第八百五十六話・北畠の親子
Side:久遠一馬
朝晩が冷えてきた。尾張はそろそろ秋の気配がしている。
先日には今年最後の海に行ってきた。海水浴は尾張に住む武士の遊びのひとつになったね。織田家なんかでは、男も女も家族で一緒に遊ぶことに慣れたみたいだ。
「おいで! 花、鳥、風、月。ご飯だよー」
「ワン!」
「ワン! ワン! ワン!」
現在屋敷は新しいものを建設中だ。敷地はもう広がったので、広くなった庭をロボとブランカの子たちが駆け回っている。
そんな四匹の仔犬たちにパメラがご飯を運んでくると、一斉に駆けて集まっていく。四匹の名前はエルたちとお市ちゃんで決めた。花と鳥がメスで、風と月がオスになる。
オスとメスを一匹ずつ織田家にあげる予定だ。親離れもしているし、躾が終わり次第正式に譲ることになる。お市ちゃんが二匹をもらえると聞いて喜んでいるね。
ちょっと寂しいけど、ロボとブランカの子たちをずっと外に出さないわけにはいかないしね。お市ちゃんなら可愛がってくれるだろう。
「エル、寒くない?」
「はい。大丈夫ですよ」
そんな仔犬たちを眺めながら、ロボとブランカを連れてエルと庭を散歩する。お腹が目立ってきて以降は、さすがにエルの外出が減った。適度な運動と、馬車で近場の外出は問題ないんだけどね。
みんな心配するからさ。
体のケアも心のケアもしているつもりだ。なんと言っても前例のないことだからね。アンドロイドの出産は。
「そういえば、乳母の話があったけどどうする?」
そうそう、先日信秀さんから、生まれてくる子供の乳母をどうするかという相談があった。久遠家ではどうしているのかと問われたので、基本は実母が育てて、周りで助ける形だと言っておいた。
赤ちゃんは授乳回数が多い。同時期に生まれた子の女親を雇い乳母にすることもあるし、ヤギの乳で代用出来るとも教えた。
この時代の武家における乳母は生まれてくる子にとって、実の母と同様かそれ以上に近い存在となる。一番頼れる存在とも言える。ただねぇ。乳母と乳母の子などが優遇されて権力を得て、問題になったことがないわけでもない。
乳母に教育とかまで任せることもあるし、エルの子の乳母を武家の娘にすることは正直考えてない。
「私たちの子は私たちで育てたいです。もし大殿がそれをお知りになりたいのなら、侍女をひとり受け入れるくらいでいいかと思います」
「わかった。その方向で話しておくよ」
エルは考える間もなく自ら育てたいと口にした。まあ、そうだよね。オレも正直、乳母に任せる気はない。
帰蝶さんはケティの勧めで自身でも授乳をしたり子育てに参加しているが、それでも基本は乳母に任せている。
ウチはウチのやり方でいいよね。幸いなことに奥さんがたくさんいるので、授乳期の乳をヤギ乳で代用すれば面倒を見てくれる家族はたくさんいる。
「クーン?」
ふと立ち止まって空を見上げると、ロボとブランカがどうしたのと言わんばかりにこちらを振り向いた。
オレの生まれた元の世界でも、エルたちの生まれた仮想空間でもない。戦国のこの世界でオレたちの子供は生まれて生きていくんだ。
帰りたいと思ったことは本当にないが、二度と帰ることはないんだなと改めて思う。
唯一の心残りは、両親の墓をもう一度お参りしたかったなというくらいだ。
「『きっと喜んでくださっていますよ』としか私たちには言えませんが、この言葉に恥じないで居られればと思いますよ」
「ああ、そうかも」
なにも話していないのに、エルはオレの考えていたことを理解していたらしい。実は両親の墓は久遠諸島にもある。個人の墓はないが、久遠諸島みんなの墓として造った霊園の記録に、オレの両親の名前を遺してくれた。
子供が産まれたらまた島に戻ってみようかな。あそこがオレたちの故郷になるんだ。
子供たちも喜んでくれるといいな。
そのために頑張らないと。
Side:北畠晴具
「父上、お呼びだとか。いかがされましたか?」
田んぼの米が穂を垂れ始めた。この日、倅を呼び出した。
「そなたは織田の風下に立つ気か?」
人払いをして倅とふたりだけになったわしは、懸念を直接問うことにした。
わしももう歳だ。そろそろ倅に家督を譲るつもりでいた。いささか武芸ばかりに現を抜かす倅であるが、このような荒れた世ではそれも致し方ない。
ところがだ。僅か数年で尾張が変わってしまった。本来ならば隣国の隆盛など迷惑でしかないが、塚原殿の縁で良好な誼が結べた。
されど尾張はあまりに大きくなり過ぎた。今川と朝倉の者が顔を青くしておったが、我が北畠家も他人事ではあるまい。
「さて、如何なりましょうな。そもそも武衛殿や内匠頭殿は、天下を纏めて管領または公方になろうとはなさらぬでしょう」
わしは織田に臣従などする気はないが、倅が臣従を選ぶのなら止める気もない。それもまた世の流れ。相手がこちらを敵視しておれば別だが、北畠家は織田と誼を深めることで大きな利を得ておる。
今更、元の暮らしに戻れと言われるのも困るというのが現状だからな。
「それは久遠の知恵か?」
「そうとも言えまするが、違うとも言えまする。一馬の見ておる先、某にはわかりませぬ。されどその先に北畠家の居場所はあると思うております」
まさか管領も公方も目指さぬと? 斯波と織田の知恵の源が久遠であることは確か。その久遠が管領や公方に興味を抱いておらぬのか?
「何故得体の知れぬ者の、見ておる先を信じられる?」
「一馬とはそういう男です。こちらから拒絶致さねば、共に生きる道を残してくれましょう。さらにもう少し考えれば、紀伊や大和は厄介な土地。この先織田が如何に進むかわかりませぬが、必ずや畿内に巻き込まれましょう。南伊勢のこの地を治める我が家の価値、小さからざることは父上もご存知のはず」
確かに紀伊と大和は厄介な土地だ。六角が如何に動くかわからぬが、先の法要の様子を見ておると争う気はなさげだがな。それを加味しても南伊勢をおさえる我が北畠家の価値が高いのはわかるが。
されど……。若さというものなのか? それとも倅は久遠一馬という男になにかを見たのか?
「水軍のことはいかがする?」
「放置してよいのでは? 父上は水軍が織田に臣従するのも勝手にしろとお認めになればよいだけかと。あの南蛮船を相手に水軍など役に立ちませぬ。いずれにせよ海沿いは南蛮船を恐れて生きねばなりませぬ。勝手に織田と戦をされるよりはよいかと思いまする」
「それでは失うだけではないか」
「お望みならば海の守りを織田が保障するように話を致します。志摩はともかく紀伊は如何に考えておるかわかりませぬからな」
いずれにせよ、同じものを求めるのは無理か。譲るべきところは譲り家を守らねばならん。
「よかろう。そなたに任せる。織田との話、見事纏めてみせよ」
「ははっ」
海で対するのは無理だな。その利もない。もとより水軍は従えておるといえば聞こえはいいが、勝手に海で生きておる者らだというだけでもある。
籠城すら叶わぬ相手と戦をしても仕方あるまい。この件で家中を納得させる成果をあげられれば倅に家督を譲るか。














