第七百七十一話・六角領の人々
前日のインフルエンザの対策、他国の病人に対する対応を少し修正しました。
Side:近江のとある男
「三雲殿は相変わらずか」
ここは甲賀郡のとある村だ。三雲家と滝川家・望月家の対立のいずれにも味方せぬ国人の領地になる。日和見と言えばそうなのであろう。
「ああ、上洛の帰りに刺客を差し向けるつもりが、向こうは船で戻ったからな。しかも六角の御屋形様はそのことをご存知だったとか。それを教えてもらえなかったことで怒っておるそうだ」
三雲家を探っておった者が戻ると、渋い顔を隠せなかった。甲賀衆を己の家臣のようにと言えば言い過ぎであろうが、下に見ておるお方だ。
昨年の夏に斯波武衛様と織田内匠頭様が上洛した際には、坂田郡か北伊勢で賊に仕立てた刺客を差し向けるつもりでおったようだ。ところがだ。織田方は帰りを船で帰ってしまい、肩透かしを食らった。
三雲殿とすれば、北近江三郡や北伊勢で尾張と騒動になると六角家も織田と事を構えることになると読んだらしいが。
「もしや前御屋形様は、三雲の勝手な動きをご存知だったのではないのか?」
「それはあり得るな。そもそも前御屋形様はあまり戦を好まぬお方。三雲殿のことも承知であったが大目にみておったのであろう」
今年に入り亡くなられた前御屋形様は、北近江三郡を正式に治められたばかりか、三好、織田と立て続けに誼を結ばれた。三雲殿の勝手な動きを知らなかったとは思えぬ。
「甲賀は尾張からの援助がなくば立ち行かぬ者も多いのだ。三雲殿はそのあたりをいかがお考えなのか」
「考えてはおるまい。外に出て働けとしかな」
我らのように三雲家とも滝川家とも繋がりがあるところは、それなりに多い。正直、三雲殿が我らの暮らしを守ってくれるのならば三雲殿でもよいのだ。その点、滝川家と望月家は違う。いや、両家が仕える久遠家や織田家が違うのかもしれぬが。
食べ物が足りぬと悩んでおれば、仕事をせぬかと声をかけてくれる。死んでこいというのではない。諸国を歩き、噂やものの値を調べてくれば驚くほどの銭をくれる。
わしの親戚も甲賀を捨てて尾張に行ったが、正月には酒と餅を皆に頂けたそうだ。
「あの御仁は六角への忠節もある故、厄介なのだ。織田と久遠は六角家の敵だと考えておるようでな」
「それはわかるが……、何故三雲殿が六角家の敵を決めるのだ。前御屋形様は困ったら内匠頭様を頼れと遺言まで残しておるのだぞ」
三雲三郎左衛門定持。かつては己で明と交易をして六角家中にも力を示していた男。それがどうも上手くいっておらぬということが、尾張を嫌っておる理由であろう。
久遠家が三雲殿の交易を邪魔した。三雲殿はそう言っておるという。ところがだ。肝心の久遠殿は三雲殿のことなど知らなかったという話がある。
滝川家に近しい者の話では、南は倭寇やら水軍が多い海のようで、三雲殿の船がどれかなどわからぬそうだ。襲ってくれば潰すが、あとは構っておる暇などないと久遠家の船乗りが話していたとか。
それはそうだろう。久遠家のように船が黒いわけでもない限りは、敵かどうかわかるはずもない。
「新しき御屋形様は如何するのか。前御屋形様の遺言を守るのか、それとも……」
織田と争えば甲賀は割れる。大半は織田に付くと思われるが。援軍が期待出来る相手ではないのにもかかわらずだ。
忠義の八郎。あの者が甲賀衆の名を一気に押し上げた。尾張守護の斯波武衛様の覚えもめでたく、公方様との目通りの際も同席を許されたという。
信義を重んじて情け深い。頼れば悪いようにはしない。そんな噂が甲賀衆には流れておる。
戦下手かと思えば、浅井との戦では浅井殿を捕らえたのは滝川殿だというではないか。血縁が多少でもある者はこぞって滝川家を頼ったらしいが、冷たくあしらわれたという話など聞いたことがない。
滝川殿にはあって三雲殿にはないもの。それは信と情だ。六角家も代替わりして如何様になるかわからん。三雲殿が余計なことをせねばよいのだがな。
Side:北伊勢のとある村
「村の中には子と年寄りしかおらんな」
「そうだな」
田仕事もないこの季節、村は人が少なくなる。以前は田んぼがない連中が尾張に働きに行っていたが、今では田んぼがあっても行く連中が増えた。
年寄りは怒っている者もおるが、背に腹は代えられぬ。近隣でもここは貧しい土地なんだ。
「三軒隣の権助は去年の正月からずっと戻っておらんな。もう戻らんのか?」
春になれば田仕事が始まる。それでも戻らぬ者が徐々に増えておる。己の田畑がない者はもとより、あっても田畑だけでは食べていけぬ者は戻らぬ者が増えておる。
「さあな」
最初は良かった。戻らぬのならば、残っておる者で田んぼを使えばいいと村で決まったからな。ところがだ。それが増えると田仕事が大変になるばかりか、近隣と揉めたりすると人が少なくて不利になる。
年寄りは尾張に行った者に戻れと人をやったが、戻った者は多くない。逆に年寄りまで尾張に呼ばれて出ていった者がいる始末だ。
忙しいので子守りに来てくれと言われて嬉しそうに出ていった者もいたな。
「そんなに変わるまい。尾張とて余所者は余所者だ」
「ああ、そうかもしれんな」
ここでは幼い頃から馴染みの男と、囲炉裏の火に当たり愚痴をこぼすしかすることがない。
尾張とて余所者が生きていくには苦労が多いはずだ。愚かな連中だと飽きるほど愚痴をこぼした。
「どうした? 今日はやけに口数が少ないな」
ふと気付くと馴染みの男が今日は相槌以外、あまり口を開かんことに気付いた。
「……おらも尾張に行くことにした。娘を売るよりはいい」
ああ、やはりか。そんな気がしていた。
「田仕事の頃には戻るんだろ?」
「わからん。向こうでやれれば戻らんかもしれん。おらの田んぼだと食えねえからな」
昔は冬場には、こうしてみんなでひとつの家に集まって騒いだもんだ。そのほうが薪代も掛からねえ。それがひとりまたひとりと出ていってしまった。
「達者で暮らせよ」
「お前もな」
明日には一家揃って尾張に行くという。年寄りには話したが、春に戻らねば田んぼはないと思えと脅されたという。
別れの酒でもと思っても村に酒なんかない。米はあるが、あれは春の田植えに使う分だ。
「尾張はいいな。近場で働くことが出来て」
今まで散々悪く言っておった、尾張が羨ましいと思わず本音が零れた。
春には田植えをして秋には稲刈り、そして冬にはほかの仕事で働く。そんな暮らしが出来たらどれだけいいのか。
施しがほしいんじゃねえ。働いて飢えぬ程度の飯が食いたいだけなんだ。
「この村に残るのは、爺様たちと本家の連中ばっかりかねぇ」
田んぼが多く、村で威張っている本家の連中は、今のところ己らの実入りが増えておるのでご機嫌だ。人手が減ったが、おらたちのような者に働けと言ってこき使うからな。
おらもそろそろ考えたほうがいいのかなぁ。尾張にいくこと。
しかし、なんで尾張にはそんなに仕事があるんだ? 逃げ出して戻らねえってことは、ここよりも悪くないということか?














