第二千百六十一話・守るべきもの
Side:足利晴氏
今日は心地よき風が吹いておるな。和歌でも詠みたくなるの。
関東を離れ、かように穏やかで心地よき日々を送ることになろうとは。
「関東より文が届いてございます」
またか。せっかくの心地よき時を妨げるとは。忠義もない下郎どもめ。
「あとで気が向けば見ておく」
北条左京大夫も決して好ましいとは思えぬが、それは上杉も他の者も同じ。我欲と己のことしか考えておらぬ。わしを神輿程度にしか考えぬ者など、もう関わりとうないわ。
おっと、かようなことなどいかようでもいい。茶席の支度をせねばの。今日の客は別格じゃ。わしも気を使わねばならぬ相手。内匠頭殿の奥方らを招いておるのだ。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
相も変わらず若いの。まだ十代にしか見えぬわ。されど、今や上様の治世を支えると言われるほど。
「忙しかろうにすまぬの。たまには茶の相手がほしゅうての」
「それほど忙しいわけではございません。女の身であまり出過ぎた真似をしてはお叱りを受けてしまいますので」
誰が叱るのであろうか思うと笑い出しそうになったわ。内匠頭が叱るのであろうか? 近江では叱る者などおるまいに。
まあ、よいか。桔梗殿に教えを受けたまま、わしなりのもてなしにて曙殿らに茶を淹れる。
「いかがじゃ?」
「今日の心地よさにちょうどよい茶に思えますわ」
所作振る舞いも見事。愚かな日ノ本を正すために天が遣わした使者という噂、信じる者がおるのもうなずける。
「にしても尾張は見事よな。争いを嫌うならば争わせねばいいとは思うが、それを成した者はいかほどおろうか」
尾張も美濃も愚か者はおるはず。大人しゅう務めておるのは、一重に従える者の力量と言えよう。誰が命じたところで従わぬ愚か者はいずこにもおるはず。それを従えてしもうたのだ。
「運が良かったのかもしれません」
天運か? いや、左様なものをあてにしておるようには見えぬ。
遠からず関東は飲まれような。近江に来て隣国から織田を見ておると分かる。もう国の在り方が違うのだ。左京大夫は織田と争うくらいなら降るであろう。
上杉は越後長尾を使嗾し上野を攻めておるが、長尾は織田を怒らせぬ程度にしか働かぬ。だが、それでは北条は下せぬのだ。
景虎とやらは戦上手と聞き及び評判は良いが、仏の弾正忠と比べるまでもない男。ただ、それ故に、己の分を弁えておるように思える。
まあ、上杉も北条相手に矛を収める頃合いを探しておろうがな。探しておらねば、若狭管領の二の舞になるだけ。
とはいえ愚かなのは、わしの二人の倅も同じ故、笑えぬがな。あの愚か者どもが。いつまでも臣下に振り回され争いおって。
実は、近江に来てひとつ懸念がある。あのふたりの倅らが共倒れにならぬかということだ。左京大夫は粗末には扱わぬと思うが、倅らの出来がようない。
いっそ三男をこちらに呼び寄せるか?
「たまにでよい。暇な時にでも、また茶の相手を頼みたいがいかがじゃ?」
「ええ、私どもでよければいつでも参上いたしますわ」
あやつらに期待しておれぬな。わしは自ら尾張と誼を深めていかねばならぬ。仏の弾正忠といい内匠頭といい、愚か者であっても見捨てぬと評判故にな。
京の都の公家衆のように捨て置かれては困る。
「それはありがたい。代わりというわけではないが、わしに出来ることがあれば、なんなりと言うてくれ。上様の下、争いのない世のため、わしも励もうぞ」
関東などいかになろうと構わぬ。ただ、我が家だけは残さねばならぬ。なんとしてもな。
Side:久遠一馬
尾張に戻って二日ほど休みを取った。
子供たちと遊んで牧場で孤児のみんなと農作業をしてと楽しいお休みだった。
最低限の決裁は残っていたものの、仕事自体は溜まっていたとは言えない程度にしかなかった。織田家の統治機構は年々進化している。
「へぇ、新しい装甲大八車か」
仕事を再開して数日、清兵衛さんが面白いものをもってきた。前に試作していた装甲大八車の改良型だ。
「これ、鉄砲防げるの?」
ただ、試作型より明らかに装甲が薄くなっている。というか木材と竹を組んだだけの装甲に劣化しているんだけど。
「鉄砲は防げませぬが、弓や槍、石礫は相応に防げまする。武官と警備兵に話を聞いたところ、領内で鉄砲を使う賊は滅多におらぬと聞き及びました故に、こちらを作りましてございます」
ああ、そういうことか。対鉄砲の装甲大八車は、相応の戦じゃないとオーバースペックだからなぁ。スペックダウンしたのか。
「エルどう?」
「いいですね。こちらのほうが使い勝手はいいかもしれません。鉄と違い錆びませんし……」
分解して矢盾にも使えるし、組み立てると装甲大八車になる。しかも装甲を薄くしたことで軽くなったし一台当たりの製造費も安くなったみたい。
ほんと経済的にも実用的にもいい。
「報告上げておくから、武官と警備兵のところにいくつか届けてみて」
「はっ、すでに支度をしております」
これ工業村の外で作れるから、量産もすぐ出来るらしい。警備兵で欲しがるだろうなぁ。
日本は山とか多いけど、人が住むところの大半は平地とか盆地なんだよね。装甲大八車もどの程度使えるかとか配備を検討したら、思った以上に配備希望数が多かったんだ。
そこから具体的な想定使用の確認をして、再検討したらしいね。
無論、鉄砲も防げる装甲大八車もほぼ量産手前まで出来ていて、そっちも武官から先行配備する予定らしい。
正直、この装甲大八車は対処出来ないほどじゃないし、存在を知られたら攻略法を思いつかないほど奇想天外な兵器じゃない。
ただ、鉄砲とか焙烙玉とかと組み合わせると十分使えるんだよなぁ。もともとこの時代も矢盾は普通にあるし。
ほんと頼もしいね。戦の形が史実とどんどんかけ離れているけど。
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装甲大八車一型、および二型。
永禄五年に織田家職人衆が作った量産型装甲大八車になる。
名称は久遠一馬が仮に付けたものがそのまま採用されたとの記録があり、一型は対鉄砲装甲、二型は対弓矢・槍装甲となっている。
試作型をもとに織田家で検討した結果、対鉄砲ほどの装甲がなくても十分だという意見が多かったことで、職人衆が安価で生産性を考慮したものを作り二型とした。
当時は戦乱が続き材木も高かったこともあり、久遠家が各地に植えた青竹を用いるなどして費用を抑えたものになっている。
一型は戦が想定される地域に配備され、二型は主に警備兵が運用した。共に実用に適しており、活躍したという逸話が各地に残っている。
なお、この時に一馬が命名したことが、のちに日本の装甲車や戦車などに命名則として受け継がれており現代まで残っている。














