第二千二十話・野営地にて
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Side:足利義輝
「御幸とはな……」
殿下がもたらした話に弾正が唸った。武衛と北畠の大御所もまた無言のまま考え込んでおる。
ひとつ気になるのは、そもそも一馬は殿下をいかに思うておるかということだ。
「考える余地はあるか? 裏があるのでは?」
「いえ、この件に限ればさほど懸念すべき裏はないかと。殿下も己が立場を懸けて動いておられます」
皆が殿下を疑う中、一馬は以前と変わらぬか。身分や立場で信じる男ではない。人としての殿下を信じておるのか?
「言いにくくございますが、殿下がおらねば朝廷は道を誤るやもしれません」
エルの言葉に皆が顔を見合わせた。確かに厄介な御方だが、あのお方でなくば無理であろうな。関白は殿下の意思と少し違うことをしておる。
二条殿下や山科卿もおるが……。
「千年以上続いた王朝、これを失うのは大きな損になります。もう少し言うと帝というお立場が恵まれているとは私は思えません。下手に壊してしまうと、後で困ることになります。仮に朝廷を打倒してどなたかが王となっても、数世代も重ねると今の帝のように雁字搦めにされてしまいますよ」
嘘偽りない一馬の本音だな。朝廷をいかにするか。これは今までも幾度か話したことはある。一馬らは一貫して朝廷を打倒することは望んでおらぬ。そもそも帝という地位を欲するほどのものと見ておらぬからな。このあたりの考え方は殿下や公卿と似ておる。
「それはそうであろうな。そもそも誰も帝になろうとなどと望んでおるまい?」
無言だった北畠の大御所が武衛とオレを見て口を開いた。
「仮に我ら以外で望む者がいたとしても担ぐなどありえぬ」
武衛は考えるまでもないと言いたげだ。弾正とて世をまとめる政を担う覚悟はあれど、帝などなる気はない。当然、オレもな。
ひとつ気になるのは……。
「一馬、エル。王のおらぬ国はありえぬのか?」
一馬もまた己で王を名乗らぬ。同じとはいくまいが、なにか新しき形はありえぬのかということだ。ただ、オレの問いに一馬はエルと顔を見合わせて困った顔をした。
「……あり得ないと言い切ることは出来ません。ただ、恐らくですが今より困難な統一になります」
駄目か。顔を見ただけで分かるわ。今以上に久遠頼りのまま王がいない国にすれば、久遠が王にされてしまうな。それだけはあってはならぬことだ。
「ひとまず管領代に知らせてからにするか」
御幸そのものはいずれでも構わぬ。ただ、近江御幸となれば管領代に問わねば話が始められぬ。
管領代はいかに言うであろうか?
Side:久遠一馬
今日は尾張北部に野営に来ている。いわゆるキャンプだ。実の子、孤児院の子たち、学校の学徒のみんなを連れてね。
海水浴やキャンプは毎年何回か来ていることで、大人も子供も慣れたものだ。
ここ数年は、治安の良さと街道・河川の整備による移動のしやすさを実感する。大規模な整備以外にも歩きやすさを考慮した細かい改修が行われていて、本当に移動が楽になった。
初めの頃はちょっと道を整えるだけでも反対されたんだけどなぁ。今では地域の人が自主的に草取りをしたり穴を埋めたりしてくれる。
「薪を集めてくるのでござる」
「いざ、出立なのです!」
釣りをする、獣を狩る、薪を集めるなど、グループ分けしてみんなで働く。すずとチェリーは小さい子たちを連れて薪拾いに行った。オレは小学生くらいの年中組の女の子たちと一緒に釣りだ。
「釣れないね」
「待つのも釣りの秘訣です」
最初はじっと待っている子たちだけど、釣れないと飽きてくる子もいる。ただ、まとめ役になる子とかが、そんな子たちを教え導く。
ちなみにこの場のリーダーはお市ちゃんだ。幼い頃からオレたちと一緒にいたこともあって、いろいろな経験を積んでいるからね。相変わらずおませなところもあるけど。
子供たちの声を聞きながら、のんびりと釣り糸を垂らして少し頭の中を整理する。
近衛さんが変わったことだ。未だに裏があるのではと疑う人が多いけど、オレはむしろ開き直ったのかなと思った。
朝廷の権威が落ちたままだというのに、足利政権の立て直しは順調だ。そんな状況で畿内と東国の対立構造が出来たことに、朝廷の存亡の機だという認識があるのは手紙のやり取りでも把握していたことなんだよね。
こちらの手の内や見ている先も随分と察している。朝廷を潰す気などないが、一方で朝廷や寺社などの権威と既得権は解体する必要があるのも漠然とだが理解している節がある。
個人的には朝廷より寺社が問題だと思っているんだけど。
この時代の公卿で明らかに変わろうとしている近衛さんは異端だ。朝廷を中心にした公卿公家、寺社、武士という既得権の中で煙たがられるくらいには。
正直、近衛さんの身辺が心配になっているレベルなんだよね。
無論、他の人たちも新しいやり方が生れたことで変わることを考える人もいる。ただし、畿内と自分たちが上になり既得権を強化する形でだ。言い方は悪いが、一戦交えて従えてしまえば良いと考える者は織田領の外では未だに多数派だ。
もっとも東国を従える立場である足利家が東国に味方している現状は、彼らにとって予想外なんだろうが。ただ、公卿公家然り、細川晴元然り、寺社然り、次の将軍で巻き返すくらいの認識はある。
結局のところ先頭に立って立ち上がる人がいないことが、畿内が大人しい一番の理由だ。
義輝さんも三国同盟の主立った人も、みんなそれを理解している。その対策でもあるのが足利家と北畠家の婚姻だ。三国同盟と義輝さんの関係を確かなものにしつつ、南北朝時代の因縁を終わらせることで新時代の懸念を減らす。
偶然なんだけど、この婚姻と京の都から政治を分離することが重なった結果、近衛さんは覚悟を決めた。
自ら動かない朝廷をオレたちが変えることはない。それはオレが近衛さんに言ったことだ。あの言葉を近衛さんなりに真剣に受け止めて動いた。
満点の回答とは言えないけど、こちらも相応に応える必要がある。
「殿様、お疲れでございますか?」
「ううん、疲れてないさ。みんなとこうして休んでいるからね」
おっと、子供たちに心配されてしまった。子供って大人をよく見ているなぁ。
それなりの年齢になると、オレが忙しいのは知っているからね。子供たちとの時間は取るようにしているけど、それで余計に心配させては駄目だ。
「あっ引いた!」
「大物だ!!」
近くの子の竿に魚がかかると賑やかになる。みんなが見守り、網を持って受け止めようとする子もいる。
みんな、とびきりの笑顔だ。
今、この時を思いっきり楽しんでほしい。ただそれだけだ。
◆◆
永禄四年、六月。近衛稙家が尾張を訪れている。
わずかな供の者のみを連れての来訪であり、表向きは花火見物とされたものの、身分を隠しての旅であった。尾張ではこのことに驚きの声があったと幾つかの資料に散見している。
尾張来訪の真の目的は、当時造営中だった近江御所に関する対応を相談するためだったとされ、『織田統一記』や『久遠家記』によると稙家とこの件を話したのは久遠一馬と大智の方こと久遠エルであった。
尾張の隆盛により有史以来続いていた畿内による東国軽視が浮き彫りとなり、様々な問題が出ている最中のことである。
この数年前には久遠一馬が稙家に対して、朝廷や京の都のために家臣や領民に血を流せとは言えないとはっきりと明言している。また、変わることを望むならば自ら動かねばならないとも伝えている。
一連の様子は『織田統一記』や『久遠家記』の他にも、北畠家や近衛家の家伝として残っているが、稙家が自ら尾張に出向いたのは、そんな一馬の言葉に応えるためだったとされる。
歴史の創作物では対立する形で書かれることの多い一馬と稙家だが、当人たちは互いに厳しい言葉をぶつけながらも交流を続けており、決して嫌っておらず、むしろ互いの立場を理解していたことが明らかになっている。
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