なんでも出来た勇者にだって出来ないことはある。
「急患です!!! 酷い腹痛と眩暈、嘔吐の跡もあります!!!」
帝都では一番の規模を誇る病院施設に、看護師の悲鳴にも似た叫びが響いた。
友人と思わしき大柄な男たちに担がれ、ひと際大柄な男がここに運び込まれたのはほんのしばらく前の事。
「こりゃぁ毒の呪式か……? 解毒師呼んで来い!!!」
「おーい急げ!!! 解毒は時間との戦いだ!!! ……ってこの御方は闘神ブレナンド様!?」
「馬鹿な!? 先年の魔王との戦いでは、常に最前線に立ち続けた御方だぞ、普通の毒じゃ何重にも重なる恒常の対状態異常呪式を貫通出来る訳が無い!? 一体何を喰らったんだ!?」
「分からん、何も分からん!? 取りあえずありったけの解毒呪式と、秘薬をブチ込み続けろ!?」
施術台の上で青い顔でうなり続けるブレナンドを、彼を担ぎこんできた仲間たちが心配そうに見つめる。
「あんた達、いったい何があったんだ!?」
医師らが彼らに問い詰めると、彼らは顔を見合わせ合い、おずおずと話し始めた。
「いや、その、師範の道場の一周年記念で、勇者様の店で宴会がありまして……」
今から2年程前、世界を手中に収めようと悪逆の限りを尽くした魔王ガイアスを討伐した者達がいた。
死闘に次ぐ死闘を制し、満身創痍の中魔王軍に勝利した彼らは、その後王の計らいで各々の夢を叶えるという褒賞を得た。
世界最高の武闘家と呼ばれた闘神ブレナンドは、ブレナンド流拳闘術の道場を開いた。
弓の女神と呼ばれ、数多の戦いで後方援護を担った弓術士リューネは広大な森を領地とし、狩猟生活を送っていると言う。
雌雄二対の魔剣を華麗に操った剣舞士ヴァーレンは、毎年帝都で自らの名を冠した、ヴァーレン剣闘大会を開催するとした。
パーティの癒し手、数多の回復呪式を独自に考案し、最後まで勇者一行を守り続けた聖女リューネルは、自らの技術を後進に伝えるべく、聖リューネル治癒学院を設立し、後進の指導に奔走している。
そんな中、パーティの要、剣に魔法に戦術と、全てにおいて当代一、どんな死地にあろうと決して諦めず仲間を鼓舞し続け、どんな危機が襲い掛かろうとも自らが先陣を切って切り伏せる。
過去にも未来にもこの男を超える勇者は現れないと、帝都のみならず大陸全ての民からの賞賛と畏敬の念を一身に受ける男。
勇者王アラン、その人である。
そんなアランが望んだ願いは、帝都の外れに開いた一軒の小料理屋だった。
当時国王は、帝都の一等地に最高の設備と、最高の料理人たちを有した最高のレストランを与えようと申し出たが、彼はこれを固辞した。
激闘は終わり、ようやく世の中は平和を取り戻した。
後の余生は、自分の目の届く小さな料理屋の主として、常連に昔語りでもしながら穏やかに暮らしたい。
国王は自らの不明を恥じ、アランの願いは無事に聞き届けられた、のだが。
全てを備えたかに思えた勇者王にも、たった一つだけ欠点という物があった。
それも、致命傷と言っても過言ではないレベルの。
彼は、恐ろしく料理のセンスがなかったのである。
とある山中の、さびれた村を魔王軍が襲撃、支配したことがあった。
人々は奴隷のように働かされ、餓死者すら出た。
噂を聞きつけ、激戦の後に村を解放したアラン一行。
その時、長い間もまともに食事にもあり付けていなかった村人たちだが、感謝してもし尽せぬ気持と、その後の勇者一行の旅の一助になればと細やかな宴会を催してくれた。
父である村長を殺された幼い娘の作ってくれたチーズ粥を食べた時、アランは涙した。
豪華でもなく、特別に旨いものではない。
だが、幼い娘の作ったその粥に込められた思いに、彼は一匙一匙噛みしめて食べた。
その時、彼は決めたのだった。
世界が平和になったら、その後は自分の料理で復興に勤しむであろう人々を笑顔にして見せる、と。
「ゆ、勇者様の毒、じゃない、料理か…… なら死ぬことはないだろうが、暫くこのままの状態が続く可能性が高いな……」
致命傷の料理スキルだが、なぜかアランの料理で死者は出ない。
二、三日苦しむことになっても、その後嘘のように回復する。
4日腹痛で寝込んだが、戦場で受けた矢傷で動かなかった左足が、その後動くようになったとか、生まれつき見えなかった右目が見えるようになったとか、謎の副次的効果を生んだりもしている。
「因みに、今回は何を食べたんですか……?」
「大陸大ガエルのモモ肉を、紫彼岸草とドルジの木の皮、百日草で三日程漬けて、三週間ガガリ酒に漬けた鬼テング茸と一緒にウアグ山の双頭鶏の出汁で煮込んだと言っていましたが……」
一般的に流通しているわけではないが、聞きなれない程と言う訳ではない珍味的食材の名前が続く。
恐らくブレナンドの為に骨を折って集めたのではあろうが……
「君、一応この組み合わせで研究室に回して、データ取って保存してもらって……」
「先生、処置室の準備が出来ました!!!」
「よし! 取りあえず処置室に御送りしろ!」
「すみませーん、薬草売りですが買取お願いできますかー?」
そんな中、なにやら間の抜けた声が聞こえてくる。
「あらら、急患さんでしたか。隅っこで待っていますので落ち着きましたら…… んんっ?」
ひょこひょことブレナンドの方に近寄ってきたのは、黒い髪を後ろで一束にまとめ、同じく黒いローブを纏い、小柄な体には似合わない、大きなカバンを肩に下げた帝都ではあまり見かけない、小柄な東方系の青年だった。
「食当たりですね、コレ。何食べたんだろう?」
黒い大きな瞳が訝し気に細められ、ブレナンドの口元で、すんすんと鼻を鳴らすこの男のマイペース加減に、一瞬全員が固まった。
「あー、大カエルと、鬼テング茸に当たっちゃったみたいですねコレ。大陸大カエルの油は、他の獣の油と一緒に食べると酷い腹痛を起こすんですよ。鬼テング茸も、強いアルコールと一緒にすると、吐き気と眩暈を引き起こします。ただ、紫彼岸草と百日草を大陸大カエルと一緒に食べて、んー、これはドルジの木の皮かな、これと鬼テング茸を一緒に食べたなら……」
「食べたなら……?」
口元を少々嗅いだだけで、的確に食材を当てていくこの男の続ける言葉に、周囲の皆が固唾をのんで聞き入っていた。
「どの組み合わせも本来、相当精密な調合を施さないと効力を発揮しない組み合わせではありますけど、この感じなら二、三日この状態が続いた後」
「続いた後……?」
「びっくりするぐらい鼻の通りがよくなります、多分」
思いのほかどうでもいい診断結果に、場の全員がこけそうになるが、何とかとどまる。
「アランに…… 伝えてくれ……」
その時、青い顔をしたブレナンドが口を開いた。
「最近…… 鼻づまりに…… 悩んでたからな、助かったぜ…… と……」
力なく親指を立てた右腕を上げた後、ブレナンドは泡を吹きながら気を失ったのだった。