第二千百三十九話・お花見の宴
ご無沙汰して申し訳ございません。
体調不良が続き、私自身、現在入院中です。
ただ、書籍版、10巻の発売は予定通りなので、どうかよろしくお願いいたします。
電子書籍版も同日発売のようです。
Side:三好家の留守居役
花見の宴と聞いたので雅なものかと思うたが、そこらの祭りと変わらぬな。ただ、この国はあらゆるものが違う。
年始の初詣やいかのぼり大会にも行ってみたが、紙芝居や人形劇という他国ではあまり見られぬものがある。わしは京の都で川原者がやっておるのを見かけたことがあるが、尾張のそれらは京の都では見たことのない物語も数多くあった。
さらに驚いたのは、絵師であろうか。祭りの場で簡素な絵を描き売っておったのだ。若く名のある者でないらしいが、左様なことをする絵師がいるとは思わなんだ。
周囲の賑わいを楽しみつつ招かれた宴を楽しんでおると、声を掛けてくれる者らが多い。酒を注いでくれた者に礼を言いつつこちらも返杯をする。
「尾張はいかがでございますか?」
よう聞かれることのひとつだ。この国の者にとって畿内から来る者は必ずしも好ましい相手ではないようでな。わしのことが知りたいらしい。
「羨ましき国でございますなぁ。争いもなく無理難題を言われることもない。なにより疑心があまりない」
「疑心でございますか?」
それなりの者はわしの言葉を理解してくれるが、若い者は少し驚かれる。目の前の者のように。それがなにより羨ましい。
「畿内では争いが絶えませぬ故。悲しいかな信じられる者は僅かしかおりませぬ」
思わず、我らには仏の弾正忠殿のようなお方がおらぬからだと言いそうになった。
仏と称される武士。よう知らぬ者は不敬であると考えよう。そのうち化けの皮が剝がれると皆が笑うておった頃から数年、化けの皮が剥がれておるのは仏の弾正忠殿ではなく公家や寺社ではないか。
今でも畿内では陰で悪う言う者はそれなりにいる。だが、尾張に来て理解した。我が殿でさえも敵わぬほどの御方なのだと。
考えられるか? 武士も寺社も公家も民も、皆をまとめ争わぬように治めるなど。今の世では帝ですら出来ぬことをしておるのだぞ。
今日のように、同じ家中で宴をすることはいずこの家でもあろう。されど、斯波と織田ほど家中がひとつとなり、皆で楽しむことがあるなどとは思わなんだわ。
三好家は上手くいっておるほうであろうが、それでも家中で不仲やら争いが少なからずある。
今川と武田と小笠原、争うておったと聞き及び因縁があると思うたが、見た限りではそれほど悪うないようにも見えるほど。無論、公の席故自重しておるのであろうがな。
仏の弾正忠の力は戦に勝つ力にあらず。戦を起こさせぬ力というべきか。
この国は……、まことに畿内を飲み込むのかもしれぬ。
Side:久遠一馬
春祭り三日目、織田家主催のお花見だ。
あまり堅苦しさのない雰囲気の中で、少し緊張した様子の人を見かけた。三好家の留守居役だ。尾張は京の都や畿内と別の文化になりつつあるからなぁ。外から来ると驚くし大変だという報告はある。
ちなみに尾張在住の公家衆、彼らは普通に馴染んでいる。自分たちの暮らしや文化を守りつつ、尾張に上手く合わせているんだよね。そういう加減は上手いなと感心している。
正直、身分差があることで心配したんだけど。上皇陛下の元蔵人のこともあったし。ただ、本人たちからすると一緒にされたくないみたい。以前、宴で同席した際にそんなことを漏らしていた。公家といっても、それぞれに立場とかいろいろあるんだよね。
「内匠頭殿、ぜひ食べてみてくだされ!」
エルたちと資清さんたちとのんびりとしていると、前田利家君がたこ焼きを持ってきた。どうしたのかなと思ったら自分で焼いたものらしい。
織田家では武士が料理をすることが少し流行っているんだよね。主に信長さんの影響だと思う。たこ焼きは昔から得意で振る舞っていたけど、最近だと菓子を作って振る舞うこともある。
それを真似して自分で料理を作って親しい人をもてなす人がいるんだ。
「うん、なかなか美味しいよ。唐辛子を使ったのかぁ。よく考えたね」
自信ありげな顔で差し出してくれたたこ焼きはピリ辛醤油味だった。お世辞抜きになかなか美味しい。
利家君、二十歳を過ぎているが、武芸の腕前は評価が高い。ジュリアいわく用兵はまだまだらしいけど。血の気が多い性格はあるみたいだけど、史実のような問題を起こすほどではない。今の織田家だとそういうのには厳しいからね。
ちなみに史実と同様に、おまつちゃんと結婚することになりそうだ。利久さんが文官として活躍していることや織田家の状況が変わったものの、そこは同じだったらしい。
あんまり早い子作りは女性にとって危ないと、ケティたちが指導しているんだけどね。ただ、若い年齢での結婚を否定しているわけではない。
「非常にいい味付けですよ」
「ありがとうございまする!」
エルたちも食べて感想を言うと、利家君は嬉しそうに笑った。
立派な成人だし、もう子ども扱いはしてないけどね。ただ、子供の頃から知っていると、どうしても子供だった頃と同じように接する時はある。特に利家君のようにオレたちに自分から声を掛けてくれると、余計に親しくなっちゃうからね。
社交性があると得だなと思うよ。
まあ、年配者たちなどは、今の若者は覚悟が足りないとか幼いと嘆くこともある。領地にて常に戦と隣り合わせの日々を生きた者と、今の尾張で十代を生きた者では価値観が違うのは仕方ないだろう。
個人的にはこれは仕方ないことだし、悪いことばかりじゃないからいいと思うんだけどね。
余談だが、尾張において礼法は変化しつつある。主にオレたち相手にだけど。身分差が離れていると、通常は下の身分の者から声を掛けるなんてことはまずない。義統さんや信秀さんは今でもそういう扱いを受けている。
ただ、信長さんとかオレたちだと普通に町で声を掛けられることがよくある。オレたちは当初からそんな感じだし、信長さんも公式の場以外では今でも形にあまりこだわらないのは変わっていない。
さすがに服装とかは落ち着いてきたけどね。大うつけと言われていた頃に親しかった者たちには、昔のように親しげに声を掛ける。
史実では年齢と共にそういう振る舞いが減ったのかもしれないが、信長さん以前に尾張がオレたちの影響で変わったからね。
ちなみにウチの子たちや孤児たちは、信秀さんや義統さんにも気軽に声を掛ける。ウチの屋敷や孤児院で一緒に過ごすことが多くて、ウチにいると気さくな態度だからね。幼い子なんかだと偉い人だと理解出来ず、遊びに来るおじいちゃんくらいの認識の子もいる。
さすがに外だと駄目だと教えているけど。
話は逸れたが、今年は利家君のように自分で料理をして振る舞う人なんかもいて、楽しいお花見になっている。
ウチの習慣だと、堅苦しい形式はなくなっているからね。作ってくれる料理を食べるのも楽しみになりそうだ。














