第二千百十二話・年の瀬を前に
Side:熊野水軍の者
もうじき年の瀬だというのにあまりいい話が聞かれぬ。理由? 言わずとも皆が知っていることだ。
「なあ、わしら悪くねえよな?」
「ああ、怒らせてもいねえ」
馴染みの者らと酒を飲んでいるが、尾張との間を走る船は出してくれないことになった。それに皆が落胆しておる。怒らせたのは神宮と熊野だよな? 確かにわしらは熊野の水軍と称されているが、一緒に要らぬと言うのは酷いんじゃねえかなぁ。
「祈る者はそんなに要らんってことだと。織田水軍の奴らが言っていたぞ」
言いたいことは理解する。あいつら同じ寺社同士でも争うからな。
「わしらも仏の弾正忠様を拝むか?」
戯言半分、本気半分。そんな顔をした男に異を唱える者はいねえ。伊勢あたりだと本気で祈っているところがあると聞く。生き仏。そんな呼ばれ方してまことに信仰を集めているなんて、信じられねえがな。
まあ、今のところわしらの暮らしは変わらねえ。西から来る船は多いし、織田様がお決めになった海の法を守る間は商いでも配慮をくださる。
寺社を守るのは結構だが、上は戦をしてもなにをしても責を負わねえからなぁ。死ぬのは下の者ばかりで、飢えるのもまた同じ。
「久遠様以前に、久遠船に勝てんだろう」
「鉄砲も焙烙玉も数が違う」
上はいずこまで理解しているんだろうな? 同程度の力ならば祈りや神仏のお力で勝てるのかもしれねえが、端の奴は着の身着のまま逃げ出すぞ。水軍なんぞ船で寝返るだろう。
「大人しく今までと同じでいいんじゃねえのか?」
「十年後、織田様がさらに強く豊かになったらいかがする」
そんなことありえねえ。本来ならそう思うことが尾張は起こる。臣従するなら早いほうがいい。ただ、尾張だと寺社に従う者が嫌がられる。
熊野様に従わないほうがいいのではないのか? そう思う者が増えてきたが、表だって言える者はおるまいな。
そもそも寺社より信じられる武士が現れたことがおかしい。もう寺社など用済みということか?
分からねえ。いかがしたらいいんだろうなぁ。
Side:久遠一馬
「一馬、神宮はなにを考えておるのだ?」
近江から春たちと一緒に尾張に戻った菊丸さんに、開口一番で問われた。正直、オレが聞きたいくらいだ。
「なにも考えていないかと。いいことも悪いことも」
神宮では、いろいろな形やルートで謝罪と関係改善を求める動きは続いている。ただ、第三者を巻き込んで大騒ぎしないだけの配慮を続けている。
この件があって以降、領内の寺社の方たちと話すことも増えたが、総じて言えるのは、まあ、仕方ないねという雰囲気だ。
自ら変わることが難しい神宮と、そんな神宮を支える側の負担。寺社の皆さんは織田領で現実的に信仰と寺社の維持を考えて生きているだけに、なんとも言えない人が多い。
堕落した神宮なんか要らんっていう人も相応にいるが。
寄進という経済支援を続けるならば、あとはいいのではないか。そう言ってくれる人もいた。信仰の自由というわけではないが、寺社も宗派が違えば仲が悪い時代だからね。必要以上に尾張が負担する神宮に違和感がないとは言えない。
近江の奉行衆からは、正式な仲介の嘆願がないうちは静観すると知らせを受けている。落としどころが今のところないので積極介入する人は皆無だ。
「院や主上がお心を砕かれておるというのに、神宮の神職どもは……」
菊丸さんは困った奴らだと言いたげな様子でため息をこぼした。
「無量寿院の二の舞かと逃げてくる民もおりますし、戦かと神宮に集まる牢人もいたそうですが、牢人は神宮が追い払ったようです。しばらく捨て置いてよいかと」
誰かが兵を挙げるかもしれないという雰囲気も少しあった。ただ、神宮は動かないと決めたのだろう。そういう動きを一切していない。
騒がないうちは攻められることもないと知っているからだろうね。現状維持で様子を見るしかないんだろう。正直、オレたちも困っているくらいだ。
「近江のほうが上手くいっているなら構わないさ」
「ですね。迂闊な動きは出来ないでしょう」
菊丸さんが来たということでジュリアとセレスも同席しているけど、ほんとふたりの言う通りだろう。尾張もオレたちも神宮にばかり構ってはいられない。
六角も急激な改革で大変だけど、やはり将軍と政権が揺らがないと大きな争いにならないんだよね。
ぶっちゃけ、お坊さんより職人がほしい。乱世の争いから発展に代わりつつある今、近江でも職人不足があって困っている。当然、こちらも広がった領国を整えるために職人が必要だしさ。
無論、知識層という意味ではお坊さんも必要だけどさ。必要なのはどっちかというと末端で働く真面目な人なんだよね。
上手く働く人もいるんだけどね。中には露骨なまでに権力争いを始めたり、宗派の信仰を押し付けようとしたりして首になった人もそれなりにいる。
太原雪斎さんとか、あそこまで行くとおかしなことなどしないで自身と宗派の立場を得ているけどさ。そこまで出来る人は多くない。
まあ、一緒にしたら駄目なのは理解している。エルたち相手に見事に渡り合ったあの人は間違いなく超一流だから。
「寺社も上手くやるところは上手くやっておりますよ。近頃だと諏訪神社の評判がいいですね」
「ほう、諏訪がな。あれだけ恥を晒せば寺社も変わるか?」
「いや、あそこは竺渓斎殿が一廉の方のようです」
気が滅入る話ばかりだとあれなんで、朗報も教えておこう。信濃がようやく安定の兆しを見せている。仁科の騒動でまとまるなんて皮肉にも思えるけどね。
竺渓斎、諏訪満隣さんがよく働いている。宗教の危機とも思えたのかもしれない。追い詰められて変わったのだろうか?
ただ、おかげでウルザたちを引き上げるタイミングが難しくなったけど。ウルザは騒動の責任を取って辞任するつもりだったものの、佐々孫介さんに止められたしね。
実はウルザたちと一緒に尾張に戻すつもりだった人だ。信濃警備奉行としての役職以外でも、ウルザたちの身辺警護から信濃衆への重しとしても評価が高い。そろそろ戻して出世をさせてやりたいという話があるんだよね。
「神宮も今少し時がいるか」
「それが一番の良策でしょうね」
とりあえず現状の神宮上層部は、隠居でもして人員を一新させてくれると助かるんだけどなぁ。世襲まで壊すと後が大変になるし。
文化、伝統の価値。オレたちばかりじゃない。尾張にいる公家衆や寺社の人たちも残すものは残さないといけないと言ってくれているんだけど。
ただ、これは総論ではという注釈がつく。なにをどこまで残すべきかは議論が分かれる。
織田家では税と予算、使い道をみんなで考えることをすでに始めている。同じ金額でも公共事業をして堤防や街道を整備するのか、寺社に俸禄として与えるのかでは得られるものが変わる。
そこに公私の区別をするという価値観も生まれつつあり、旧来のままの寺社には厳しくなる一方だ。
問題は費用と負担だ。結局、お金なんだ。
世界を知り、宗教というものが国や地域で違うなんてことや、天変地異が人の有無にかかわらず起こると知ると、寺社への疑念が生まれる。
あとはまあ、寺社への信頼度はオレが思う以上にない。個人としてお坊さんの言うことは理解しても、歴史ある寺社になればなるほど寺社という形は疑われるんだよなぁ。あとで報復するのではと。
朝廷もその疑いが強くて現状になっている。神宮はそこを理解していなかった。
「さて、大武丸たちと遊んでくるか。数日で戻らねばならぬからな」
一通り話が終わると、菊丸さんと与一郎さんは子供たちの部屋に行った。
年越しは観音寺城で過ごすから、近江にとんぼ返りなんだよね。
忙しい立場だし、数日の休日ならゆっくり休めばいいと思うんだけど。将軍としての日々を望まないのは今も変わらないらしいね。
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