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四つ葉方程式  作者: 小河 太郎
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「描いた夢の行方」

「僕の将来の夢。小泉 楓(こいずみ かえで)


両手に持った原稿用紙を広げ、顔の前に持ち上げながら書かれた文字を元気良く読み上げる僕がいた。

小学六年生の夏だ。


「僕の将来の夢は——になることです!」


あの時、何て言ったんだっけ。

僕の将来の夢……。

アレ、僕の将来の夢って、


——何だっけ。




「お!またお絵描きかよ。今日はどんな可愛らしい絵を描いてるんですかぁ」


明らかに人のことを馬鹿にする時の言い回しだった。


「何だよおい。無視ですかー?」


髪の毛は金髪オールバック、耳にはピアス。まるで人を見下した目付きのその男は、後ろに似たような人を二人連れて僕に毎度のように絡んでくる。

クラスに一人や二人は必ずいる不良ポジションの同じ教室の生徒だ。

同じ教室で学ぶ生徒、同じクラスの友人のことをクラスメートと呼ぶらしいが、だとすれば、僕は彼らをクラスメートと呼ぶことは一生ないだろう。


「どれどれ」


その男は僕の机の上に座り込むと、慣れた手付きで僕の手元のスケッチブックを奪ってみせた。


「ヒャー!っなっんだよこれ!猫だぜ、猫!はは。ダセー」


デフォルメ、マスコットに近い猫のイラスト。今日の僕のモチーフは長靴をはいた猫だった。

それを僕がオリジナルでアレンジして、自分の世界へと迎え入れる。昨日は赤ずきん。一昨日は不思議の国のアリス。明日は——

そんな風に自分で創り上げる世界を描くことが、子供の頃からずっと大好きだった。

その時間だけは、何かも忘れて夢中になれた。


「か、……返してよ!」


「声が小さくて聞こえませーん!」


男が大きな口を開けてひと笑いすると、吊られて他の二人もゲラゲラと笑う。

男はスケッチブックを持ったまま教室中を独特なステップでウロウロし始める。


「……返してって!」


僕はそれを遠慮気味に追い回すことしか出来なかった。

僕は背も高くないから天井高くにスケッチブックを持ち上げられた時にはどうやっても彼の手には届かない。


「返して下さい、だろ?」


僕を見下ろす男の顔は、笑っていたけれど、僕にとっては恐怖でしかなった。


「へいパース!」


男は僕のスケッチブックを他の二人と三角投げをしながら、まるでボールのように扱った。

いや、ボール以外がボールの扱いを受けようものなら、それはゴミと変わらない。


「あ、やべ」


男が不意に呟くと、僕のスケッチブックは窓の外へと飛び出していた。

咄嗟に僕は窓から顔を覗かせると、投げられたスケッチブックは見事に校庭の脇にある池へと着水していた。


男達は適当な台詞を吐くと僕なんか元々ここに居なかったかのように、教室を後にする。



「届け……!」


ニ畳ほどの人工池。

池の周りを囲う膝上くらいの高さのブロック塀に左手を添え、自分の届く限界まで右腕を伸ばしていた。

藻がスケッチブックが沈むのを防いでくれていた為、まだ取り返しがつきそうだった。


「もう少し……」


腕を目一杯伸ばそうとするほど、地面に着かせた膝が浮かんで行く。落ちそうで落ちないギリギリまで、僕は手を伸ばす。

スケッチブックが指先に触れたと同時に、大きな飛沫をあげ、僕の体は頭から池へと落ちてしまった。

少々身を乗り出し過ぎてしまったようだ。



放課後だったのが、せめてもの少ないなのだろうか。

真っ白いワイシャツは池の色を染み込ませ、少しだけ緑がかっている。

結局スケッチブックも、ふやけて、破れてしまった。

夏の終わりを感じさせてくれるヒグラシの鳴き声がオレンジ色に染まり行く空に響く。

そんな中、僕は一人だけ雨にでも打たれたかのような格好で、帰宅路を辿って行く。

このまま帰れば、きっと親に事情を訊かれるだろう。せめて髪の毛くらいは、乾いてから帰ろうと、横断歩道の先にある小さな公園のベンチで時間を潰すことにした。

親に心配はかけたくなかったから。



「昔は、違かったんだけどな」


遊ぶ子供達には聴こえないくらいの大きさで、僕は呟いた。

小学生の頃の僕は、こんな風にいじめられるような子供ではなかった。

元気で、積極的で、いつもハキハキしていて、今の僕とは真逆だった。

中学生になり、進級するたびにどんどんと僕は過去の自分を忘れ、自分の殻にこもる様になってしまったんだっけ。

高校三年生となった今、あの頃の僕は、見る影もない。


「……あの頃に戻りたい」


自分自身も、人間関係も。何かも。


「あれ、もしかして、楓くん?」


夕陽を背に女子高生っぽい人影が、僕の名前を呼んだ。

勿論、今の僕にそんな知り合いはいない。


「やっぱり!楓くんだよね。髪型とか全然違うから一瞬、人違いかなってドキドキしちゃったけど」


僕は必死で目を凝らす。彼女がこっちに近づくたびにその輪郭や表情はハッキリとしていき、僕の記憶の中のとある人物と一致する。


「優菜、ちゃん?」


その名を呼ぶと同時に、僕は強く憶い出す。

あの日、僕のせいで全てが終わり、何もかもが変わってしまったあの夏。


『楓って本当に空気読めねぇよな』

『黙ってみてないで何とか言いなさいよ、楓!』

『楓くん……』


僕が枯らしてしまった、もう二度と咲くことのない『()()()()()()()()()』あの日のことを僕はどれだけ後悔したことか。

今も、ずっと後悔していることか。


「うん、優菜だよ。久しぶりだね。本当に」


あの日以来、初めて会った彼女は、年相応に大人びて髪型が変わっていることを除けば、あの日と何も変わっていなかった。

それだけ変わっていれば、変わっていないとは言い難いのかもしれないけれど、雰囲気の話だ。


「隣、いいかな?」


「え、あ、うん」


唐突にそんなことを言うものだから、僕は戸惑いを隠せずに、あたふたとしてしまった。

彼女の名前は、桜宮 (さくらみや )優菜(ゆうな)。彼女は僕がずっと謝りたかった『四つ葉』の一枚(ひとり)だった。

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