第二千七十八話・打ち上げの宴にて
書籍版、戦国時代に宇宙要塞でやって来ました。
9巻、6月20日発売になります。
書籍版限定の書下ろしエピソードを随所に入れていて、より広い世界観となるように書きました。
書籍の刊行を続けることためにも、web版の連載を続けるためにも、どうか、よろしくお願いいたします。
Side:久遠一馬
何年も武芸大会をやっていると、予期せぬことがおこるなぁ。木刀が折れるなんて。道具とかきちんと厳選していたのに。
最終日の夜、町も城も武芸大会を終えた祝いで大騒ぎだ。
武芸大会くじの売り上げも、内外からの協賛金も史上最高額になった。まあ、北畠、六角、義輝さんからの協賛金は、後日形を変えて同額以上の支援に変わるんだけど。
悪銭鐚銭回収システムの一環でもあるからね。ただ、今年は北条家と三好家からも協賛金があった。両家にはこのからくり教えてないんだけどね。無論、返礼という形で支援をすることにはなるだろう。
貨幣の質に関しては織田領と近江伊勢は安定している。ただ、そこから一歩外に行くと悪銭鐚銭と良銭が入り混じっていて、問題になっているところもあるが。
正直なところこのくじの売り上げと協賛金は、織田家中でも驚いている人が未だに多い。民や領内の商人ばかりか近隣、越前の朝倉家までお金出しているからね。
お金、特に税は集めるだけでも苦労するからなぁ。武芸大会を開催すると莫大なお金が入るのは何度経験しても驚くそうだ。
そのうえ今年は、義景さんと宗滴さん名義でそれぞれ別に武芸大会に協賛金の提供があった。
越前に知られると騒ぐ人がいるだろうに、こういうことをする決断をするようになったのは、義景さんも史実と変わりつつあると実感する。
まあ、朝倉家は斯波家と因縁があるが、織田家は元同僚というか、そこまで深い因縁があるわけではない。
武芸大会は主宰が織田家だしね。宗滴さんも若くないことから、万が一亡くなることも考慮して、その後も関係改善を続けるための布石として出資したのだろう。
見渡すと身分や立場をあまり関係なく、皆さん宴を楽しんでいる。打ち上げのような雰囲気かな。
少し遠慮したような様子なのは奥羽衆か。離れすぎていて言葉のイントネーションも違うし価値観もだいぶ違うからなぁ。まあ、新参者はそんな人が普通なんだけどね。
ただ、そんな人に積極的に声を掛けている人も中にはいる。
「よき大会でございましたな。某、今年で最後となりまする。そのご挨拶に……」
オレがあちこち歩くと周りが気を遣うらしいし、のんびりと料理とお酒を楽しんでいると吉岡さんが声を掛けてくれた。
そう言えば、そんな話を聞いたなぁ。でももったいないね。毎年本選に勝ち上がれる力があるのに。
「何年も出場していただきありがとうございます。おかげで大会が大いに盛り上がりました」
警護衆に仕官するらしいけど、正直、吉岡さんの活躍を楽しみにしているの義輝さんなんだよね。鶴の一声で出ろと言われて来年も来る気がする。
今年もあった大人部門。いわゆる隠居部門だけど、そっちも人気だしね。その気になれば十年でも二十年でも出場出来る人なんだ。
「弟子らは来年も出ることになりましょう。良しなにお願い申し上げます」
「ええ、楽しみにしていますよ」
ただ、いい顔をしている。後悔はしていないみたいだね。
吉岡さんの扱いに関して、実は義輝さんが悩んでいたのを知っている。義輝さん自身、鹿島新當流、陰流、久遠流がメインになっているからな。今から吉岡さんに習うのはあまり気が進まなかったらしい。
そんな中、警護衆創設にあたり、元奉公衆や幕臣をリストアップしている中で吉岡さんを警護衆に出来ないかという案が浮上した。
ウチにも相談があったので、ウチから推挙した人だ。まあ、正確には石舟斎さんが推挙したんだけどね。人となりも確かで義輝さんを裏切ることもないだろうと言っていた。
本人には伝えていないみたいだけど、仕官するならば警護衆の要職に就任することがほぼ決まっている。
「内匠頭殿、貴殿と久遠家からは多くを学ばせていただいた。改めて御礼申し上げまする」
お酒を注いでくれたので返礼にと吉岡さんにもお酒を注ぐと、それを飲み干し、姿勢を正した吉岡さんに深々と頭を下げられた。
「それはお互い様ですよ。これからもよろしくお願いします」
人から学ぶ。吉岡さんに限らず、オレたちも常に学んでいることだ。それに義輝さんの身辺警護にこの人がいると心強い。立場が変わってもまた会うし、協力していくことになるだろう。
オレの言葉に吉岡さんもなんとなく察しているみたいだけどね。
Side:斯波義信
賑やかな宴の席を見て、ふと幼き頃を思い出す。
争いを避けて傀儡となることを容認していた父上と、家臣らが宴をしている席を見たことがあったのだ。
今のように騒ぐ者もおらず、笑い声が聞こえることもない静かな宴。正直、楽しいのであろうかと首を傾げたことを覚えておる。
左様なことをつらつらと考えていると、太田又助がわしのところにやってきた。
「若武衛様、さっ、一献」
こやつはあの頃からいたな。父上が気に入っておったひとりだ。
「今年は惜しかったの」
「まだまだ未熟故、気を引き締めて鍛練に励みまする」
又助が未熟となると他の者の立場がなかろうに。かようなところは主である一馬と似ておるな。謙虚が過ぎる。
いずれかと言えば、仕事が出来過ぎる故に敗れたのではあるまいか? 久遠家家臣は又助に限らず仕事が多い。無理をしておるようには見えぬが、武官のように武芸に専念出来ておらぬからな。
「幼き頃から知るそなたが勝つと嬉しいものだ。無理をせず今後も励め」
「ははっ、ありがたきお言葉、確と承りましてございます」
あの頃を知る者は多くない。いずれ大きくなった我が子にあの頃のことをいかに話すか。そう考えた時に、その難しさを悟った。
又助が今あることを書き残しておるのは、そのためなのだ。
当人には言うておらぬが、父上は喜んでおられたな。斯波家にも一馬の目指す先が見えてついてゆける者がいたと。
わしは知っている。そんな又助が、一馬が命じておらぬことをしていることを。一馬は己と奥方衆のことはあまり残そうと思うておらぬが、又助がそれを自らの意思で残しておるのだ。
ただ、役目や立場に反することのない範囲で自らの信念で生きる。これは久遠家の家訓や教えにもあること。一馬も存じていて許しておるのだろうと思うておる。
「皆、変わったな。武官も文官も……」
「左様でございますな」
所領を召し上げた直後は、武官と文官が立場の違いから互いに不仲になることもあったが、今ではそれもだいぶ減った。
武芸大会が皆をひとつとして変えたのだ。一馬はここまで読んで武芸大会を始めたのであろうか?
◆◆
永禄四年、八月。第十一回武芸大会が行われた。
『武芸大会史』によると、この年は奥羽や久遠領からも参加者が訪れたとあり、さらに臣従後も武芸大会に出ていなかった松平家家臣、内藤正成や斎藤家家臣、明智光秀が初めて出場をしている。
武芸大会の参加者や本選出場者の名簿を見ると、当時の織田家の状況を垣間見ることが出来る。
一族一門、家という枠を超えた活躍や行動をする者が徐々に増えていた頃と思われる。剣術部門で優勝した奥平定国のように己の力で立身出世をする者がこの年から増えていく。
また、この年は三好家の三好之虎と十河一存が来ており、十河一存は武芸を競う者たちに大いに感心して自ら願い出て参加した。
こちらは足利義輝を中心とした近江政権の安定化が垣間見えるものであり、三好長慶はふたりを派遣することで、尾張を中心とした新体制を学び三好家も続くべく動いていたと思われる。
この大会では開催中に、斯波義信の嫡男、岩竜丸が誕生したことで三日ほど中断するなどあったが、慶事と重なった本大会は大いに盛り上がり、織田領のみならず日ノ本一の武芸者が集まる場としてさらに名を馳せた。
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カクヨムにて『オリジナル版戦国時代に宇宙要塞でやって来ました。』と『改・戦国時代に宇宙要塞でやって来ました。』があります。
『オリジナル版』は、2309話まで、先行配信しております。
『改』は言葉、書き方、長期連載による齟齬などを微修正したものに、オマケ程度の加筆があるものです。
なお、『書籍版』の加筆修正とは別物であり、書籍版の内容とは違います。














