第三百八十八話・本領と尾張
Side:滝川資清
やれやれ。もう歳かの。
蟹江に出来た港の件で忙しい。町の建設も本腰を入れて始まり、多くの人が出入りしておるが、人の出入りがあれば隙が生まれて多くの問題が出る。
他国の間者は当然排除したいが、流れ者をいちいち調べるわけにはいかぬ。
それに坊主どもはこれ幸いにと新たな寺を造るべきだと言うし、津島や熱田や清洲の商人は当然のように己たちが遇されると思っておる。
武士は新しい街と城での役職を期待して動いておるが、皆、己の都合は考えても蟹江、延いては尾張のことを見据えて、考えてはくれぬのだ。
商人に関しては今までの久遠家との取り引きなどから考慮して店の場所を割り振った。まあ商人は湊屋殿が上手く纏めるであろうし、久遠家の力があれば逆らおうなどという愚か者はおるまい。
問題は寺社だった。殿が気前よく寺社に寄進をしておられることから、信心深いのだと勘違いをしておる者が多い。
殿もご自身では神仏を信じておると言うておられるが、少なくとも寺社の坊主はまったくと言っていいほど信じておられぬ。
無論。蟹江にも寺や神社は置くが、普請の費えは各自で出すように言うておるし、決して見栄え良き処に地割り縄張りを許す訳ではない。
それと蟹江では武装も認めず、不輸不入などの特権も一切認めないという前置きをしておる。当然ながら市を開くのも座を持つのも織田家の権利で寺社に与える気はない。
其処彼処の寺社からは不満も聞かれるが、不満ならば来なくても構わぬのだ。少なくとも殿は、そうお考えだ。
蟹江の寺には寺領も与えぬし権限も与えぬ。少し厳しい気もするが、殿は先々には寺社の力を落としたいのだろう。叡山や石山の行動を聞くとわからんでもない。
神仏と寺社は別物だというのが殿のお考えだからな。わしはこの歳まで考えたこともなかったが、今では殿のおっしゃることが正しいように思える。
甲賀の田舎で田畑を耕しておればわからぬことであったが、寺社のやっておることは土豪や国人と大差ない。特に失望したのは本證寺だ。
二言目には仏罰だと領民を脅して従えんとする様子には呆れるしかない。そのくせ、己たちは酒も飲めば女も抱くし博打もしておる。
一向宗は妻帯を認めておるが、それにしても坊主どもの行状は酷い。尾張の武士が大人しく見えるほど好き勝手にしておるからな。
まあ尾張の寺社もそこまでは酷くないが似たようなものだ。単に織田家の力を恐れて命には従うだけマシというもの。
少なくともわしも坊主の言葉を素直に信じる気はもうない。
「殿、お呼びと伺い、罷り越してございます」
蟹江の問題が一段落した頃、わしと望月殿が殿に呼ばれた。
殿の部屋には奥方さまたちも侍女もおらぬのは少し珍しく、殿以外にはロボとブランカしかおらぬ。
「うん。お清殿と千代女殿のことでちょっとね」
少し言いにくそうな殿は言葉を選びながら、わしと望月殿の娘の婚姻の話を始めた。
いかにやら大殿が気にされておられるらしい。お清と千代女殿は奥方様の供として土田御前様などの織田家の女衆の茶会などにも侍っておるが、土田御前様からもふたりの今後を心配されたと洩らしておったからな。
まあ齢も齢だ。わしも案じておったが……。
いかなる訳か殿はこの類いの件になると今ひとつお考えがわからぬ。わしもご本領のことはよくわからぬので、後継ぎが出来るまではこちらで側室は無理なのかと考えておったがな。
しかし織田の若様がふたりを側室として貰ろうてくれるとまで言われたとは。恐らく殿にご決断を促すためであろうが。
殿からはなるべく本人たちに婚姻相手を選ばせてやりたいと言われておったし、それ自体は嬉しく思うておった。
良い家に嫁がせてやりたいのが親というもの。とはいえ女の扱いなど他家に行けばいかになるかわからん。
側室でいいので殿の御側に置いていただいたほうが安堵致すのも確かだ。食うに困らぬしケティ様がた以上の医師はおらぬ。
もっとも望月殿とは両家で互いに嫁に出すことも考えたが、本人たちは殿のお側を望んでおったからな。殿の御考えもあってその話は進めなかった。
「ふたりの気持ちはエルが確認する。オレは八郎殿と出雲守殿の気持ちも確認しておこうと思ってね」
ようやくご決断なされたということか。わしも望月殿も久遠家中に力を振るおうなどと考えておらぬ。いや出来ぬというべきか。船の運用も出来ぬわしらでは久遠家に邪なことを企むなど出来ぬというものだ。
「殿。そういうことは命じてもよろしいのでございますよ」
ただ思わず望月殿と顔を見合わせて苦笑いが出てしまい、望月殿はそのまま殿に進言する。
未だに殿は家臣どころか下働きの者ですら呼び捨てにはされぬ。例に漏れるは慶次郎くらいのものであろう。左様な意向が殿の有り様、しかもなにか仕事があっても命じるのではなくお願いするという殿のやり方に不満はない。
とはいえ本来は臣下にそこまで気を使う必要もないのだがな。
「でもきちんと意見は聞いておかないとさ」
「そうでございますな。側室としていただけるならば、家督について先ずは厳然と定めるべきかと思いまする。某たちは家督に口を出すつもりなどはありませぬが、なに一つ定かならぬのが今の世の中。ご本領の皆さまのご不快だけは避けとうございます」
こういうことを話すのは、元よりそれなりの地位であった望月殿のほうが向いておるらしい。うまく殿に今後の火種にならぬように進言しておるわ。
殿が今後の久遠家をいかがなさるかわからぬが、ご本領と尾張での対立は避けねばならぬか。
もっとも現状でご本領の者たちから不満などを言ってきたことは一度もない。
お互いに季節の挨拶はする。向こうからは珍しい南蛮の酒などを贈ってくれるし、こちらからは茶や干し柿などを贈っておって交流がある。
以前にご本領の家老に人を配さぬ訳を聞いたが、慣れ親しんだ島での暮らしがいいことと、久遠家のご領地がほかにもあって維持が大変だと聞いたことがある。
言い方が適切ではないかもしれんが、久遠家にとって日ノ本で武士であることは必ずしも必要でも大事でもないのだろう。
殿が若様に仕え始めの頃に口にされた『織田家に疎まれたら尾張から出ていけばいい』というお言葉も、ご本領があってこそというもの。
まあ織田家としては出ていかれては困るゆえに、いろいろ心配をしておられるのであろうな。
「そうだね。その辺は決めたほうがいいか。オレとしてはもう少しふたりには何かに捉われずに生きるひと時を与えたかったんだけど……」
「そのお気持ちだけで十分でございます」
殿の本音にわしは心から感謝して頭を下げた。
織田の大殿は、殿と我ら日ノ本の者は生き方が違うと言うておられたが、この件がまさにそうだった。
殿は娘たちには、好きに人を選び考え遊ぶ時を与えたいと考えておられたのだ。
以前一緒に酒を飲んだ時に殿が零しておられたことだが、殿はご自身が奥方様たちに選ぶことをさせてやれなかったと悔やんでおられた。
娘たちに対する扱いにはそれが関係しておるのではとみておる。
縁談が悪いとはわしには思えぬが、殿はそれぞれ個々の気持ちを本当に大切にされるのだ。
ただ奥方様が多い割に女の扱いには慣れておられぬし、女の気持ちも理解しておられぬがな。久遠家の立場を考えるとそれも致し方ないと思える。
とはいえ胸の痞えを撫で下ろしたというのが親としての本音か。
織田の若様がもらってくださるのならば悪い話ではないが、お清も千代女殿も今の久遠家の暮らしを楽しんでおる。
奥方様たちのご様子をみても思うが、女の身で幸せになるには久遠家以上の御家はあるまい。
多くを望まぬ。いずれ殿と娘の間に出来た孫でもこの手で抱けたらそれでいい。
しかし殿も器用に見えて不器用なのだと改めて思うな。














