通りに材料を仕入れてくれる為、コストの許す限り良い素材を使い、もちろん俺も色々と工夫してはいる。
だが、金さえ払えばもっと旨いお菓子はいくらでもある、というのが俺の率直な意見であった。
「確かに私はもっと高級で美味しいお菓子を何度も食べた事がありますわ。でも、貴方のお菓子は暖かかったのですわ。」
「それは焼き立てだからでは?」
「違いますわ。温度のお話ではありませんの。このお菓子からは、美味しいものを食べさせてあげたいという、貴方の純粋で高潔な暖かい心を感じられるのですわ。」
純粋で高潔?
え、誰の何が?
「一般の方にはわかりにくいかもしれません。しかし私にはわかりますわ!このお菓子に込められた、貴方の優しい心が!誰かを想って作るお菓子は、ただ美味しく作ったお菓子を凌駕するのですわ!」
その瞬間、俺の脳裏にかつての母の笑顔が浮かんだ。
「誰かを想って……か。」
「貴方が誰を想ってこのお菓子を作ったのかはわかりませんわ。しかし、たとえその相手でなくとも、心の暖かさはわかる人にはわかるものですわ。そう、この私のように!!」
豊満な胸に手を当て、オペラでも歌っているかのように悦に浸る東大路先輩。
言っている事はわかるようで俺にはわからなかったが、女将さんは先輩の後ろでいつもよりさらに優しい笑顔を浮かべていた。
「さて、今日はここまでにしようか。ゴロー君、セーラちゃんに閉店作業を教えてあげてくれるかな?」
いいともー。
「了解です。東大路先輩、まずは扉にかけてある板を『OPEN』から『CLOSE』へ変えましょう。」
「承知致しましたわ!」
東大路先輩は初日という事もあり、注文受けや会計は行わず配膳や洗い物などに専念していた。
そして今日も『十六夜』は閉店を迎える。
閉店作業の手が増えるのは大歓迎だ。
帰りが早くなるからな。
閉店作業の中でも特に時間を取られる掃除について教えていく。
あっという間に時間が経ち、閉店作業は終了した。
キッチンの清掃は基本的に俺の仕事だが、今日は女将さんが代わってくれたようだった。
外を見ると、空はすっかり暗くなっている。
「今日は遅くまですまなかったね、二人とも。」
エプロンを外しながらマスターがそう言った。
「いえ、俺は別に。」
「こ、こちらこそ申し訳ございませんですわ。私に教える為に時間がかかってしまって……」
東大路先輩が申し訳なさそうに俯く。
華やかな見た目に反して真面目な人だな。
「……東大路先輩、最初は誰だって知らない事だらけなんですから仕方ないですよ。むしろこんな短時間で色々覚えてくれたので助かってます。」
「そうだよセーラちゃん。君は飲み込みがとても早いと妻も褒めていた。すぐに慣れてくるさ。」
「マスター、燕昇司さん………お二人とも、ありがとうございます。今後とも宜しくお願い致しますですわ!!」
その笑顔は、煌びやかな容姿に負けないほど可憐で、輝いていた。
いいともーですわ!




