第二千二百一話・踏み出す一歩
Side:斯波義信
四郎殿を見ておると、昔を思い出す。織田に気を使うてばかりの父上に苛立っておった頃をな。
己の見える世と周りが違うのじゃ。訳が分からぬまま世を恐れておる童そのもの。権威なり血筋で従えようとしたところで一時のものでしかない。
無論、一馬は慈悲深い男だ。故にあやつにも慈悲を与えよう。じゃが、此度はわしの出番だと思う。
故に、わしは一馬の下を訪れた。
「若武衛様が案内をされるのですか?」
一馬は僅かに驚いた顔をしたが、エルと春は笑みを浮かべた。ふたりはわしが考えることをすぐに理解したのであろうな。相も変わらずよ。
「うむ、管領代からはいろいろと見せてよいと許しがあるのであろう?」
「ええ、すべて任せると許しを得ておりますが……」
慎重な男よな。一馬もまた理解したが、それでも改めて考え込んでおる。この慎重さがこの男の恐ろしきところよ。己と奥方衆ですべて動いてしまえば、今頃、日ノ本を平らげておるのやもしれぬとさえ思う。
されど、それでは後が続かぬ。この男のような者は二度と出て来ぬのではないか? わしはそう思うておる。
「そなたではあやつと遠すぎる。一日やそこらで理解するのは難しかろう。愚か者の相手は愚か者が一番というもの」
「またまた~、困りますよ。若武衛様に左様な言い方をされると。誰もそのようなことなど考えておりません」
戯言のように笑う一馬に、思わず苦笑いを見せてしもうたかもしれぬ。
そなたや奥方衆と比べれば、誰もが愚か者となる。父上と弾正と尾張介くらいではないか? 曲がりなりにも共に歩めるのは。
「ものの例えじゃ。わしもたまには功を上げたくてな。父上の後を継ぐ前にな」
そこまで言うと一馬は、エルと春と顔を見合わせ笑みを見せた。
「ならば、慶次をお連れください。お望みの場にお連れ致しますから」
「うむ、分かった」
何故、そなたが神仏の使者と、今でも信じる者が多いか当人は分かっておらぬらしいな。
力なき者と愚か者を救うからじゃ。権威にも武威にも屈せず、ただ、己が目で見極め、人を救うてしまうからなのじゃ。
これ以上、仏に近づきたくあるまい?
なれば人として動かねばならぬのじゃ。わしのような者がな。
Side:滝川秀益(慶次郎)
まさか六角の嫡男を、身分を偽った形で町に出すとはなぁ。尾張では珍しきことではないが……。
されど、若武衛様の供として望む場に案内せよとは、殿も難しきことを望まれる。オレ好みの役目だがね。
「滝川慶次郎にございまする」
「……そなたが、今弁慶か?」
挨拶すると驚いた顔をされた。
こいつは童だなぁ。城から出ず、近習以外とは腹を割って話したこともあるまい。人を斬ったことすらあるまいな。家柄、血筋、己の力、どれも過信していそうな顔をしておるわ。
まして滝川家にとっては旧主だ。いかに思うのやら。
「古いことでございまする」
「面白き男故、一馬から借りてきた。せっかく尾張に来られたのだ。四郎殿に面白きものをお見せしようと思うてな」
近江が揺れると天下が揺れるというのに。若武衛様にしては酔狂にも思える。六角のことは六角に任せるべきでは? 少なくとも斯波家は動かぬほうがよいと思うが。いかほどお考えなのだ?
「良しなにお頼み申す」
少し思案した四郎殿は若武衛様の誘いに乗ったか。そのまま四郎殿が若武衛様の下から辞すると、若武衛様の近習が少し安堵したのが分かる。ひとつ間違うと六角と斯波の先々に禍根を残すからなぁ。
オレの身分で余計なことを問えばお叱りを受けるか? いや、問わねばならぬか。我が殿も問うたのかもしれぬが、いささか甘いからな。我が殿は。
「若武衛様、某が口を出してよいことではございませぬが、よいのでございまするか? 御身が恨まれることになれば……」
「皆で助けていかねばなるまい。わしもかつては助けられた身。恩返しの時と思うたまで。とまあ、言うてみたものの少し案じるところもある。頼んだぞ。慶次郎」
「ははっ、お任せくだされ」
確かに助けていかねばなるまい。六角を戦場で討つことを望まぬならばな。
戦に出ることは減ったが、武士たる者、常に戦場の覚悟は要る。若武衛様にそのお覚悟あるならば従う以外の道はない。
とすると、支度をするかね。四郎殿に明日という夢幻を見せてやらねばならぬ。
Side:蒲生定秀
情けが身に染みる。乱世を生きた身故に分かる。なんと情け深く甘い者たちか。
「下野守、この国は変わっておるな」
織田から借り受けた着物に袖を通された若殿は、いかんとも言えぬ顔をしておる。戸惑うておられるのか、六角と御身を軽んじたと思うたのか。まだ分からぬが。
あまりよい様子ではないな。
「戦をせずに大きゅうなる国でございますれば」
「仏の国か。戯言ではないのか?」
「戯言ではいけませぬか?」
思わず返したわしの言葉に明らかに不快そうな顔をされた。言葉の意味を理解出来なんだか。されどな、戯言でもよいのだ。人々が明日のために生きられるならばな。
民が欲しておるのは、僅かばかりの戯言なのかもしれぬのだ。
「若殿、先代様のご遺言を頭に入れて今日一日お過ごしくださりませ。先代様が願い、叶わなんだことでございますれば……」
「そうであったな。祖父上の最後の願いであったな。供養のつもりで尾張を見聞するか」
さすがにまずいと思い先代様のことを告げると、若殿もご機嫌を直され神妙な面持ちとなられた。今でもあのお方は六角を守り導いておられるな。
「祖父上はこの国になにを見ておられたのか」
それはわしにも分からぬ。されど、内匠頭殿と奥方衆は先代様が見ておられたものが分かるのではと思える節がある。
此度のこともそうだ。すべて先代様が導かれ、内匠頭殿と曙殿が応えたのではと思えてならぬ。
五年、曙殿が御屋形様に約したとされる若殿を一人前にする年月。あの話を若殿が聞けば、いかな顔をされようか? 童ではないとお怒りになるかもしれぬな。
なれば内匠頭殿は? あの御仁が若殿の立場だとすると笑うて承ったと言うであろう。申し訳ないが、器が違う。確かに若殿は今のままでは六角家を治められぬ。
御屋形様が世継ぎを外すことも覚悟して曙殿らを頼ったのは正しかろう。
若殿はなにを望まれるのであろうな? 己が力で管領代を継ぎ、天下を治めたいのか?
比べてはならぬと思うがな……。














