第二千二百六話・人は変われるのか?
Side:六角義弼
屋敷にある珍しいものを見せると庭を歩いておるが、案内する内匠頭殿が恐ろしゅうてならぬ。
人が人を見抜くことも察することも出来ぬと言いつつ、この男はわしのことを見抜いておったのではないのか?
父上も、なにを考えておるのだ? わしよりこの男を信じるというのか? いや、この男はまことに人なのか?
「一馬のことが気になるか?」
「……多少はな」
若武衛殿の言葉に否と言おうか迷いつつも言えなんだ。意地を張っておるとみられると愚か者と思われる。それだけは嫌じゃ。
「良かったの。こやつが見捨てると誰も助けぬぞ。安房の里見や堺のことは聞き及んでおろう? 孤児や流民すら助けるほど慈悲深い男じゃがの、妻子と臣下を傷付けられるのは他の者より嫌がる」
わしは危ういことをしたのか? 若武衛殿がすぐに謝罪に出向くほどのことだったと?
「誰にだって譲れないことはありますよ」
ああ、左様だな。とはいえ、己が意思を貫く強さがあるのは事実か。内匠頭殿の横顔を見ると、強そうには見えぬがな。
恐ろしゅうて声もかけられぬ。そう思うておると、庭におった幼子らが駆けてきた。
「とのさまだ!」
「わかぶえいさまもいる!!」
内匠頭殿の子か? いや、殿様と言うたな。ということはこやつらが食わせておるという孤児か。
「みんな疲れたら休むんだよ。あと麦わら帽子はちゃんとかぶって」
「はい!」
幼子とは恐れを知らぬなと思うておると、まるで仏のように穏やかな顔で子らの汗をぬぐったり、頭にかぶっておる見知らぬ形の編み笠を直してやったりしておる。
若武衛殿もまた、楽しげに声をかけておるな。
わしは近習以外の子と話したことなどない。
「ちちうえ、おしごと?」
「うん、あとで散歩に行こうな」
「うん!」
……なんと!? 内匠頭殿の子もおるのか? どの子が実の子でどの子が孤児か見ただけでは分からぬわ。
着物も大差なく、振る舞いも見分けがつかぬ。
そのまま子らと別れて目当ての場にたどり着いたが……。これは……硝子か?
「ここは温室と私たちは呼んでいます。中に入ってみてください」
硝子で屋敷を造ったのか!?
「……暑いな」
何故か、外より暑い。夏場でも滅多にないほど暑いわ。それよりもこの硝子だ。わしも尾張に来るまで見たことがない硝子の板で屋敷を造るとは……。
贅を凝らすことは好まぬと聞き及んでおったが、違うらしいな。
「気付きませんか?」
あまりに暑い故に外に出たいと思うておると、内匠頭殿がわしにまたわけの分からぬことを言い出した。
「人を見抜くなんて無理ですけどね。状況を確と見て考えることは重要なのですよ。なぜ、ここは暑いのか。なんのためにあるのか? 別に私が贅沢をするために造らせたわけじゃありませんよ」
知らぬわ。己が賢いと自慢でもしたいのか?
「まあ、そうすぐには理解するのは無理であろう。あまり城や屋敷から出たことがないのであろう?」
「それは、当然ではないのか?」
若武衛殿もか。寄ってたかって、わしを愚か者と見下しおって。
「尾張ではもう何年も左様な者はおらぬぞ。子は学校や寺に学問を学びに行く。武士の子もな。多くの者と話し共に学ぶ。当然わしもな。わしの今あるのは一馬と奥方のアーシャのおかげじゃ」
若武衛殿の言葉に苛立ちつつ、努めて平静に聞き入れようと思う。
気に入らぬところはあるが、ここで不興を買えば噓偽りなく廃嫡にされる。この者らに逆らってはならぬのだ。
「何故、主筋が臣下にそれほど配慮する。久遠が別格なのは認めるが……」
「おっと、そこから教えねばならぬか。坊主に教えを受けるようなものじゃ。坊主より高徳で慈悲深い者を軽んじるほうがおかしかろう? 教えを受けるのだ。相応に頭も下げる」
久遠とは武士ではないのか? 確かに近江でも皆が気を使い、配慮をしておるが。公方様ですら配慮をしておると聞き及んだこともある。
「若武衛様、私は仕事に戻りますので。あとはお任せ致します。帰る前に茶でも共にしましょう。その時にはお声掛けください」
「それはよいの」
内匠頭殿と大智殿と曙殿がそのまま去ると、正直、安堵する。共におるだけで寿命が縮む思いなのだ。
「随分と楽しげだな」
あれもこれもと、わけが分からぬ。されど、一つだけ言えるのは、羨ましく思うことだ。
察しが悪く、なにかあると怯える近習などとは違う。若武衛殿にとって内匠頭殿は心許せる男なのだ。それだけは分かる。
「ああ、楽しいぞ。そなたの見ておる世も、ほんの少し見方を変えると楽しゅうなるはずじゃ」
いかに受け止めるべきか。己の中の苛立ちと怯えが収まらぬ。
まあ、いい。今は、この温室とやらだ。内匠頭殿はなにを考えてここを造らせたのだ? その程度のことは、己で見抜いてやるわ!
Side:蒲生定秀
ただただ、頭が下がる思いだ。
御屋形様も口には出されなんだが、尾張が廃嫡を理解すれば、それで終わった話であろうに。愚かな同盟者を育てるなど、酔狂に過ぎると思うわ。
「下野守、そなたは知っておるのか? ここの意味を」
「はっ、某は幾度も尾張にて学んでおりまする故に」
ああ、若殿が他者に言われるがままに学ぼうとされるとは。人に命じられることが嫌いで、教えを受ける際であっても、師となる者を己の思うままにしようとするほどなのだが。
内匠頭殿にしては珍しく己の力を示したのは、若殿の御気性を察した故にか。
「まあ、ここは冬に来たほうが分かりやすいのじゃがの」
「冬? ここは冬も暑いのか?」
「うむ、冬にみたほうが驚くぞ」
若武衛殿は四郎様の心を折らぬように気遣いがある。いくら六角家嫡男とはいえ、最早、力の差は歴然。かような気遣いをしていただくほどでないというのに。
「中は草木がいろいろとあるな。冬に暑い庭を造ったのか?」
暑そうにご不快な顔を僅かに見せつつ、若殿は中をくまなく歩き始めた。
ふと、わしはすっかり大人しゅうなった慶次郎を見た。役目が終わったと思うたのであろう。あまりやる気も見えず、あくびをしておるわ。
「此度のこと、まことにかたじけない。若殿はあの御気性故、いかに思うか分からぬが、わしはこの借りを決して忘れぬ」
「それは嬉しいお言葉でございますなぁ。下野守殿より左様なお言葉を賜るとは。滝川一族郎党が困った際には大挙して押しかける故、お頼み申す」
「くっははは。そなたは相も変わらずか」
このへそ曲がりめ。自ら命を懸けたかと思えば、かような戯言を言うてしまう。ただ、それ故に内匠頭殿の信も厚い。
「皆で助けていかねばな。寝覚めが悪うなる」
「左様でございますな」
旧主への配慮、斯波織田久遠への忠義、誰よりも負けぬものがある。にもかかわらず立身出世は要らぬと拒む。おかしな男だ。
慶次郎にとっては、若殿の一件も童の躾程度にしか考えておらぬのかもしれぬ。
それもまたよかろう。欲や打算で忠勤に励む者も世には多いのだ。へそ曲がりの忠勤も認めねばなるまい。
ただ、つくづく惜しいことをしたな。滝川家が近江に残っておれば……。
◆◆
永禄五年六月、蒲生定秀が尾張に滞在中の様子を、主君六角義賢に送った書状が現存している。
その書状によると、この時は将軍足利義輝の花火見物の供として六角義弼と共に尾張を訪れていたのだが、義弼に尾張を見聞させるという目的があり、あまり出来がいいとは言えなかった義弼の指導教育のためでもあったとある。
尾張滞在中に義弼が滝川秀益を侮辱するような発言をしたことや、それに絡んで手合わせをしたことなどが克明に書かれている。
義賢は義弼を廃嫡も含めて考えていたという資料もあり、彼の若い頃の人となりが分かる逸話である。
ただ、義賢は義弼の処遇を久遠家に相談してあると読み解けることが書状に書いており、今回の尾張滞在中のことは久遠家の監督下でのことで黙認されたようである。
書状の中で定秀は久遠と滝川には大きな借りが出来たと書いており、後に別の機会に秀益を絶賛している。














