第二千十六話・ふたりの公卿
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Side:二条晴良
近衛公が旅立ったことで、京の都では公家衆による近衛公への不満が多く囁かれるようになった。
勝手なことばかりしておると口にする者もおれば、大樹や尾張となにかを企んでおると疑う者もおる。
不満を口にする者らの多くは近衛公に同行して花火見物を考えたが、此度はひとりで行くと留め置かれた故に不満なのだ。近衛公は招かれておらぬ故に面目も捨てて己の銭で行くというのに。
未だに誰ぞの銭で出向き、もてなされる宴に出たいと考える者が多すぎる。東国に、尾張に疎まれつつあることも自覚せず、花火見物に行こうと考えるなど愚か者としか言いようがない。
厄介なことに関白も今ひとつ頼りない。愚かな公家衆を叱りつけるくらいでいいというのに、世評を気にしてか自ら動こうとせぬ。
近衛公から実子である関白が頼りない故、内々に都の留守を頼むと言われた時には近衛公にいささか同情したほどだ。
無論、近衛公とて己がために動くことはある。されど、尾張と話をしてまとめられるのは他におるまい。
九条もそうだが、未だに公卿公家の内々による争いで物事を考えておる者があまりに多い。故に、内匠頭に突き放されるのだ。
いささか気難しい男でもあるが、乱を望まず奪うことも望まぬ。吾としては周防にて弟を助けてくれた恩もある。
それに、内匠頭の立場になると理解するところも多い。いや、むしろよく現状で済ませておると感心するほどよ。
「いかになるのやら……」
大樹と武衛は己が不遇の頃に助けなんだ者を信じておらぬ様子。弾正は内匠頭と共に生きる覚悟を固めておる。慎重な男故、動くことは少ないが、あれももとは戦で成り上がった武士。
天下、いや、日ノ本のことをまことに考えておるのは、内匠頭と奥方衆くらいかもしれぬ。
院や主上を軽んじておると言われることもあるが、知らぬのだ。内匠頭が衆目に分かるように院や主上に献上することがない故にな。
近頃では珍しき菓子や酒など飲むなり食うなりするとなくなる品は、武衛陣の者が斯波と織田の名で院や主上が内々で楽しめる分程度を献上し、書物や絵など形として残る品は山科卿が献上する体裁を取るようになった。
要は返礼に悩まぬようにと配慮をするようになったのだ。
あとは大樹がすべて献上する形としてしまい、斯波は大樹の下で守護としてあるだけという形に戻しておる。
気付く者は気付いておるが、今のところ騒がれることはない。山科卿は唯一、内匠頭の国に行くことを許された身であり、院と主上の信も厚い。
あまり騒いで今度こそ尾張からの助けが止まることを恐れておるからな。
困った者らよ。恐れるならば素直に従えばよいというのに、古からの慣例と今までそれで生きてきたのだからと勝手なことばかり騒ぐ。
内匠頭とすると縁もない公家公卿の催促など、物乞いと変わらぬということに何故気付かぬのか。
Side:近衛稙家
東海道も織田が再建した鈴鹿関に入るとあと一息というところじゃ。
過剰な出迎えや警護は無用と先触れを出しておるが、それでも六角も織田も目立たぬように警護を付けてくれた。
されど、あまり要らぬものであったな。用心はせねばならぬが、多くの旅の者と共に動くとさほど案ずることにはならぬ。
「では御隠居殿、我らはこちらでございますので」
「うむ、気を付けての」
共に山越えをした商人らと別れる。かの者らはこのまま南伊勢の大湊と神宮を詣でるのだそうだ。
吾は商人の隠居ということにしたが、恐らく商人でないと察しておろうな。ただ、近衛家の前当主とは思うておるまいが。それなりに食える公家と思うておる気がする。
かの者らと別れ、しばし眺めの良きところで休息とする。
風が吹き抜け、鳥の声が遠くから聞こえる。なにをしておるのかまで見えぬが、賦役と思わしき民が働いておる姿が見える。
旅とはよいものじゃの。幾度か都を離れたこともあるが、かつてならば旅を楽しむなどあり得なんだわ。
地獄から極楽に来たような気にすらなる。
近衛の家になど生まれねば、都を捨てて尾張に移り住んでおったかもしれぬの。京の都は長きに渡り朝廷があった都であるが、言い換えるとそれだけの地。あの地に拘り続ける意味がいずこまであるのか。
近衛とすると荘園などがある畿内を離れるのは難しいが……。
そこまで考えて、ふと思う。朝廷とて、京の都にて生まれ変わらずあり続けるわけではなかったということを。
今では知る者も少ないが、幾度か遷都をしておるはず。
「無理じゃの」
行きつく先に考えが及ぶが、いかに考えても上手くやれるとは思えぬ。現状で東国に僅かばかりの配慮を示すことでさえ、慣例とそぐわぬと異を唱える者や隆盛する東国に利を持たぬ寺社が朝廷から歩み寄る邪魔をする。
特に寺社の驕りはいささか目に余るものがあるほど。尾張を恐れて大人しゅうしておるというのに、我らには古き世からの慣例、銭や力をちらつかせ新しきことをするのを嫌がる。
内匠頭と話すようになってからというもの、吾もまた寺社に対する見方が変わった。あの者らは朝廷を害する俗物ばかりではないか。
……ここで考えることではないの。
「さて、行くか」
言葉少なに従う者らと共に歩き出す。信の置ける者ら故、不満などないが、いささか面白うない。人を従えるということは難しきことじゃな。
Side:久遠一馬
町を歩いていると、普通に肉を使った料理の露店が珍しくなくなったなと思う。
種類としては鶏の肉が多い。時を告げる鳥として食べないというのは、今は昔。飼育が楽でエサも雑草など負担になるものじゃない。
上は清洲城から下は農村まで鶏を飼っているところは多い。ウチが普及させた家畜では山羊も普及した。ただ、肉として食べるのはコスパがいい鶏が圧倒的に多い。
寺社でも鶏と山羊はいるからなぁ。卵と山羊乳は薬にもなるので食べるようにと織田家で普及活動をした結果だ。敷地が広いので、鶏と山羊を飼って、卵や山羊乳や鶏を売っているところすらある。
ちなみに鶏や山羊の糞は、買い取りをして集めて肥料にしている。人糞も肥料製造名目で集めて硝石の原料としているけど、こちらは純粋に肥料製造に使っているんだ。
余談だが、肥料に関してはこの十年で増えた。魚肥、鶏糞、牛糞、馬糞を発酵させるなどした堆肥、貝殻を原料とした石灰、あと製塩の過程で生まれるにがり、籾殻を燻煙した燻煙籾殻とか。作物と用途に合わせて必要に応じて使うように指導している。
肉食を隠すこともほぼなくなった。一向宗以外の寺社はさすがに表立って使うのは避けるものの、薬として食すようにとの指導は聞いてくれる。
セルフィーユとケティの涙ぐましい努力もあり、食べるもの次第で人は変わるというのは相応に信じられつつある。
「焼き鳥の匂いがするとお腹が空くね」
確かに、一緒にいるジュリアがそう言うと美味しそうな焼き鳥を焼いている露店から串に刺して焼いた、文字通りの焼き鳥を買ってきた。
「ああ、いい塩加減だね」
普通に美味しいなぁ。こういうシンプルな料理は細かくみると素材の味により差が出るけど、それでも美味しく食べられる。
こういう品を買って帰り、夕食のおかずにしたり酒の肴にしたりするのは尾張の町だと珍しくないんだよなぁ。
もともと飢える時代だからなんでも食べるんだけどさ。ウチの指導と生活が知られると屠殺が穢れとか避けられるのもなくなってきたし、気にする人は手洗いなどをして寺社で祈禱をしてもらうってのが基本になりつつある。
あんまり好きじゃないけど、ウチの価値をみんなが認めてくれたことで権威となり、ウチの言うことだからと信じてくれる。
まあ、飢えたり栄養不足になったりで人が死ぬよりは全然いいけどね。
こういう価値観、新領地に伝わるのも結構早い。一部だと抵抗感があると普及が進まないこともあるけど、概ね数年で根付いていく。
尾張だと公家衆ですら、そこまで気にしないからなぁ。もともと鳥類の肉は食べることがあるし、鶏の肉も普通に食べているそうだ。
薬ならば致し方ない。そんな体裁らしいが。
守るべき伝統は守り、変えるべき伝統は変える。これも試行錯誤だ。尾張に滞在する公家はその模索もしている。
近衛さんが来たらなんと言うかね。
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