第六百七十五話・近江の地
Side:久遠一馬
西美濃を進む一行には、是非、我が城に来てほしいという誘いが後を絶たない。基本的に効率重視で宿泊地はこちらで決めているが、それでも挨拶にと馳せ参じる者も当然いる。元の世界でもそうだが、お偉いさんとの挨拶にどれだけの時間を自分のために取らせたかを重視するから、引き留めが酷い。
まあ雨が降ったりすると近隣で雨宿りすることもあるし、予定通りいかないのもこの時代では当然だ。
それでも旅は順調に進み関ケ原と今須宿を過ぎると近江に入る。
「某、蒲生藤十郎でございまする。この先はお任せくだされ」
近江に入ってすぐに出迎えがいた。しかも大物だ。蒲生藤十郎定秀さん。六角家の重臣の中でも管領代である定頼の信頼厚い人だ。史実で六角六宿老と言われた蒲生賢秀の親父さんになる。
出迎えに来るような身分ではない。とはいえ北近江三郡は浅井家の大敗でまだ揺れているからね。生半可な人がくると、一悶着あるかもと不安もあったんだが。
六角家から使者として尾張に来た後藤さんもオレたちと同行していて、蒲生さんと会ったことでホッとしている様子でもある。実は今回の旅には浅井久政と家臣たちが一緒に連行されているんだよね。なにかあれば大変なことになると随分気を使っていた。
「良しなに頼む」
義統さんが軽く挨拶をして一行は蒲生さんの護衛で一路観音寺城に向かう。
特に代わり映えのしない景色だ。山か原野か田んぼがある景色が続く。たまに立派な建物があれば寺社だったという程度。
しかし、今須宿を離れると一気に道が悪くなった。
極論で言えば、人が一人と馬一頭が歩ければ、街道に支障がない時代だ。織田領は西美濃を含めて、周囲の草を刈ったり、道の凸凹を改修したりと、整備を賦役で行なっているし、気の利くところでは、領民が自発的に保全作業をしているところもある。無論、村の近くだけだが。
それと比較すると今須宿を離れた途端、人と馬が踏みしめた跡が道としてある程度だった。季節的なものもあるのだろう。雑草なんてすぐに伸びるからね。
まあオレも尾張、美濃、三河に伊勢と関東も行った。正直言えばどこもこんなものだ。たださすがに東山道は人がすれ違える程度の広さがあるところもある。山道は獣道程度のところもあるが。
「おお、あれが近淡海か!」
代わり映えのしない景色が変わった時、一行から驚きとも喜びとも言える声が上がった。太田さんはその正体を口にして嬉しそうに笑みを浮かべている。
近淡海。元の世界で言う琵琶湖だ。太田さんはさっそく慶次にスケッチを頼んでいる。
余談だが太田さんの道中記などは織田家では人気で今回も記録係として来ているが、太田さんの指名で慶次が同じく記録係として同行している。メルティ仕込みの写実的な絵が人気なんだよね。
思っていた以上に大きいなとオレでさえ思う。戦略的にも重要な琵琶湖は水運を担う湖賊の活動も盛んで近江の力の源泉でもある。元の世界では日本海と琵琶湖を繋ぐ運河を築きたいという話がなんどかあったとされるほどで、早くから確立していた日本海航路と京の都や畿内を結ぶ重要な水運でもある。
「帰ってきた……」
「我が故郷だ……」
蒲生さんが気を利かせて琵琶湖が見えるところで休憩にしてくれた。みんな景色を楽しんでいるが、感極まった様子なのは浅井家の家臣の皆さんだ。琵琶湖を見て涙を流している人たちもいる。
一度の戦で家の命運を左右することなんて滅多にないとはいえ、捕まったら終わりだ。身分が高いと生かされることもあるし、身代金目当てに生かされることもあるだろう。
ただ浅井家の家臣たちは死を覚悟したはずだからね。織田に捕まった時点ですでに武士としては死んだも同然だけど、それでも生きていれば先がある。況してや、この人たちは単に浅井の戦に参陣しただけで、変な謀や策に関わっていなかったから、近江に返されるのだから。
近江に入ってしばらくするとエルたちのために輿が到着した。ここまでは馬に乗ってきたんだが、六角家が気を利かせたらしい。輿が使える、つまりここから路面状態はともかく、道幅が格段に広くなる。六角家の権勢と言えるかな。
実は織田家中でも彼女たちの上洛同行には賛否があった。理由は単純に危険だということだ。ジュリアがいかに強くても多勢に無勢では危ういのではとの意見は当然あった。
六角を敵に回しても捕らえたいと考える者がいてもおかしくない。まあ最終的に信秀さんはオレたちの判断に任せてくれたけどね。
エルは単純にオレが心配だったんだと思う。自分と戦闘型のジュリアと医療型のマドカがいれば、最悪でもオーバーテクノロジーを露見させずに尾張に戻れるとの自負もあるんだろう。
信秀さんには『京の町と畿内が見たい』が、理由だと語っていたけどね。多分信秀さんには心配していたことがバレている。
「あれが、観音寺城でござる」
近江に入り幾日か過ぎた頃、六角家の観音寺城に到着した。少し懐かしそうに見ている資清さんの表情が印象的だ。かつての主君の城。まさかこんな形で来るとは思わなかったんだろう。
しかし凄いね。400mほどの山ひとつがそのまま城になっているよ。土塁や石垣もあるんだろうか? たくさんの曲輪が山に縦横無尽に築かれて砦のようなものも幾つもある。観音寺城に関しては去年から改修をしているという知らせが入っていたが、現在も改修しているようだ。
どうも清洲城の大規模改築と鉄砲の成果を知っての改修らしい。史実でもこの前後に観音寺城が鉄砲の対策として改修していたというから、それに準じるものなんだろうが。
「さすがに賑わっているね」
「管領代様は商いの力もご理解されておるお方でございますからな」
正直、近江に入ってパッとしない町や城が続いていたが、観音寺城は別格だ。しかも城下町もあって賑わっている。
清洲と少し似ている気もする。城とか風景ではなく概念というか考え方が。絶対的な籠城を目的とした城というよりは、政治・経済をも考慮したバランスのいい城かという印象だ。
城下には町も整備されていて東山道を行き来する人が立ち寄っているし、家臣の屋敷もあるというしね。
実は史実の安土城が出来るのはここのすぐ近くになる。琵琶湖を押さえて近江を支配するには絶好の場所なんだろう。
「殿、公方様、すでに観音寺城に入られておるようでございます」
一行が城下町に入ると、何処からか忍び衆の報告が入ってきた。蒲生さんと護衛の兵に気付かれないように、人混みに紛れて接触したのか? 凄いな。
資清さんが報告してくれたことを、そのまま信秀さんと義統さんにも報告するように指示を出す。信長さんは、いつの間にかオレの馬の横に自馬を寄せて、聞き耳を立てていたので、目配せだけだ。
しかしまあ、本当に信秀さんたちに会うために観音寺城まで来たんだね。足利義輝は。
将軍が表向きは従属者である守護やその臣下に会うためにわざわざ出向くなんて驚きだ。もっともそれを言うなら将軍が京の都に入れないことも驚きだけど。史実を見ると足利義輝は権威と権力にもっと執着するかと思ったんだけどね。
なんというか足利将軍家の者としての責務というか義務で動いてはいても、本人自体はそこまで頑なではないらしい。
そういえば卜伝さんがちらりと言っていたね。武士足利義輝と将軍足利義輝は別なのだと。武芸を好み己の武芸を極めんと努力するのも一面ならば、将軍として考え動くのもまた一面なのだと。
卜伝さんは少し同情的だったようにも思える。武芸の修練の時だけが、義輝を一人の武士に戻す時なのかもしれない。
さて、歴史にないこの対面はどう歴史に影響するのかね。西では大内が滅ぶのも近く、東では武田と今川が生き残りをかけて戦うだろう。
動き出している歴史はオレたちにも止められない。
精いっぱい生きるしかないんだ。なにがあってもね。














