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イエス・キリストの勝利
だれがうれしそうにさせているのか?キリストであるイエスは自分に敵対する相手の力を使って自らの行いを成就させるということに長けている。別に悪いことをしていないのに極刑である十字架刑の判決を受けるのは難しいが、パリサイ人とローマ総督ピラトの力を使ってこれに成功する。自らの使命は自ら犠牲になって世の罪を取り除くことであるが、これを敵の力によって「完了」(ヨハネの福音書19:30)させるのである。
ローマ帝国は初期キリスト教徒にとっては敵だったし、商業主義はキリスト教の腐敗形態に過ぎないが、これら敵を用いて子供をうれしそうにさせる。ある意味巧妙なイエス・キリストの贈り物のように思われ、面白い。
だが、私は相変わらず降誕節の商業化は嫌っている。よって、本文中引用以外「×××××」とは言わないことにした。この方が記号としては消費しにくいだろう、というささやかな抵抗である。