第二百十二話・桑名とジュリアの意外な特技
side:久遠一馬
幻庵さんたちが尾張に来て、そろそろ半月になるだろうか。幻庵さんのおかげで学校は賑わっている。
当初は、中堅から下級武士や豪農に商人の子弟が学校の主な生徒だったが、幻庵さんのおかげで大人も来るようになった。
特に武闘派のような、学問よりは武芸を磨けというような武士も、河越城の戦いで勝った北条家の幻庵さんに学べるならばと来る人が増えたのは本当に良かった。
オレも何度か幻庵さんの授業を聞いたし、ウチの家臣には授業内容を記録させて形に残している。太田さんには、それを学校で使う教本の一つにすべく纏めるのを頼んだ。
内容は多岐に渡る。武士としての心構えや戦の話に、領民を大切にすることなどバランスよく話してくれたみたい。
西堂丸君の方はオレや信長さんと鷹狩りに行ったり、一緒に領内を回ったりしてるね。
佐治水軍とウチの訓練は順調だ。手筒式信号弾を佐治水軍に配備することにして、史実の国際信号旗に倣い簡易な信号旗も決めた。
無いとは思うけど海戦も想定しなきゃならないし、信号旗により簡単な意思疎通ができれば船団の航行・運用がより安全なものになるだろう。
「さすがは大湊の会合衆をしていただけのことはあるね」
「まだまだこれからにございます。今回は感触を確かめてきただけですので」
この一週間ほどで早くも手柄を立てたのは湊屋さんだ。自ら桑名に足を運び複数の商人に尾張移住の話をつけてきたんだから驚きだね。
「桑名はどう? オレも先日ちょっと行ったけどあんまり状況が良くないみたいだけど」
「確かに良くありませんな。連中はいつまでも荷止めを解かぬ織田家に苛立っております」
「桑名の事に関しては、親交が深い願証寺と桑名の関係が少し悪化しておりまする」
もちろん湊屋さんには忍び衆の護衛を付けた。桑名は敵地に近いしね。忍び衆からの事前報告でもあまり良くなかったから。
湊屋さんも桑名の状況が良くないことを感じたんだろう。かなり渋い表情をしている。
同行した忍び衆からは最新の情報がもたらされるが、桑名と願証寺の関係が悪化って何したのよ?
「そこは単純な話ですな。願証寺は単独で織田家と和睦して商いも優遇され人足を派遣することで利も得ている。元々服部友貞は一向宗の坊主であったにもかかわらず。それと比べて商いをしただけの自分たちが苦労をしていることに商人たちが不満なのです」
桑名は北伊勢の国人衆とも関係が悪化していて、更に願証寺とも関係が悪化とは。理由を考えてると湊屋さんがオレの顔色を見てすぐに説明を始めた。
さすがに一流の商人。顔色を見るの得意なんだよね。湊屋さん。
「不満って……」
「中には熱心な信徒も居ますが、大半の商人が願証寺と親交があるのは利になるからです。当然ながら利にならなければ不満が出ます」
「いや、敵を増やしてどうすんの?」
「すでに桑名から逃げ出した商人も何人かおります。某も大湊・宇治・山田などに移った商人を知っておりますので。されど会合衆ともなれば逃げるに逃げられませぬ」
商人って、もう少し賢いと思ったんだけど。
「引くに引けなくなっていると?」
「恐らくは。すでに織田家との仲介をせねば願証寺との関係を見直すべしと公言する者までいるとか」
願証寺って桑名の事実上の後ろ楯でしょ? そこを脅迫するとか商人のやることかよ。さすがに戦国時代だね。商人もえげつないわ。
元々朝廷の御料所を勝手に占有してる人たちでしょうに。というか願証寺に見捨てられたら、桑名なんか六角に攻められて終わりじゃないの?
自分たちの既得権を認めるなら、後ろ楯は誰でもいいってか。
「願証寺は?」
「織田家はもとより北伊勢を勢力下に治めておる六角家も動かぬことで、騒いでも何もできぬと放置しておるようですな」
願証寺の動きを報告したのは資清さんだ。桑名は周りのみんなに放置され始めたのか? 願証寺も微妙な立場と領地だからね。織田と六角に挟まれてるから。
史実を知っているオレではどうしても一向一揆のイメージが強くなるが、現状では争いを避けつつ上手く自分たちの領地を守ろうとしているだけのようだ。
「なら、このまま商人の引き抜きをしていこうか。ただし、桑名に行くときは気を付けて。まあウチの家臣に危害は加えないと思うけど。忍び衆も危険を感じたら撤収させて」
桑名がいかに騒ごうとも現状だとできることは多くないね。願証寺と伊勢の水軍は懐柔しているし。
ウチの家臣に手を出せば、織田に桑名攻めの口実を与えることになることぐらいは分かってるだろう。危ないのは忍び衆かな。身分を明かせない、明かさないことがある。そこは気を付けてもらわないと。
「アタシにも一本ちょうだい」
今夜の夕食はバーベキューだ。エルたちとちょうど屋敷に居た家臣のみんなを誘って庭と縁側でお酒を飲みながら。
幻庵さんたちには清洲城の料理人が食事を作ることも最近は増えている。彼らの腕前もなかなかなんだよ。さすがにエルたちには負けるけどね。
勉強熱心だからよくウチに来ては料理を教わっている。料理と言えば幻庵さん自身とお供の料理人にも教えてるよ。
出汁を取ることや灰汁や臭みを取ることなどを教えたら喜んでたみたい。
「このたれがいいですな!」
この日のバーベキューに一番喜んでるのは湊屋さんだ。実はこの前、酔っ払った時に話していたんだ。美味しいものが食べたくて尾張に来たって。
人のことどうこう言える立場じゃないけど、湊屋さんも相当変人だろう。美味しいものが食べたいからって、隠居したうえに会合衆の立場を捨ててまで尾張に来るってさ。
「オレは塩も好きだけどなぁ」
具材は猪肉と鶏肉に魚と野菜だ。鉄の串も工業村で作ってもらった。
焼いてるのはオレとエルだ。食事の時は身分とか臣下とか関係なく楽しく食べるのが、いつの間にかウチのルールになっている。
元の世界のイメージでは、バーベキューとかは男の出番ってイメージがあるんだよね。それに、ウチでは料理はエル達が先頭に立って作り差配するから、みんな慣れてるみたいだ。実際、一番料理が上手なのはエルたちだからね。
鶏肉なんかは竹串に刺して焼き鳥にもしている。ウチで作ってるエールに焼き鳥がまたよく合うんだ。
タレは幾つか用意した。自家製の焼き肉のタレに照り焼きのタレとかピリ辛なタレもある。
みんなは最近まで塩味くらいしか知らなかったからか、タレが珍しいらしく好評みたい。
炭火でほどよく脂が落ちて香ばしい肉や魚に、少し焦げたタレが絡むとまた美味い。
ああ、せっかくだからご飯で焼おにぎりも作ろうか。
おにぎりはそのままでも食べられるからね。醤油を塗って表面を焼けば十分だ。
「……食べたいのか?」
「うん」
さあ、食べよう。としたらケティがじっと焼おにぎりを見つめていた。熱い視線で焼き上がるのを待ってる。
はいはい。そんなに見なくてもあげるから。
というか。みんなこっちを見てる。みんなも食べたいのか?
仕方ないな。みんなの分も作るか。
「星が綺麗」
「そうだな」
見上げると満天の星が見える。
ここには星の光を霞ませるような文明の光は存在しない。
炭火の赤々とした光でさえ明るく見えるほどだ。月と星の明かりだけで照明なんて無くても、意外に不自由しないもんなんだな。
でも、ケティさんや。口いっぱいに食べ物を詰めてしゃべるのは止めなさい。誰も取らないから。
星空を見たいのかバーベキューを食べたいのか。花よりだんごより更に上をいく『花もだんごもほしい』といった感じか。
「ほう……」
「これはまた……」
気が付くと静かな世界に少し懐かしい音が響いていた。
どうやら少し酔って気分が良くなったジュリアがリュートを弾き始めたみたい。
ジュリアは意外にと言っては失礼だが、楽器を演奏することが趣味になる。元々はギターやピアノにフルートとか、いろいろやってたんだけどね。
前回の船でリュートを取り寄せたらしい。
弾いてるのは未来の曲だね。どうせ何の曲かはこの時代の人には分からないし構わないんだけど。
資清さんとか家臣のみんなはジュリアの意外な趣味に驚き聴き入ってる。
気が乗った時にしかやらないからね。
たまにはこんな夜も悪くない。
――――――――――――――――――
天文17年晩夏。
太田牛一はこの頃から数多くの記録や日記を記しているが、牛一の私的な日記にとある日の夜のことが書かれている。
それは久遠家での夕食時のこと、突然南蛮の琵琶を弾き始めたジュリアに家臣一同が驚いた様子が克明に書かれている。
女ながらに久遠家最強とも言われ武芸の腕前は当時から評判であったジュリアが、文化人の側面もあったことに大層驚いたとされる。
現代に伝わる南蛮琵琶を日本に広めたのは彼女だとも言われている。














