悪役令嬢日記
○月△日
父と王宮に招集され、第二王子と婚約することになったと告げられた。
挨拶しようと頭を下げた途端、
「このちんちくりんが俺の婚約者?冗談じゃない」
そう言って髪を強く引っ張られた。その時私の十歳の誕生日記念に作っていただいた髪飾りが外れて落ち、宝石が幾つか外れて無くなってしまった。後で国王陛下からは謝罪頂いたが、本人からは謝罪も弁償もなかった。というか謝罪どころか、
「どうせクズみたいな石だろ。それなのに俺から巻き上げようなんてどういう性根なんだか」
悪びれずそう言われた時はヒールで踏みつけてやろうかと思ったが、絶対不敬だと騒ぐと思ったので仕方なく我慢した。
◻月×日
婚約後、互いの交流の為に月に一度王宮で茶会に招かれると決められた為参内したのだが、何故か待ち構えていたらしい王子に、庭園の入り口で絡まれた。
「ブスの癖に随分とめかし込んでるじゃないか似合わないのに。ドレスもデザイナーも可哀想だなこんなやつに着られて」
言い返すと怒鳴りちらすので愛想笑いしながら通りすぎようとした瞬間、足を出され転ばされた。怪我こそなかったものの、せっかく用意したドレスは草まみれになってしまった。
「あー、悪い悪い。俺の足が長いのが悪いよなあはは」
そう全く感情のこもっていない謝罪を残して王子は去っていった。茶会の相手が消えたので仕方なく家に帰った。いつか洗濯代を請求したいのでここに書き記しておく。
◇月●日
我が家に約束も先ぶれもなく、突然王子がやってきた。私は家庭教師から出された課題に取り組んでいるところだったので、着替えと髪を直す間応接室で少しの間待ってもらうよう侍女に頼んだが、不機嫌そうな顔で勝手に部屋へやってきて、
「俺を待たせるなんてどういうつもりだ。どれだけ勉強したって馬鹿は馬鹿なんだから時間の無駄だ」
そう言って、書きかけだった課題の用紙を手に取りびりびりと細かく破ったかと思うと、フンと鼻を鳴らして帰っていった。わざわざ婚約者の家まで手ぶらでやって来て勝手に怒って帰っていって、何をしに来たのか全く不明だ。
◼月×日
行きたくないけれど、決められた以上仕方ないので、今日も王宮へ向かう。馬車の中で思わず溜め息を吐くと、いつもなら淑女らしからぬと叱るメイドが、なにも言わないどころか私に見えないように身体の向きを変えてそっと目頭を押さえているのに気が付いた。ごめんなさい、心配かけて。
茶会ではいつもの様に一方的な自慢話と私に対する嘲りに、うっかり木で鼻をくくったような対応した私に王子は突然紅茶のカップを手に取り、中身を私に向けてぶちまけ、大声で怒鳴り散らしながら立ち去った。今回の洗濯代もいずれ請求したいと思う。
▲月×日
珍しくにこにこしながら近づいて来る王子に、嫌な予感で一杯だったのだが、案の定そばまでやって来た王子は私が胸に付けていたブローチを無理やり外すと、
「こんな安物、俺の婚約者とあろうものが付けてるなんて恥だ!」
そう言って王子はブローチを床に叩きつけ、足で踏み潰した。カメオが無惨にも修復不可能なほどまで粉々に砕け散ってしまい、流石の私もショックで暫く立ち上がれなかった。お母様が亡くなる少し前に頂いた大切な形見の品だったのに。婚約してから初めて一晩泣き明かした。
☆月★日
いつもの様に先ぶれなく我が家へやって来た王子に無理矢理連れ出され、王宮の脇にある森へとやって来た。むっつりとした顔で歩く王子の後ろからやや早足で付いていくと、池のほとりで突然王子が、
「うっ、めまいがー」
完全な棒読みで呻きながら、後ろの私に倒れ込みつつ私を池へと突き飛ばした。外出着とはいえ流石に服を着たまま池に落ちた上に丁度やや深い場所だったのか足がぎりぎりつかずパニックになる私を見て王子は心配するどころかニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべていた。離れてついてきていた護衛騎士に助けてもらうまでの間少し水を飲んでしまい、その日の夜は久しぶりに熱を出して寝込んだ。
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ホールの中央にただ一人立つ令嬢が手に持つ書物を読み上げるにつれて、先程まではざわついていた夜会の会場が、しんと静まる。
「わたくしがそちらの令嬢に対して行った仕打ちとやらは、罵詈雑言を浴びせる、教科書を破く、紅茶をドレスにかける、形見の品を盗んで壊す、階段から突き落とす……でしたわよね?あらいやだわ、殿下と婚約してからのこの五年間で私が受けた苦痛ととおっっっても似ているじゃありませんこと?」
「なっ、なんなんだそれは!?」
ホールに一段高くあつらえられた壇上から、中央に一人佇む令嬢に対し婚約破棄を宣言し、意気揚々と糾弾していた王子とその取り巻き+αは、突然近くにいたメイドに持ってこさせた書物を読み上げだした令嬢の言葉に顔を赤らめいきり立ち、怒声をあげた。
「何……って、日記(一部抜粋)ですわ」
「に、日記!?」
「殿下と婚約した日から、この学園を卒業する日までの間に殿下との関係が改善されなければ、この日記を持って国王陛下に婚約解消を願い出ようと、ずっと書き溜めておりましたの」
ざわざわと周りで様子をうかがっていた学園の生徒たちが、令嬢の言葉に声を失い、再びホールがシンと静まり返る。王子が婚約者である侯爵令嬢に対して冷たい態度をとっていることは皆知っていたが、まさかのモラハラパワハラ三昧。あげくに騎士が付いていたとはいえ池に突き落とすなど、殺人未遂と言われてもおかしくない行動。王子の求心力は垂直降下の一途だ。
「ああ、勿論そちらのご令嬢の言い分と違って、わたくしの日記に書かれていること全て、正当な証人による証言が御座いますわ。わたくしが殿下と婚約してより近衛騎士団から一名、王宮メイドより二名派遣された『護衛』が常時ついておりますもの。先程の日記の件も、三名の内の誰かが必ず目撃しておりますわ」
三名は『護衛』として令嬢の側に派遣されているが、最大の任務は『監視』である。癒着や贔屓が無いように定期的に人員を交代し、王族に嫁ぐのに相応しいかを昼夜を問わず常に見張り、その行動に問題があれば直ぐ様騎士団、王宮メイド長から宰相経由で国王陛下へと報告される。
「そして、それはわたくしが先程殿下が仰った罪とやらを行ってはいない厳格な証拠でもありますわ。それでもお疑いなら宰相閣下にご確認下さいませ。間違いなくわたくしの身の潔白を証明して下さいますわ」
王太子のあげた罪はあくまで自称被害者の証言のみで、物的証拠どころか他者の証言すらない。しかし加害者と断定された令嬢には、確たる他者の証言が存在する。比べればどちらが正しいか、自明の理である。
「わたくしこれでも怒っておりますのよ。婚約破棄などというセンシティブな問題を、この様な大勢の皆様の前で宣言なさったりするのですもの。うっかり自分の日記を読み上げてしまいましたわ。もともとこちらから解消を申し出るつもりでしたから願ったり叶ったりですけど、破棄された後のわたくしの婚姻が難しくなるのは困りますもの」
うっかりで済む問題ではないが、反論するのは当然だろう。王族から婚約破棄された令嬢に、今後良縁を望むのは難しいかもしれない。もっとも、人前で恥をかかせたということで、慰謝料を洗濯代込みでたっぷりと請求するつもりだが。
「だっ、誰か人を使ってやらせたんだろう。侯爵令嬢の権力を使って!」
「先程そちらの令嬢は確かにわたくしがやったと申されませんでした?それにわたくしが誰かに命じるなど出来ると思いますの?常に『護衛』がついておりますのに。あくまで誰かに命じてとおっしゃるなら、きちんと共犯者に関しても証言を下さいませ。ああそれと、お忘れの様ですが勿論『護衛』が付けられているのはわたくしだけでは御座いません。すぐに王宮から沙汰があると思います。それまでにたっぷりと御覚悟をされるとよろしいですわ」
端正な顔を青ざめさせた王子と取り巻き+αに向かって、侯爵令嬢はニコリと誰もが見惚れるような柔和な微笑みを返した。