聖夜?
それ以降、日本では降誕節がキリスト教系の学校を拠点として広まり、商店主たちの商業主義がそれに乗っかる形でますます広まっていく。
だが、これを以て日本におけるキリスト教の受容となすのは早計で、同時代にキリスト者が迫害・殺害されるという事態には枚挙にいとまがない。
明治中期の降誕節を内田魯庵は以下のように伝える。
切支丹の夢が冷めきれない日本では兎角に基督教が異端扱ひされて、耶蘇と言うと舶来の穢多(原文ママ。差別用語であるが、当時の時代風景を忠実に伝えるため原文のまま引用する――児島注)のやうに毛嫌ひされる。其の中でクリスマスだけは不思議に人気を集めて信者でない方面にまでも流行して来た。パパさんママさんと児供に呼ばせる家庭では聖誕を祝して忙しい歳暮にノンビリの春の魁けを味はせる(内田魯庵,1922『バクダン』春秋社)。
そもそもキリストであるイエスの生年月日などどこにも書いてない。降誕節は後年のローマ帝国国教化以後の規定によるものである。むしろ聖書では以下のように書いてあるから、イエスの降誕はもっと暖かい季節であった可能性のほうが高い。「さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた」(ルカの福音書2:8)。パレスチナの冬の夜は寒く、ユダヤ人はもともと遊牧民であるから天幕づくりは得意である。12月末に野宿は考えにくいのである。
私はと言えば、降誕節の商業化に関して、これを蛇蝎のごとく嫌っている。2013年暮れに、とあるショッピングモールの中にあるメガネ屋でパートとして働いていた私は、ものも見事に1円も時給の上がらない「クリスマス商戦」地獄に巻き込まれたからである。
事前に、エリア長なる管理職が「会議」と称して、皆に一方的にしゃべって帰る。おっさんの訓示はウザい。勤務が始まるとその忙しさたるや、1日の勤務の後には、しゃべることも立っている事もやっとという有様であった。しゃべりながら接客するので、頭が疲れるのである。勤務中はウンカのごとく大量に湧いて出てきた客たちの相手をせねばならないので、気づかないが、店中にいろいろと装飾が施してある。とって付けたような物だが、これが、日本風の「祭る」ということなのだろう?一体、何を祭っているのか知らないが。で、これも祭りの後らしく、店中の陳列棚の上のメガネフレームは乱れて、ほこりを被っていて、雑然としているのであった。これをまた片付けるのである。降誕節を家で過ごしたいためであろう、客どもは夕方には帰っていったが、勤務している我々は、働いているのである。聖夜などと誰が言ったか?