第八百六十六話・捜索
Side:織田信友
「西条の吉良殿。足利所縁のそなたの為を思えばこそ言うがの。今は大人しく命じられたことをなされませ」
久遠殿は今日も行き方知れずの者らを探しに行かれた。本陣で差配しておってもよいというのに。昨夜、少し話を聞いたが、行き方知れずの身内を探す者がまだおるのだとか。その者らが納得するまで出来うる限り付き合いたい。そう申しておった。
目の前におる吉良殿を筆頭に、久遠殿への目通りを望む者が毎日待っておるが、会われる気はないらしい。民には驚くほどの慈悲を持ちながらも、勝手をした武士には厳しい。
「されどこのままでは……」
このままでは清洲の殿に一族郎党根切りにされかねんと怯えて、わしに久遠殿への取り成しをと嘆願するが、すでに機を逸し時は遅い。清洲の殿からは弁明は清洲で聞くと書状が届いておるのだ。
もっともそれでも久遠殿の許しがあれば違うと考えるようで、なんとか会いたいとあの手この手で動いておる。
「火に油を注ぎたいとお思いか? 会わぬのが久遠殿の答え。自ら許さぬと兵を寄越すこともあり得るのですぞ」
会えば許しを得られると思うのが愚かとしかわしには思えん。久遠殿は周りによく気を使われる。わしにも随分と気を使うてくれるが、この件はすでに清洲の殿に一任しており許すとも許さぬとも言う気がないのだ。
兵を挙げて攻めぬだけありがたいと思うて、大人しくしておればいいものを。
そもそもだ。それほど恐れるのならば、何故逆らったのだ。戦に兵を出せと言うたのではないのだぞ? 三河の当地のために人を出せと言うただけであるというのに。
縁も所縁もない三河のために働くわしや久遠殿らを邪魔だとすら思う愚か者どもが。
Side:とある村の長老
今日で十日目だ。川の下流へ水に流された孫を探しておる。共におるのは同じく行き方知れずの身内を探す者たちだ。
もう生きてはおるまい。それは皆わかっておる。されど、せめて弔ってやりたいと探しておるのだ。田んぼも見る影もなく、明日どうなるかわからぬ。倅にも諦めろと言われたが諦めきれなかった。
いずれにせよわしは今年の冬は越えられまい。織田は飢えぬようにしてくださるとはいえ限度があろうからな。わしのような明日がない者くらいは探してやりたいと思うたまで。
「さあ、皆さん。今日も皆さんを待っている人のために頑張りましょう」
夜明けと共に現れたのは久遠様だった。まだ探してくださるのか。生きておらぬ者を。
泥など手にしたこともないような御方が、毎日我らのために朝から晩まで泥まみれになりながら探してくださる。それ故に我らも今日までやってこられた。
「今までここまでしてくださる御方がおったか?」
「おるはずがあるまい」
皆が驚いておる。久遠様は三河とは縁も所縁もない御方。何故ここまでしてくださるのかわからぬ。
吉良家中の者が言うておった。久遠様は銭に汚く贅の限りを尽くす成り上がりの愚か者であると。あれは嘘であったのか?
昼も我らと同じく握り飯を食うておるというのに。よくもまあ、あのような嘘が吐けたものだ。
「おい! 着物があったぞ!!」
「この辺りか!?」
最早、声をかけても返事などない。泥も固まり探すのも苦労するだけ。諦めるしかないと我らでさえ思うというのに。
僅かに見つかった着物の切れ端に皆で、望みと諦め、喜びと哀しみ、何もかもがない混ぜに成りながら、生きておらぬかと声を掛けて泥を掘っていく。
「仏さんか」
「良かったな。弔ってやるからな」
見つかったのは若い女の亡骸だった。久遠様と御家来の皆様は肩を落としつつ、手を合わせて弔うために運ばせてくださる。
その姿に我らは涙が止まらなかった。未だかつてこのような御方は武士にもお坊様にもおらなんだ。
何故、これほどしてくださるのか。わからぬ。わからぬが涙が止まらぬ。
「明日はもっと東をさがしてみるか」
日が暮れた。わしの孫はまだ見つからぬ。久遠様は御家来の方と地図をみながら明日のことを口にされた。
もしや久遠様は……。
Side:久遠一馬
行方不明者の捜索も十日目だ。三河に集まった人員は七千人を超えた。集めた人員は堤防の修復が主としているが、被災地の家や街道の泥を流す作業も始まった。衛生状態を改善しないと伝染病とか起きかねない。
ただ、オレはまだ三百人の人手を使って行方不明者の捜索をしている。昨日と今日はもう生存者は発見出来ていないが、八日目には奇跡的に生存者を救出することが出来た。
さらに行方不明者を探す家族がまだいるんだ。彼らを見ているとせめて御遺体だけでも見つけてやりたい。
そんな十日目も日暮れまで捜索した。オレも家臣も泥だらけだ。河口付近は特に川の氾濫で流れた泥があちこちで固まっている。行方不明者はその下にいる可能性があることが捜索を難しくしている。
「久遠様……、もう十分でございます」
すっかり暗くなり星明りの下で明日のことを少し相談して、泥と埃だらけのまま対策本陣に戻ろうとした時、一緒に行方不明者を探していた家族の皆さんが突然オレの前で土下座をした。
代表で語りだしたのはどこかの村の長老だったはず。先日声を掛けると、孫を探していると言っていた。
「長老殿……」
「皆の供養をして終わりにいたしましょう」
泣いていた。家族の皆さんが。みんな泥だらけで泣いているんだ。
「毎日、我らのために泥に塗れて朝から晩まで……。それだけで皆が浮かばれましょう」
すすり泣く者、大泣きする者。様々だ。周りでは金さんたち家臣もみんな泣いている。
「……わかりました。では明日にでも皆で供養をしてやりましょう」
武士として人前で泣いてはいけない。そう思い堪えるが、視界が歪んでいく。無念だ。もっと助けられたはずなのに。
こんなことが二度と起きないようにしないといけない。事前に知らせたのに生かせなかった。今後は末端まできちんと命令を守らせる仕組みがいる。
オレは為政者になったんだから。
◆◆
西三河の一部の地域に久遠一馬の逸話が伝わっている。
天文二十一年の野分で矢作川(現在の矢作古川)が氾濫した時、久遠一馬が家臣と共に泥だらけになりながら十日間も行方不明者を探してくれたという逸話である。
生存者がいればみんなで喜び、御遺体を発見するとみんなで悲しんだといい、三河において、そこまで民を想ってくれる武士は初めてであり共に探していた民が涙したと伝わっている。
この時、一馬は民に対して命の大切さを何度も説いたといい、武士ばかりか寺社ですら命の尊さなど忘れていた時代に一馬がどう考えていたかわかる逸話である。
最後の十日目には、一馬への感謝と申し訳なさから民が一馬を止めたといい、これは久遠家家臣太田牛一が残した『久遠家記』にも書かれている。
これ以降、西三河において尾張や織田家への意識が変わったのだと現代では伝わっている。
当地には吉良家などの名門が残っていたが、これをきっかけに影響力を急速に落としていったことが歴史で証明されている。














