第九百九十八話・春の到来
Side:神戸利盛
「見誤ったな」
関との領境にある織田の本陣におると、北畠の御所様が関を放逐しなされたと知らせが届いた。早い決断だ。あまりにも早すぎる。まさか長野との戦の前に放逐するとは、わしも思わなんだ。気に入らぬのならば関を戦で使い潰し、あとで責めを負わせればよいと誰もが思うはず。
関に大きな失態や謀叛の企みがあったわけではあるまい。わしを相手に小競り合いをして、様子見のつもりであったのだろう。それだけだ。北畠、六角、織田、長野。それらが如何に動いていくのか、関の者らには見通せなかったのであろうな。
「関家の者らは、長野の背後を突いてやると息巻いておったようでございますな」
家中の者らも驚いておる。わしは北畠家の血を引いておるが、神戸家の本家は関だ。家中には血縁もあれば馴染みの者もおる。
関領には食う物がなく、飢えて死んだ者もおると噂に聞く。この戦で長野から奪い、武功を挙げて北畠家からの褒美も欲しかったのであろう。
「織田は本気だと教えたのだがな」
関への書状には織田は甘くはないと書いた。遣わした使者にもそう言うたはずなのだがな。
清洲の殿が書状を書かれればまた違ったのだろうが、勝手に織田に臣従をしたわしが織田の威を借りて驕っておると怒っておったと聞く。
「殿、関家の使者が参りました」
もう庇いきれぬ。家臣らがそう言うておると、いいのか悪いのか関の使者がきた。会わぬわけにはいかぬな。久遠家の春様がお会いになればよいのだが、使者如きにいちいちお会いになられぬ。
「如何なるつもりなのだ!!」
使者は関の家老である鹿伏兎殿であった。よほど急いで参ったのか髪と着物が乱れておるわ。
「如何なるつもりとは?」
「北畠の御所様に嘘偽りでも吹き込んだのであろう! さもなくば戦の前にこのような仕打ちを受けるなどあり得ぬ!」
ああ、その程度のことしか頭にないのだな。故に御所様は捨てたのだ。関を。
「己は織田にも同じことをした! それでこの有様であろう! 織田の兵を使って我が関家を滅ぼし己がものとする! そんな企みわからんと思うてか!」
家臣と織田の者が唖然としておるのが見える。わしが謀っただと? そのような謀が出来る相手ではないわ。そこまで見当違いのことを疑われるとはな。
「己では話にならん! 織田の将を出せ!」
死にたいのか? 織田の旗があるこの場には当然ながら織田の家臣もおるのだ。己が何処におるかもわからず、国人の家老程度がそのような口の利き方をしてよいと思うておるのか?
「鹿伏兎殿、少し落ち着かれたほうがよい」
「黙れ! 本家をないがしろにする謀叛人が!!」
しかも人の話を聞かぬ。己の勘違いを認めぬどころか真実を知ろうともせぬ。如何すればよいのだ?
「神戸殿、わしが春様に取り次いでこよう」
「かたじけない」
わしの困った顔を見て、織田の者が春様のところに取り次ぎを申し出てくれた。出来れば本家を滅ぼすようなことにはしたくなかったのだがな。
ゲルという天幕の中に春様と佐々殿が入られると、わしは上座を空けて家臣らは頭を下げる。あまりご機嫌はよくないようだな。顔が険しい。
「久遠内匠助様が妻。春様である。控えよ」
鹿伏兎殿が唖然としておるのが下げた頭のままでも見えた。
「なにようかしら?」
あまりの驚きに控えることも忘れたかのような鹿伏兎殿を、春様はまったく気にせず声を掛けられた。
「女になど用はない! 将を出せ!」
その言葉にこの場の皆が固まり、静けさが辺りを支配した。
「くっくっくっ、首でも刎ねてほしいのか?」
「己が将か!」
「わしは佐々隼人正。織田家の一介の家臣に過ぎん。この場の将は春様だ。己はもう許されぬぞ。わしも神戸殿も庇いきれぬわ」
確かに横に控える佐々殿のほうが将に見えるのもわかる。小豆坂七本槍と織田では称され、伊勢でも名の知れた男。鹿伏兎殿の顔色が一気に悪くなる。
「もう一度、聞くわ。なにようかしら?」
「……関家は織田様と争うつもりはありませぬ。神戸の申すことすべて嘘でございまする。伏してお願い申し上げまする。兵を退いてくださいませ」
このまま無礼者として捕らえて首を刎ねてもよいものを、春様は用件を問われた。されどその用件に春様は顔色を変えずにこちらを見た。
「面白いことを言うわね。いいわ。このまま清洲の大殿に思う存分訴えなさい。織田の名を頂いた私に無礼を働いた貴方を、このまま帰すわけにはいかないわ。連れていきなさい」
「お待ちを! 某の無礼は某が責めを負いまする! 当家の訴えをお聞き届けの程をお願い申し上げます!」
「分からない人ね。神戸殿とそちらの交渉、すべて知っているわ。私が命を下したことだもの。逐一報告を受けているわ。大人しく賊が来ないようにすればよかったのよ」
話しても無駄であろう。関の者は分家である神戸を相手にしておったとしか考えておらん。元は織田がこの辺りに送ってきておる米や銭を、いくらかでもせしめようとしただけであろうからな。
北畠の御所様に捨てられ織田が領境を固めたことで、わしの謀だと勘違いをしたようだが、そもそもわしの領地も大部分は召し上げられたのだ。この辺りも含めてな。
この辺りは賊など珍しくもない故に、今更文句を付けるなど言いがかりだとしか考えておらなかったのだろう。
鹿伏兎殿は結局、縄を打たれて連れていかれた。
Side:久遠一馬
二月も残りわずかとなり、草花が芽吹き、尾張は春の景色が見られるようになった。
北伊勢の領民も動員して大規模に行なっていた三河の賦役も一段落して、北伊勢を含めた新領内では田仕事、農業改革が進み始めた尾張では田植えの準備に入る。
人々の表情は明るい。織田領内では真面目に働けば飢えることはなくなりつつある。それでも冬の寒さは厳しいものだからね。
「まさか呼ばれぬとは思わなかったのであろうな」
清洲城にて信長さんと仕事をするが、ちょうど水軍衆の報告があった。志摩十三党と俗にいう志摩水軍の人たちが臣従を申し出たらしい。
信長さんも驚いているが、長野との戦に志摩水軍が呼ばれなかったことが主な理由のようだ。具教さんは織田と争っても助けないと言ったらしいが、まさか因縁ある長野との戦に呼ばれないとは誰も考えなかったのだろう。
好き嫌いは別にして、戦こそが働きどころでありアピールの場であることに変わりはない。南の紀伊との争いはあるかもしれないが、伊勢内部での争いはこれが最後かもしれないんだ。
そんな戦に出番がない状況に焦っているらしいね。戦に出ると大きな顔が出来る。逆に言えば誰にも呼ばれないと軽んじられるのはオレにもわかる。
具教さんがどこまで狙ったのかは知らないけどね。水軍は織田に任せたというだけかもしれないし、志摩水軍の態度をはっきりさせるためにあえて呼ばなかったのかもしれない。
「明後日は観桜会ですか。楽しみですね」
一方織田領では明後日に迫っている観桜会の支度で賑わっている。北畠と長野の戦は言い方が悪いが他人事なんだよね。
ウチが始めたお花見が、すっかり尾張の春の風物詩となりつつある。
桜の木があるところを中心にしてはいるが、各地の寺社や町でも今年は祭りを開くところもある。五穀豊穣の祭りという一面もあるので、そちらでも広がっているんだ。
孤児院でも今頃忙しく準備をしているだろう。あとで差し入れでも持っていってあげよう。
大武丸と希美にも桜の花を見せてやりたいな。














