第二千二百十六話・模擬戦を見て
Side:久遠一馬
この夏は、義輝さんと慶寿院さんと親交を深める行事がいろいろとある。ほんと相互理解が必要なことが顕著となったことで、オレもほぼすべてに参加している。
行事の内容は義輝さんの好みが反映されていて、歌会などもあるが少な目で、宴会や茶会の形式はほぼ尾張流だ。
この日は運動公園にて模擬戦の観戦になる。参加しているのは武芸大会でも毎年有力候補として出ている人たちで、事前に志願した人から選んでいる。
周囲、主に武芸大会で一般観覧席となる辺りには、見物している領民や観光客が結構集まった。特に宣伝もしていないが、周囲で見物するのを拒否はしていないからだろう。
年二回の花火を打ち上げて数年、領民はどちらかの花火を見たら帰る人が多い傾向にあるが、畿内や領外からの見物人は両方見ようと長期滞在している人も結構いる。
それなりにお金を持っている人が多く、名のある人もいる。毎年見に来るような常連だと尾張の流儀をきちんと理解して問題も起こさないしね。
近衛さんの手紙には、最近、都に来る者が減ったと書かれていることもあった。権威、地位は未だ京の都にあるが、人の流れが変わりつつある現状に憂いている人もそれなりにいる。
「おおっ!」
試合が動くと観戦している皆さんの声が上がった。武芸大会の常連組はメンバーを固定しているところがあり、一年を通して模擬戦をしているんだ。
本職の役目がある皆さんなんだけどね。早朝とか休日に模擬戦をするんだ。元の世界で草野球をやるようなイメージに近いかもしれない。あれよりは真剣で鍛練という意味合いが強いものになるけど。
参加人数も武芸大会本選以外は当人たちで決めていて、いつの間にかローカルルールでの模擬戦もあるそうだ。
武士としての鍛練と他家とのコミュニケーション。そういう意味で大いに役に立っている。これに関してはオレたちほとんど関与していないんだけどね。
「相変わらずいい連携をしてるね」
「そうだね。連携だけでも、どこと戦をしても五分以上に戦えるよ」
武芸ということもあってジュリアと一緒に観戦しているが、模擬戦で向上したのは細かい連携だ。
織田家は、そもそも軍制がこの時代と違うので一概に言えないんだけどね。功を狙っての抜け駆けとかは禁じているし。北畠や六角であっても自軍の主力は家臣や国人たちなので大きな意味では連合軍のようなものになる。
なにが難しいって、自軍の統制だ。それぞれ独立した家でもあることから離反や裏切りも後を絶たず、史実ではそれで敗れた者たちだって多い。
さらに末端は足軽雑兵や領民主体の民兵だからなぁ。連携して戦うっていうのも限界がある。
ふと周囲を見渡すと顔色が悪いのは警護衆の面々だろう。さすがにこれを遊びだと思っている人はいないんだろうね。
末端まで自分の役目を理解して統制と連携が取れた軍隊。この時代だとこれだけでも恐怖の対象なはずだ。
「ほう、勝ったのは甲斐武田の嫡男か。見事だな。天晴だ」
ちょうど一試合が終わると、義輝さんが勝者を褒め称えた。その名前に警護衆や五山の僧などが少しざわつく。
武田家が東国一の卑怯者という異名は、畿内などでは今もある。領国を失い、戦わずして臣従したことも卑怯者だからだと言われるくらいだ。
東国を見下すことに関しては意識しないでやっているレベルであり、警護衆や五山の僧も同じような認識だったのだろう。
武田義信さんは武官であることもあって、私的に模擬戦をやっている常連のひとりだ。何度も繰り返すことで経験を積んで、今では古参の尾張者と同じレベルになりつつある。
義信さんの見事な試合に驚き、織田が一枚岩になっていることを感じてくれたと思う。
別に彼らを威圧する必要もないけどね。畿内には彼らから情報が伝わる。最早、東国一の卑怯者などいない。その事実が伝わってくれるといいんだけど。
Side:久我晴通(近衛種家の弟)
顔色がようないのは五山の僧と警護衆か。
ここは五山の権威ですら及ばぬ地。警護衆は、己らが上様の信を得て集められたわけではないとようやく悟りつつあるか。
尾張では争いのなき国の妨げとなるは寺社だと言われるからな。仏の弾正忠の温情か、潰されることは稀だが、いかな寺社であっても歓迎されず厚遇もされぬ。
代々の将軍を支え、その功と権威もあって今がある五山だが、上様は五山よりも尾張を頼りとされておられる。京の都すら疎まれる上様に、次に疎まれるのは己らではないのかと案じておるからな。
もっとも、今のところその懸念はあまりない。尾張は自ら天下を治める気はなく、自らが久遠に習った新しき政を上様の治世に用いることで支え、その力を示しておる。
幸か不幸か、久遠の政はとにかく人がいる。主君の下に力を集め、勝手なことを出来ぬ政をする。家職とそれを私利私欲とする者を嫌い、所領も廃し、皆で土地と国を治めようとするのだ。
五山といえど私利私欲に走ればいかになるか分からぬが、従い働くうちは捨てられまい。
これがいかほど上手くいくのか知らぬが、困ったことに京の都と朝廷には同じことが出来ぬ。公卿や公家はもとより、寺社や武士も己が力を守り高めることしか頭にないからな。
もっとも公家は左様な余裕もない者が多いが……。
内匠頭が畿内に関わるのを拒み、変えるなどもっての外だと言うた理由も分かるというもの。京の都でかようなことをやれば戦となり末代まで残る恨みとなろう。
見方を変えると、京の都は捨てられたのだがな。
変えてやる義理もない。己が力で争いがなく豊かな国をつくれる以上、東国にとって長きに渡る因縁ある朝廷と京の都など要らぬというのは吾でも分かること。
今はまだ兄上が尾張と上手く通じて誼を保ち体裁を維持しておるが、甥の関白はあまり理解しておらぬ。
人のよい御仁なのだがな。内匠頭は。今も院や主上を気にかけていて、尾張が京の都への献上を続けておるのも、あの御仁がいるからだと言う者もおる。
温和に見える武衛殿が、実はもっとも厳しいようだということもあまり知られておらぬほどじゃからの。
武士も民も変わり、公家でさえもこの地に住まう者は変わりつつある。
京の都の者らは一時の隆盛だと笑う者が今も多いが、果たしてそうなのであろうか? 先日の熱田然り、今の武田然り。
過ぎ去りし日に戻ることなどないのではないのか?
まあ、吾も京の都のことより己が家と近衛家のことくらいしか手が回らぬ故、あとはいかんとも言えぬがな。














