第二千百三十四話・光の陰で
Side:ライラ
工業村は正月休みを終えて活気があるわねぇ。
およそ十年の月日が過ぎているけど、未だに中に入れる者は限られているわ。工業村の中でもさらに奥、銭の鋳造所はさらに厳しい規制がある。
織田家重臣でも大殿のその都度、許可がなくば入れない場所。無論、私も許可を経て中に入る。
「そのままで。作業を続けて」
私の姿に若い者が作業を止めようとしたので、そのまま続けさせる。最近は来ることが減ったけど、一定の品質になるまでは私が主に指導したのよね。
それほど時代を超えるような技は教えていない。素材の配合や細かい技術は教えたけど。そのほうがリアルな銭になるわ。
最近来ていなかったこともあり、ひとつひとつの行程と職人たちを確認していく。
しばらくすると、年配の鋳造頭が少し慌ててやってきた。今日は事前に先触れを出していなかったから驚かせちゃったみたいね。
「いかがでございましょう」
「うん、銭の質は文句ない。新しい子たちもちゃんと技を習得しているわね」
鋳造頭は私の言葉に安堵したように一息ついた。最初の頃は何度も駄目だししたのよね。他の鋳造品と違い、銭だけは半端な品を造ると経済に影響するから厳しくせざるを得なかった。
まして尾張には貨幣鋳造のノウハウなんてまるでなかったし。
今では織田家で褒美として与えている金貨と銀貨、銅銭の三種類を造っており、それぞれにウチで納めている品とそん色ないものを造っているわ。
「十年造り続けたのでございますが、未だに銭は足りぬままとか。世は広うございますなぁ」
「堺銭は相変わらず錫がないから駄目なのよね。他でも造っているところがあるけど、似たり寄ったり。それに大陸から入る銭も倭寇相手だと質が良くないのよ。仕方ないわ」
織田領を出ると未だに貨幣価値は安定していない。寺社などは尾張から得た良銭を貯め込んで、自分たちが貯め込んでいだ悪銭を世に出す。さすがに今では尾張の商いに悪銭を直接使うところはないけど、傘下の商人相手には平然と悪銭を出すのよね。
弱い立場の者に価値の低い悪銭鐚銭を正規の価値で押し付ける。それが神仏の威を借る者たちの真の姿。
結構好きだったのよね。シルバーンにあった寺社の映像とか見るの。実情を知ると嫌悪感が出て見なくなったけど。
「無理はしなくていいから。質だけは落とさないで。厳しいなら鋳造量は減らしていい」
「はっ、畏まりましてございます」
これ以上の貨幣の量産をするなら、今の工房では無理なのよね。ただ、人員の確保から機密の保持と工房の建屋の拡張とかするのは大事になる。
一応、献策はしてあるけど、難航しているのよね。困ったものだわ。
Side:久遠一馬
年末年始の報告が商務奉行に届いていた。概ね予想の範囲内で、経済的には大いに評価していいだろう。
高級品も思った以上に売れている。また庶民向けの品もほぼ用意した正月向けの品は売り切れているほどだ。
「あんまり売れてないのは……、畿内からの品か。いよいよ内需だけのほうが良くなるか?」
思わず本音をこぼすと、エルたちに苦笑いされた。
領内だと遠方でも関税がかからないからな。それに同じ品なら領内産の品が売れる。畿内産というだけでありがたいと買う人がどんどん減っているし。
それでも品物がいいならぼちぼち売れるんだけど、高いんだよね。輸送費と関税が入るから。武士とか寺社が買わないと買う人いないのに買わないんだ。オレも欲しいの以外買わないけど。
珍しい品、領内でまだ生産量が少ない品は相変わらず人気だけどね。
無論、交易を考えると困る。ただ、身分ある人向けの高級品とかは、周防衆が来て以降、領内で作れるようになったからな。
結果として、農産物と金銀銅の塊とか、そういうのがどんどん集まるようになっている。
「初詣も各地で増えたようね」
ああ、初詣の露天市に関する報告もあるか。こちらはメルティが確認しているけど、物売りや屋台を営んだ商人たちは儲かったみたい。
ほんと、領内はどんどん変わっている。
正直、世の中を変えるだけなら、権威ある人がいないほうが早い気はするね。だから革命や戦争が歴史からなくならないんだろう。
そのまま次々と舞い込む仕事をこなしていると、湊屋さんが大湊からの書状を持ってきた。
南伊勢一帯、神宮の一件があっても影響は最小限に抑えられた。いや、影響がなかったと言うべきか? 非難するような人はいないものの、助ける人も少数派だ。
触らぬ神に祟りなし。まさにその言葉の通りになりつつある。
織田家で発信している寺社の真相、内情、それらが向こうでも知られているからだろう。
「北畠家が変わることを喜ぶ声が多いようでございます」
見たくないものはあまり見ないようにして、見たいものを見ようとする。これも生きる術のひとつだろうね。おかげで南伊勢一帯が活気づいているし。
あと中伊勢の安濃津、ここも昨年の師走には、湊と町、治水などで要望が出ている。北畠家の改革に触発されたらしい。
地元からは安濃津に城を欲しいという声すらある。近隣にある無量寿院は大人しいけど、地元の人は心から敬意を抱き信じているというわけでもない。前科者と同じような感じか、神宮の一件で無量寿院に対する警戒心が上がった人もいるみたいなんだ。
それと、例によって西から来る船に対する不満が増している。領外の船は従来のものなので湊に立ち寄りつつ移動するが、まあ、船乗りの素行が悪い。相変わらず上から目線で格下扱いするなんて可愛いもので、騒ぎを起こして捕らえられる人も少なくない。
織田領の人もやられっぱなしなんてないからね。そうすると船を動かす人が足りなくて動けなくなることだってある。代わりの人を求めても報酬や待遇が悪すぎて、まともな船乗りは応じないんだよね。
結果として船が遅れたり、船乗り同士のいさかいが増えたりして、畿内の商人や荷主が不満を持つと。悪循環だなぁ。
「南伊勢の安泰は大きいな。ただ、西がねぇ。ほんと関わるだけ損するようになりそうだなぁ」
湊町あたりだと、畿内者お断りの店は増えている。遊女屋とかまでそうなりつつあるからなぁ。悪銭鐚銭で払いをするし、畿内者が来ると病を移されるなんて噂になったことが原因だ。
まあ、メリットもある。新領地に対する意識は改善しつつあり、北畠、六角、北条など同盟や準同盟地域との関係は深まっているからね。外敵がいることで拡大の一途をたどっている織田家がまとまれているんだ。
ただし、荒れた先進地域なんて、この時代だと周辺にとっては迷惑以外の何物でもない。さらに領民はもっと正直だ。荒れた先進地の領民は争いが少なく繫栄する尾張を妬むと同時に、畿内の権威と血筋などに対して同じことが出来ないことに不満を持つ。
結局、どっちが上かはっきりさせないうちは争いの種は絶えないだろうね。自然の摂理であると思うが、それでも人の業を感じるよ。














