第七百九十九話・公家ショック
Side:久遠一馬
ロボとブランカの仔はすくすくと育っている。ロボは産まれて数日後には仔犬たちと会っていて、今のところ問題なく一緒に過ごしている。もっともロボは相変わらずヤンチャで屋敷内を走り回っているが。
オレたちはなるべくブランカと仔犬たちを刺激しないようにしつつ見守っているが、仔犬たちは可愛くて見ていても飽きることがないので、覗ける隣の部屋には常に誰かがいるような状態になっていた。
「北畠家も騒動になってございます」
オレがお市ちゃんと一緒に隣の部屋から仔犬たちを静かに眺めていると、一益さんがとある報告にやってきた。
一益さんには数名の織田家家臣と一緒に北畠家の多気御所に行ってもらっていたんだ。公家衆の尾張訪問の説明と、伊勢神宮参拝の可能性を伝えるために。
なんと言っても北畠家自体が公家だからね。早めの説明がいるし、こちらとしてはこれを機会に伊勢神宮を参拝してもらってはと思っている。
ウチの船だとあまり時間もかからないし、船が駄目なら陸路でもそれほど苦労するというわけではない。
「だろうね。斯波家が天下をなんて勘違いされても困るし。早々に説明に行って正解か」
殿上人を複数含む公家衆が尾張まで団体で来るとなると、世の中に与えるインパクトが大きすぎる。幸いなのは観音寺城の義輝さんにも使者を送り理解してもらったことか。斯波家を担いで織田が天下取りに動いたなんて勘違いされると困る。
北畠家も具教さんにはジュリアから事前に説明の手紙を送っているが、今回正式な使者を送ったんだ。
もちろん伊勢神宮にも使者として行ってもらった。具体的な日程は京の都に問い合わせ中だが、準備はすでに始めておかないと間に合わないだろう。
伊勢神宮も騒動になっているだろうなぁ。とはいえこれほどのイベントを斯波家と織田家で独占すると嫉妬を買うだろう。大湊との安定は伊勢湾交易の要なんだよね。
「殿、この件で美濃と三河もまた騒がしいようでございます」
公家衆が大勢で京の都から出てくる。それだけで尾張、美濃、伊勢、三河は揺れている。出雲守さんは至急あちこちの忍び衆からの報告をまとめてくれたが、権威の根強さを痛感している。
北美濃で言えば東家。歌人として歴史に名を残している東常縁を祖先に持つ東家が事実確認の使者を寄越した。事実ならば自分たちも参加したいようだ。元々東家は臣従に傾いていた家でもある。条件で家中がまとまらないので止まっていたが。
これほどのイベントに参加も許されない可能性に気付いて慌てているらしい。
東美濃の遠山家、三河の松平宗家。共にこの情報に動揺している。安堵しているのは三河の吉良家だろうか。すっかり大人しくなったので、この件で働き場所を与えるべく重臣の皆さんが相談している。
伊勢守家の信安さんの下に置いて、公家衆の対応を任せるにはちょうどいい家柄だ。問題は吉良家当主義安さんの人柄なんだが、弟の義昭さんよりは状況が見えているんだよね。
腹の中で不満を抱えても謝れるのは意外とポイントが高い。この時代の武士だとそれも出来ない人がいるからね。
「ただ三河では岡崎松平家に従う幾許かの国人同士が、勝手に小競り合いを始めた者もおりまして……」
出雲守さんの報告で頭が痛いのはこの報告か。控えていた資清さんやメルティが共に複雑そうな顔をした。
「原因と名目は?」
「如何にも水の争いのようでございます。過去にも何度も争っておるところのようでございますが、今川が手を引いたことで押さえが利かなくなり今年は死者が出たようで」
よくある話だ。そう言ってしまえばそれで終わる話だ。織田家でもこの手の争いはあるので間に入って仲介なり指導なりしている。
水や入会地の利権は複雑で真偽の怪しい書状や日記で自分の権利を主張するなんて可愛いもので、隙あらば奪おうとするのもよくある。
まあ三河は信広さんと元大和守家で現因幡守家の信友さんが上手く差配しているので、織田領への影響はないだろう。とは言ってもこれが広がると岡崎が揺れる可能性も。松平広忠さん大丈夫か?
公家衆が来ている時に下手な騒動を起こすと、松平家の面目が丸つぶれになるんだが。竹千代君が勉学や武芸を頑張って評判がいいだけに気になるんだよね。
例の松平宗家の臣従に関する動揺と不満は相変わらずくすぶっている。織田家の側は抑えたが、それでも対立が消えたわけではない。
面倒な土地だね。史実の徳川家康の苦労がわかるよ。
Side:今川義元
西三河から手を引いて、今川家はようやく落ち着きを取り戻した。わしも口には出さぬがホッとしておるのが事実。武田は織田と比べると御しやすくて助かるわ。
そんなわしの下に珍しく顔色を変えた雪斎が参った。
「御屋形様、火急にお知らせしたきことが……」
「いかがした?」
武田でも攻めてきたか? 田仕事の忙しきこの時期にはあり得ぬと思うのじゃが。
「大内義隆の件でございます。夏に尾張にて法要を行うようでございますが、如何にもそれに京の都より殿上人が連れ立って来るとのこと。少なくとも近衛家と二条家と三条家は来るのではとのことでございます」
「また、織田か……」
駿府におる公家が内々にと知らせてくれたそうじゃ。まさか大内義隆の法要に参列して花火を見物するために尾張までやってくるとはの。
畿内から出ることすら稀である都の公家どもが。まさかと思うが、雪斎の話ではすでに尾張では連中を迎える支度をしておるという。
「なにか厄介なことがあるか?」
信秀め。まことに天下を狙うつもりか? 素直に兵を挙げて都に上るわけではあるまいが、それに等しきことになるぞ。
とはいえ今川家に直接関わりはないと思うのじゃが……。
「晴信の奥方は三条家の娘。その子がひとり、尾張にて勉学に励むという名目でおりまする。武田がこれを機会に動けば織田が武田に助力せんとも限りませぬ」
そういえばおったな。三男じゃったか。名目はともかく人質ではないかと驚いたものじゃ。まさかその人質が三条家を介して武田と織田を繋ぐと?
「母上に話す必要があるな。手をこまねいておると四方が敵になる」
母は中御門家の出。公卿にもそれなりに伝手はある。
如何になるかわからぬが、織田が武田に助力することだけは阻止せねばならんの。
「あと数年あれば甲斐と信濃を落とせたものを……」
「尾張の動きは早過ぎまする。拙僧でも付いてゆけませぬ。現状で織田が東に来るとは思えませぬが、武田の動き次第では今川家を潰したほうが織田は楽になるはず」
武田にはすでに伝わっておるとみるべきか。晴信はパッとせぬが無能でもない。この状況を使わぬ道理はない。
雪斎の顔色が悪くなるわけじゃ。
「誰かの謀か?」
「わかりませぬ。ただ大内義隆の死は織田とは関わりのなきことのよう。恐ろしきは尾張において周防の内乱を正確に見抜いておったこと。それを利用したのか偶然かは拙僧にはなんとも言えませぬ」
これが上手くいけば天下に尾張の栄えありと大いに喧伝出来よう。信秀。そなたはまことにこの乱世に挑むつもりか?
長きにわたり誰も治められなんだ日ノ本を尾張から変えるつもりか?
「いつの間にか、わしなど物の数でないと思えるほど大きゅうなったな。信秀は」
駿河におるわしじゃからこそわかる。天下の広さを。畿内の者らは畿内こそ天下と考え、それ以外を軽んじておる。
されど関東の広さや、その先にある奥州の厄介さを連中は知らん。信秀はそれを知っていよう。
「もう春も過ぎようというのに、今日はやけに寒いの」
戸を開けると、外から冷たい風が入ってくるわ。
信秀、そなたはまことに乱世の先が見えるのか。
恐ろしい男じゃ。まことに恐ろしい。
緊急事態宣言につき、連続更新中。
コロナに負けるな。
医療関係者ありがとう。














