第二千百十六話・暴君と言われた男
Side:武田信虎
昼を過ぎた頃、外務の間にてナザニン殿から夕餉の誘いを受け那古野の屋敷に出向いてきた。
無論、初めてではない。時折、誘われることがある。久遠家では奥方衆も役目があることで夕餉や茶の湯に招かれる者は多いからな。
それにしても、久遠家の屋敷は変わらぬな。贅を凝らしたような品。とりわけ京の都や公家が好むような品がない。硝子やら畳はあるが、必要な品というべきであろうな。
幾度か来て気が付いたが、内匠頭殿はあまり京の都の公家らに興味がないらしい。
「いらっしゃいませ!」
南蛮暖炉にて暖かい広間に案内されると、内匠頭殿の子らが挨拶に来た。
「少し見ぬうちに、皆、大きくなったか?」
来客に慣れており、わしの顔も覚えてくれた。作法は久遠家の習わしに合わせ、大人として接しておけば懸念はない。
「うん!」
「あのね、あのね……」
このまま皆で夕餉だ。子らと話をしつつ待つ。
慣れぬうちは招かれても内匠頭殿と大智殿などと少数で夕餉を共にしたが、本領に行った後からは久遠家の習わしに合わせ皆で食う夕餉に同席しておるのだ。
正直、わしは己の妻子と共に飯を食うたこともあまりない。家臣や国人衆らと宴などはしたこともあるが。
「ほほう、それは楽しみじゃの」
久遠家の習わしは要らぬ気を遣わずともよい故、気が楽だ。ひとり静かに飯を食うことが当然であったが、今ではこれはこれでよいものだと思える。
そんな賑やかな夕餉が終わると、内匠頭殿と大智殿や今巴殿、ナザニン殿やルフィーナ殿と酒をゆるりと飲む。
「実は、少し気になることがございまして……」
多少、酒が回った頃、内匠頭殿がわしの様子を窺うように話し始めた。おおよそ察しはついておる。
「兵部のことでございますか?」
「ええ、まあ。無人斎殿に話す前に誘ってしまったので」
領国を追放されたわしなど捨て置いても構わぬと思うがな。とはいえ、要らぬ懸念を残したくはないか。わしとすると兵部などのことより日に日に大きくなる、御家における内匠頭殿の苦労のほうが気になるわ。
「面白うないところがないとは言えませぬ。されど、武田と今川が織田家に降らねば、わしなど兵部に再び頭を下げられることもなかったはず。そう思うと世の流れ故、致し方ないと思うておりまする」
含むところなどないと言うてもよいが、腹の中まで見抜かれる御仁が並んでおっては安易な嘘は言えぬ。素直に思うままに話すことにした。
「勝手ばかりしておったのは、わしを含めて皆同じ。かつての甲斐は左様な国でありました」
地獄のような国だったとは言い過ぎか。じゃが、わしではあれ以上は出来なんだだけのこと。無念さはあるが、今更、騒ぐ気などない。
そこまで言うと、冷えた清酒を一口飲んだ。
互いに疑心と顔色を窺う者らと飲む酒のまずさは今でも忘れられぬ。比べるわけではないが、この酒の味の素晴らしきこと。喉を通る酒精の味には、二度と戻りたいと思わせぬものがある。
さらに酒の肴にと出された豆腐の美味さで、甲斐などいかようでもよいと思える。
ほんのりと温かく滑らかで、豆の味が確と残るというのに煮ておる出汁の味が溶け込むように染みておる。もとは坊主が作る精進料理の類と同じであろうが、味がまったく違う。
この味ひとつで、寺社を疑い内匠頭殿を信じる者も出ような。
「あれは使える男でございましょう?」
「ええ、助かっていますよ」
わざわざわしを招いたのは、ここのところ兵部の評判が上がっておるからであろうな。時折、わしと兵部の因縁を気にする者もおる。
「頑固者じゃが、愚かではない。それ故、安易に裏切ることもあるまい。この先を思うとよき役目かと思いまする」
正直言えば、兵部のことなどいかようでもよい。東国から日ノ本を統べることを成すためならばな。
「地獄のような世はもうたくさんでございまする」
使える者は使っていかねばなるまい。敵は古より日ノ本を治める者らなのだからな。
仮に武田が京の都に上洛して天下に号令をかけたとて、もって数代。今のように畿内の有象無象の者らが追い落とそうと騒ぐはず。
左様な一時の栄華より……、わしは、世が変わる様をこの目で見てみたい。
それに勝るものはない。
Side:久遠一馬
信虎さんと腹を割って話せた気がする。
すでに過去のことだという言葉はなかった。ただし、因縁にこだわることをしないというのは示してくれたと思う。
「誰でも恨みのひとつやふたつあるわ」
ナザニンの言葉がすべてかもしれない。オレだって元の世界で忘れられない恨みがないとは言えない。
「ただ、恨みは人を狂わせる。それは突然くるかもしれない」
大きな懸念にはならない。そうエルたちもナザニンも判断するが、ルフィーナがそこに一つの警告を口にした。
「そうだなぁ。慎重に、出来ればみんなでフォロー出来る環境が要るな。家老衆に相談しておくよ」
今でも因縁を気遣うことはしている。ただし、あまり触れずに腫れ物を触るような扱いだ。腹を割って話して言いたいことを言うことも必要だろう。あの扱いは意外とされるほうも気を使うからね。
正直、これが働かない人なら、オレも放置するんだけどね。一緒に同じ方向を向いて働く人なんだ。フォローはしてやりたい。
「恨みでございますか……」
「どうかした? 千代女」
「いえ、この件。正しき道はあるのかなと」
同席している千代女さんが考え込んでいる。彼女が悩む、答えはないだろう。許せばいいと言う人もいるだろうが、世の中には許しを悪用する人もいる。
彼女の場合、甲賀の望月家を思い出したのかもしれない。叔父と対立し、叔父は一族により殺された。表面上、それで終わった話だが、叔父と近しい人たちは今でも恨んでいるだろう。オレや望月さんや千代女さんを。
ただ、あの件は甲賀望月家のために必要だった。望月家がこじれてしまえば、六角との関係にまで影響が及んだだろう。
「覚悟はあるはずだ。人と争うとする以上ね。無人斎殿も兵部殿もそれはあったよ」
覚悟、ジュリアの語った言葉はこの時代らしい価値観だ。ただ、物事の真理のひとつだなと思う。ジュリアが飯富さんを誘ったのは、その覚悟が見られたからだろうね。
尾張では、抜け駆けしても功を挙げればいいという風潮はだいぶなくなった。ただ、覚悟を以て動く人は今でも信用されるし評価される。時には命令違反であっても許されるくらいに。
ふたりがいつか和解出来るようになればいいな。甘っちょろい幻想だということは理解しているが。そう願わずにはいられない。
メインでの活動はカクヨムです。
もし、私を助けていただける方は、そちらもよろしくお願いします。
カクヨムにて『オリジナル版戦国時代に宇宙要塞でやって来ました。』と『改・戦国時代に宇宙要塞でやって来ました。』があります。
『オリジナル版』は、2444話まで、先行配信しております。
『改』は言葉、書き方、長期連載による齟齬などを微修正したものに、オマケ程度の加筆があるものです。
なお、『書籍版』の加筆修正とは別物であり、書籍版の内容とは違います。














