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子どもがうれしそうなのである
もう一度繰り返して言うが、「子どもがうれしそうなのである」。
もとより、宗教音痴にしてキリスト教差別者の日本人にはなかった風習だし、もともとだって、イエスの生年月日とは関係もなく後世の者が勝手につけた日付の勝手な風習である。だが、もう一度繰り返すが
「子どもがうれしそうなのである」。
イエスという神の子を自称する男が惨めに十字架上で果て、2000年。エルサレムから一体何キロ離れているかという、キリスト教差別の国でもこのイエスという男は誠に不思議なことに、多くの、ウンカのごとく多くの子供たちをうれしそうにさせているのである。「ほおばる」というほどの量もないケーキであったが、眼前の小さな女の子はうれしそうに、ニコニコとしている。
こういう時ほど至極単純に、それでいて強烈に「やはりイエスは神の子であったか」の念が脳髄を直撃するときは無い。ローマ帝国はほろんだ。だが、イエスという男を神の子と信じる者は2018年でも後を絶たない。そして
「子どもがうれしそうなのである」。