第二千二百三十六話・六角の始まり
Side:春
蒲生殿から急遽、助けを請われた。管領代殿が根を詰めすぎていると。
「冬、どうなの?」
「鬱病ではないよ。ただ、これ以上の精神的な負担が増えるのは望ましくない」
あらかじめ懸念されていた事態ではあった。私たち四人が近江にいるのも、管領代殿を助けるという理由もある。
「遠慮していたのが裏目に出つつあるわね」
夏の言葉に政治の難しさを痛感する。ただでさえ上様の下での次席は管領代殿と司令のふたりだと言われているのに、私たちが必要以上に動くと政権のバランスが崩れる懸念があった。
管領代殿が尾張の傀儡や代わりに見えたら駄目なのよね。名実共に次席でいないと今の体制は崩壊してしまう。
「どうするの? 春」
「私がなんとかする」
少し不安げな秋の表情が私たちの本音かしらね。私たちだって不安にもなるし間違うことだってある。
でも私たちと管領代殿の違いは、決してひとりになることはないという事実になるわ。成功も失敗も共に分かち合う人が大勢いる。
司令と百二十人のアンドロイドで始めたこの世界での日々は、もう私たちだけのものじゃない。お清と千代女がいて、家臣や織田家のみんなだっているのよ。
「管領代殿はもっと自信を持っていい」
皮肉かしらね。司令と接するに従い、管領代殿は旧来の価値観から変わりつつあった。氏素性も守護の地位も昔ほど役に立たなくなりつつあることを察して、新しい流れに乗ろうと必死だった。
六角家という組織が砂上の楼閣になりうると理解してしまったことで、管領代殿は史実以上に臣下に気を使い孤独な道を進んでしまった。
ネガティブに考えるのは止めよう。私たちがいる時で良かった。ここが戦場でなくて良かった。
あの人は……、新しい世をつくるのに欠かせない人だもの。みんなで助けなきゃね。
Side:蒲生定秀
己の過ちを気付かぬこと、ただただ恥じ入るばかりだ。
六角家が隆盛し御屋形様の権勢が先代様を超えようとしておるというのに、御屋形様はおひとりで苦しまれていた。
「世を動かすようなお方は、かような苦しみを持つのであろうな」
誰に話すでもなく漏れた言葉が、誰に届くでもなく消えてゆく。
頼朝公然り尊氏公然り、天下を束ねたお方でさえ、裏切りや寝返りなどから逃れられなんだ。よくよく考えてみると、今の三国同盟はあまりに落ち着き過ぎておる。
故に……、わしも御屋形様の苦しみに気付くことが出来なんだ。
広間にはすでに他の宿老が集まっておる。皆、いかんとも言えぬ顔をしておるな。そこに曙殿らが入られ、御屋形様が最後に姿をお見せになった。
「済まぬな。己の家中すらまとめられず」
曙殿らへの言葉に力がない。
やはり御屋形様は根を詰め過ぎておられる。他の皆もそれを察し、いかんとも言えぬ顔をしておる。
「構わないわよ。私たちはそのためにいるもの」
ひとつ間違うと六角は潰れる。その重荷を皆が感じる中、曙殿はいつもと変わらず飄々としておられる。
「勘違いしている人がいるみたいだから、言っておいたほうがいいかしらね。私たちは共に歩む者たちを助けるために近江にいるのよ。有象無象の愚か者のためではないわ。これは尾張の御屋形様以下、大殿と我が殿の意思になるわ。共に歩む者を潰さんとする者がいるならば、私たちはただちに尾張に兵を求めるわ」
その言葉に皆が息を呑んだ。常に控えめにされておったというのに今日はいつになく力強い。
「管領代殿が家中の愚か者を潰したいと願うなら戦でもいいわよ。共に一気に六角家中を身綺麗にしましょうか?」
久遠でもっとも武辺者と言われた奥方とかつて聞いた、そのままの言葉だ。
「わしは天下を差配する器ではないのではあるまいか?」
……御屋形様が我らの前で弱音を吐かれた。いつ以来であろうか? 少なくとも先代様が身罷られてからはない。
「降りてもいいわよ。今の地位から。大殿に臣従する? 近江一国の俸禄は安堵するわ。そのうえで近江を捨てるといい。あとは私がしばらく代わりを務めて尾張でやるわよ。上様の許しも得る。なにも案じなくていい。ただ、管領代殿にはまだまだいてもらわないと困るわ。今とは違う役目を担ってほしい」
誰も声を掛けられぬ。今この場で天下が動こうとしておる。もしかすると日ノ本の行く末を左右するほどのことが……目の前で起きておる。
「この件も、皆、勘違いしているわ。我が殿も私たちも喜んで今の役目に就いているわけじゃない。我が殿なんか、争いが嫌いでね。人を従えることすら好まれないわ。そもそも日ノ本がいかになろうが、私たちに関わりがないことよ」
御屋形様の顔が……先代様が生きておられた頃、叱責されておる時のように見える。
「わずかばかりの義理と子や孫のために私たちはここにいるの。でも、それを管領代殿に強要する気はないわ。別の道に進みたいというならば、それでもいい」
そういえば織田の評定では、皆が本音をぶつけるという。出来ぬことは出来ぬといい、望まぬことは望まぬということさえあるとか。
曙殿は、己の立場や体裁を重んじて評定ですら本音を言えぬ我らを叱責しておるのやもしれぬ。
「皆々様は、いかがされたいのかしら? 皆々様にも何一つ強要しないわ。六角を離れてもいいわよ。独立なり織田に臣従でもいい。六角と管領代殿は、皆々様がいなくなっても織田と久遠で最後まで支える。管領代殿がどの道を選ぼうとね。この際、すべてはっきりさせましょう」
家を残すため、今ある地位や立場を残すため、皆、必死なのだがな。故に悩むのだ。それを、すべて捨てて逃げ出してもよいと、公の場で言う者がおるとは思わなんだ。
「逃げるわけにはいかぬ。わしは父上が命を懸けて残した道を捨てるなど出来ぬ」
御屋形様……。
「なら決まりね。皆々様はいかがされる? 今ならば、面目が潰れぬように好きな道に進めるようにするわ。急なことで悪いけどこの場で選んでいただけるかしら?」
抜き身の刃を首筋に突き付けられておるような、そんな感覚に襲われる。皆も同じなのであろう。よくよく見ると汗を浮かべておる者もおる。
我らとて今の世を生きる武士なのだぞ。それが女ひとりに……。
「そういえば、事の発端は山狩りが漏れたことと蒲生家の所領だったわね。その件を先に言っておこうかしら。はっきりいうと、それらは取るに足らないことでしかないわ。皆々様の立場と覚悟をはっきりさせたら、いかようにでもなる。案じなくて結構よ」
曙殿が我らの返答を待つ様子になると、皆で顔を見合わせた。
もっと早く、この決断を先にするべきであったな。恐らく皆の思いは同じであろう。
「我ら宿老一同、御屋形様に臣従致しまする」
合わせるつもりなどないが、一切乱れることなく言葉が重なった。
守護故に従うのではない。六角家に御屋形様に確と臣従をする。まずはそこからだ。六角家が生き残るために最善の道は。
愚かにも今の今まで気付かなんだがな。














