第六百八十二話・剣豪将軍の宴のその後
Side:足利義藤
すでに夜更けと言える刻限だ。宴に招いた者たちは場を辞しておる。残るは殿下と師のみ。
皆と多くを話せたが、まだまだ話し足りぬのが本音だ。明や南蛮のこともあまり聞けなかったしな。
「度肝を抜かれたな」
白き盃に注がれた金色の酒を味わいつつ思わず笑みを浮かべてしまった。余に対してあのように率直に物申した者は如何程におろうか。父上や殿下を除けば初めてかもしれぬ。
「久遠一馬とその妻、大智か。確かによく世が見えておるの。噂以上じゃ。三河一向衆を瞬く間に殲滅したというのもわかるというもの。この段階で会えてよかったわ」
そういえば殿下は一馬の言葉をそのままお認めになっておられたな。それにあのような若さの者をこれほど手放しで褒めることも珍しきこと。
「大智か。まるで母に叱られた気がしたわ」
「ほっほっほっ。大樹にあれほど物申せる女はそうはおるまい。じゃがな。大樹よ。あの者の申す通り。そなたは世を知らぬ。確かに少し旅に出ることも悪くはあるまい。それとな大樹。苦言を呈する者は疎んではならん。耳当りのいいことを言う者などいくらでもおるが、率直に苦言を呈する者など滅多におらんからの」
余が自ら願い、なにかを決めることはこれが初めてかもしれぬ。三好との諍いごとも三好に刺客を放ったことも、すべては管領と側近どもの申す通りに認めただけだ。
殿下は管領に気を許すなとは助言致してくれるが、管領に表立って異論を唱えることもせぬ。恐らくは三好との和睦の機会をじっと耐えて待っておられたのであろう。
衰えたとはいえ細川京兆家の力は侮れぬ。しかもあの男は、なにをするかわからぬ恐ろしさがある。主上といえども歯向かいかねぬとさえ思うほどにな。
「しかし三好は和睦に応じまするか?」
「応じるであろう。三好にはその気になれば別の足利の者に将軍宣下を願いでて争えるのじゃ。それをやらぬのは和睦の意思があればこそというもの。まあ任せておけ。主上に願い、和睦をまとめてみせよう」
六角と斯波が全力をあげれば三好も倒せよう。されどそのようなことは夢物語。管領代ですら和睦を願うのだからな。懸念は三好が和睦に応じるかだが、殿下は自信がおありのようだ。
「ではこのまま都に戻るべきでしょうか?」
「それがよかろう。大内の件も気になる。そなたも大内の件を案じて帰都したと致しておこう。武衛の久々の上洛とそなたの帰都が合わされば、主上もさぞお喜びになられよう」
余は今まで和睦をしても裏切る者の多さに嫌気が差しておったが、考えてみれば元凶は足利家とも言える。歴代の方々は将軍の地位と権威を守るために守護を争わせて、力を削いできたというではないか。
なにより嫌なのは、あの小物と同じことを代々の将軍がしてきたことか。
三好と和睦。いかがなるかわからんが、一度は和睦してもよかろう。然れば余はもう将軍の地位には執着せぬ。三好がまこと天下に太平をもたらせるのならば、それも一興というもの。
なにより、これほど嬉しそうな殿下に和睦などせぬとは言えぬ。親身になっていただいておるばかりか、近江の地にまで共に参ってくだされた殿下の帰都は喜ばしきことだ。
「さて大樹の旅のことだが。塚原殿、大樹のこと頼めぬか?」
「畏まりましてございます」
「詳しくは管領代や武衛とも話さねばならん。とはいえ信の置ける者に預けねば、吾も認められぬ。大智の言葉ではないが、大樹は旅など知らぬのだ」
旅か。師と会うてから何度となく旅をする夢を見た。余の機嫌を取る振りをして己の意見を曲げず、余の意見など聞く気のない側近と管領の顔など見たくもなかったからな。
余は確かに民の暮らしなど知らぬ。大智の言う通り後悔するのやもしれん。だが、このまま将軍として生きても後悔しよう。然れば後悔するならば師と共に旅がしたい。
Side:久遠一馬
「公方様は若いの。あのようなことを考えておったとは」
宴から客間に戻ると、開口一番で義統さんが義輝さんのことを口にした。なんとも言えない。そんな表情だ。
足利家嫌いな義統さんからすると自業自得とも思えるのかもしれないが、個人として義輝さんの苦悩もわかるんだろう。
「懸念はこちらへの影響ですな」
信秀さんは早くも義輝さんの動きが自分たちにどう影響するか考えているようだ。ただ歴史という観点から見ると、義輝さんの変化による歴史への影響は今のところは大きいようで大きくはない。
どのみち三好との和睦は史実でも来年になると成立していた。理由は定頼さんが亡くなったからだろう。義輝さんにとって定頼さんが後ろ盾であり生命線だ。その定頼さんが亡くなると跡継ぎである六角義賢さんが継いだが、代替わりでどうなるかわからないことから史実の義輝さんは和睦に踏み切ったんだろう。
「管領代殿、たぶん病を抱えているわよ」
少し静かになった場を騒がしくしたのは、資清さんや曲直瀬さんや太田さんたちと六角家の用意したお酒を飲んでいたマドカだ。
彼女も昨日の六角家が開いてくれた歓迎の宴には同席しているから、離れてはいたが六角定頼さんと会っている。
「マドカ、それは確かか!?」
信長さんが驚きの声をあげた。見た感じ特に体調が悪いようには見えなかったからなぁ。ただ、少し痩せていた。
「確証はないわよ。隠しているっぽいし。ただね。病人を何人も見ていると仕草とかでわかることもあるのよ」
みんながマドカの言葉にまさかと言いたげな表情をしている。ただウチの医療技術の高さからくる見識に、皆の信頼度は高いんだ。疑うよりは信じるだろう。
「よき頃合いで上洛するのかもしれんの。管領代殿になにかあれば、いかがなるかわからぬ」
「確かに。三好との和睦も良かったのかもしれませぬ」
義統さんと信秀さんは少し考えた後にホッとしたような顔をした。今の畿内は定頼さんの権勢に裏打ちされた重しと三好長慶の自重があってこそ落ち着いている。悪いけど跡継ぎの義賢では長慶に対抗するのは難しいだろう。
この世界だと北近江三郡も六角領と正式になるが、それも安定させる前に定頼さんが亡くなる可能性が高いんだ。甲賀、北伊勢、伊賀は織田の影響力が高まっている。難しい領地運営を果たして義賢に出来るかが問題だ。
「エル、上様はいかがなる?」
「将軍として残る気はあまりないでしょう。旅をして戻る気になるかどうかは、私にもわかりません。ですが、誰が将軍となっても……」
いいリアクションで驚いていた信長さんは義輝さんのことを気にしていた。意外と気に入ったのかもしれない。少なくとも悪い印象は抱いていないっぽいね。
エルはそんな義輝さんの今後を推測するが、やはり旅に出たいんだろうね。エルが安易に考えるなと釘を刺したんだけどね。若さゆえの好奇心と現状に対する嫌気で大人しく実権のない将軍に収まるタイプじゃないと、オレでも思う。
もしかすると旅をして世を嘆いて将軍として天下を治めたいと考えるかもしれないが、すでに足利将軍家の影響力は再起不能なレベルに落ちている。過去の失政やしがらみが事あるごとに邪魔をするだろう。
自ら足利家を全否定して、一から再起させるくらいの抜本的な出直しをすれば可能性もなくはないが……。
「将軍に戻ることはないね。幸か不幸か武芸で生きていけるだけの才と実力がある。守護様が管領になりたくないように、上様も将軍に戻りたくなるとはアタシには思えないよ」
エルはあくまでも状況的な可能性として語るが、そこで義輝さん本人の様子を見ていたジュリアが確信ありげに自身の意見を語る。
義輝さんの個人としての心境は恐らくジュリアのほうが理解しているだろう。エルは全体と可能性で語るが、ジュリアは義輝さん個人を見ているからね。
「なるほど。あの様子では尾張に来るであろう。将軍になど戻りたくならぬというのもわかるの」
あーぁ、義統さん。そこで考えるまでもなく納得して同意しなくても。オレたちも織田の皆さんも、そんな義統さんが、好きだけど。ここで自分が管領になって天下をと狙える位置にいると考えるのが、この時代では機に敏な優れた武家と呼ばれるのに。
まあ管領になんかなれば、確実に生活のレベルは落ちるが…。清洲城のレベルの食生活は管領になると無理だろう。少なくとも温かい食事はなくなる。
清洲城だと普通に温かいものは温かいうちにと食べているからなぁ。
足利義藤。足利義輝の改名前の名前。
名前としては義輝の方が有名で、一馬は義輝と認識しているが、現状の名前は義藤。














