第二千百九十三話・甲斐の夜明け
Side:武田信虎
躑躅ヶ崎館まであと半日ほどというところで休息をとっておると、変わらぬ山々と田畑に甲斐を追放される前を思い出してしまう。
されど、民の様子はあの頃と違う。尾張ほどとは言わぬが、あの頃よりも民の顔つきは悪うない。
飢えに怯え、争い地獄のような地に思えたが、今は明日に光明を持ち生きておるように見える。
「さすがよな、兵部」
わしが兵部に声を掛けると周囲が少し息を呑んだのが分かる。
厄介なこと故、難儀するかと思うたが、すぐに甲斐入りを整えおった。この男も昔とは違うということだ。
「畏れ多いことでございます」
「互いに、これ以上恥は晒しとうないの」
皮肉か。今なら兵部を信じることが出来る。これで、ようやくわしは己の始末を終える。
躑躅ヶ崎館に到着したのは夕刻に差しかかる頃だった。
ここはあの頃のままだ。良きこともそうでないこともあった。門を見つめ、しばし時が過ぎた頃、馬を下りて己の足で館に入る。
「そなたは……」
出迎えの者らの顔ぶれも変わったが、ひとりだけ見覚えのある下男がおる。
「ご無事のお戻り、祝着至極に存じまする」
駿河の娘に会い行くために、ここを出た日、見送りにおった者のひとりだ。
「久しいな、息災であったか」
「はっ、この日をお待ちしておりました」
随分と歳を取った、その姿に驚かされる。
「体を労り、長生きするのだぞ」
目に涙を浮かべておる目の前の男にわしも感極まる。されど、感傷に浸っておるわけにはいかぬ。
主立った者はすでに揃っておるとのこと。倅に一晩休んで会うかと問われたが、否と答えすぐに会うことにした。
一刻も早く、すべての因縁を終わらせたい。
着替えて身支度を整え、広間へと向かう。
あれから十八年か。
「父上、こちらに」
孫の太郎に続き広間に入ると、次席に座ろうとして倅に止められた。わしに上座に座れというのか?
「すまぬの」
あの日と同じ場で因縁を終わらせる。それもまたよかろう。重臣らに乗せられてわしを追放した倅が、当主に相応しき男になったことがなにより嬉しく思える。
「面を上げよ」
顔ぶれはだいぶ変わったな。穴山彦六郎など幾人かは健在だが、飛騨で苦労をしたのだろう。かつてのような威風ではない。
「十八年前の件、まことに申し訳ございませぬ」
倅の謝罪の言葉に続き、居並ぶ者らが頭を下げた。こみ上げてくる思いは一言で言い表せぬほどある。されど……。
「皆も苦労をしたな。これにて、すべて水に流そう」
なにが間違いであったのか。考える必要はあろう。我らもまた失態から学ばねばならぬ。とはいえ、それは因縁を終わらせてからだ。
もっと憎しみが残るかと思うたが、いざ済んでみると肩の荷が下りた。わしはそのまま倅に上座を譲るべく席を立った。
「前当主として、わしの役目は終わった。あとはそなたの役目ぞ」
促したまま倅が上座に座ると、安堵する。倅が労役として飛騨に流して居る穴山や小山田らの赦免を言い渡すと、すべて片付いた。
すぐさま運ばれてくる酒にて宴だ。
武田家は最後の最後で踏みとどまった。これは誰の功であろうか? 分からぬ、分からぬが感謝するしかあるまい。関わるすべての者たちにな。
Side:飯富虎昌
若い者よりは年寄りのほうが驚き安堵しておるのが分かる。かつての先代様を知る者の中には、あまりに穏やかな様子に信じられぬと言いたげな者もおる。
これで武田家は憂いなく生きてゆける。わしもまた安堵しておる。
古き世から続く生き方がすべて悪いとは思わぬ。されど、そろそろこの乱れた世を落ち着かせるべきだというのは皆が同じく願うところ。
戦に明け暮れたところでそれは叶わず、神仏に祈ったところで世は落ち着かぬ。ならば別の道を探すしかあるまい。少なくともわしはそう思う。
「兵部殿、此度のこと。かたじけない」
静かに飲んでおると、穴山殿から声を掛けられた。この男も変わったな。武田家の同盟者という気位があったはずが、すっかり消え失せておる。
「某は先代様と御屋形様のご下命に従ったまで。礼は不要だ」
「それでも礼を言わねばならぬ」
まあ、飛騨に流罪にした者らは捨て置いてもいいのではという意見も、家中にはあったのも事実か。家としてはすでに許しを与えておったからな。そこらも耳に入ったのであろう。
御屋形様には、わしからすべて戻して許しを与えることを進言した。御屋形様もお考えであったと思うが、誰かが進言せねば許しを与えるというのは難しいからな。
我ながら甘いとは思うが、それが因縁を終わらせるには必要だ。
「これで憂いなく隠居出来る」
ほう、隠居をする気なのか。確かに、常ならばそれが一番であろう。家督を譲り甲斐を留守にしていた。今更戻り、己が家とはいえ政に手を出すと揉めるとは思うが。
とはいえ、御屋形様は隠居をお許しになるのであろうか? 今の織田家ならば、働けるなら働けと命じそうな気もするが……。
まあ、いずれでも構わぬか。わしは武官としての役目がある。武田家中のことには、これ以上関わることもない身故にな。
内匠頭殿や今巴殿には出来ぬこと、わしならば出来る。憎まれ恨まれる者がおることで内匠頭殿らの見据える世に今一歩進むはずだ。
それが武田家の御為、逃げ出したわしが出来る若殿への償いとなろう。
◆◆
永禄五年、六月。武田信虎が甲斐入りをした。
天文十年に追放されて以来の帰国であり、その様子が『甲陽軍鑑』などに残っている。
目的は追放以来残る、武田家中と信虎の因縁を解消するためであった。
甲斐統一をした信虎の帰国に、追放した者たちは恐れおののいていたという記録もあるが、信虎と晴信は因縁を終わらせるための帰国として過去の清算をするために、信虎追放をした者たちや晴信追放未遂に関与した者たちなどを集め、許しを与え和解をした。
場をお膳立てしたのは飯富虎昌になる。武田義信との関係悪化により一時隠居していたものの、その実力を惜しんだ今巴の方こと久遠ジュリアにより請われて復帰して以降、その力量により武田家家中で存在感を示していた頃になる。
信虎の甲斐入りの詳細は残っていない。ただ、言い伝えとしてその場は和やかだったとあり、誰もが因縁を終わらせ家を残せることを喜んだとある。
甲斐統一を果たした力量と、その後の苦難の日々から、現代で信虎は苦労人とも言われる。
武田と今川の織田家臣従後も、今川・小笠原との婚礼のための足場固めをしているほか、織田家中で武田家生き残りのために動いている。
その働きもあって、織田家外務方にて対外交渉に務めていた記録がいくつも残っている。
信虎、晴信と混乱と苦難の日々が続いた甲斐武田家は、この信虎の甲斐入りによって過去を清算して織田家家臣として新たな道を歩むことになった。














