第二千十話・太平の島、久遠諸島・その十四
第八巻、11月20日発売しています。
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引き続き、連載継続と書籍版続刊のため、書籍版のご購入をお願い致しております。
放っておいても連載と続刊が続くほど甘い世界ではありません。もし、ご購入を迷う方がいましたら、この機会にぜひお手に取ってみてください。
一巻から七巻も書籍版オリジナルの加筆があり、続刊を重ねるごとに加筆が充実しております。
Side:山の村の長老
本領の花火は良かったのぉ。新しきことを試しておるらしく上手くいかなんだ花火もあったようじゃが、それも含めてよきものを見せて頂いた。
「さっ、一献」
本領における長老のひとりと酒を酌み交わす。わしなどたいした身分ではないと言うたが、ならば同じじゃと言うてくれた者じゃ。
初日から本領のことをあれこれと教えてもらい、尾張での御家のことを話して聞かせると喜んでくれての。
改めて御家が日ノ本の者でないのだと教えられた。
果実酒という酒を頂き、一息つく。甘い果実の味と酒精は喉を通るのが惜しいと思えるほど美味し酒になる。
食卓には魚や鯨料理が並び、いずれの料理もこの世のものとは思えぬ味わいがある。
「よき国じゃの。愚かな己に恥入るばかりじゃ」
殿やお方様がたは、かような地を離れ、地獄とも思える日ノ本にて国を良くするべく努めておられる。
わしが生れた甲賀は、飢えや争いが絶えず、生きるために藁にも縋る思いで故郷を捨て尾張にて殿に仕えた。じゃが、この国を知ると己がいかに身勝手か教えられた。
「致し方あるまい。飢えとは左様なものだ」
慰めの言葉の温かさが胸に染みる。されど、穢れ愚かなことを繰り返して生きた己が殿や本領に相応しき者とは思えぬのじゃ。
「本領の者に顔向け出来るように励もうと思う」
ただ、過ぎたることを悔いても前に進めぬ。若い者や本領を知らぬ者にこの国のことを教え、恥入ることのないようにしたい。
「そう言うてくれると我らも安堵する」
「わしらは久遠家家臣。帝様でも寺社に仕える者でもない。その覚悟だけはあるつもりじゃ」
いずれ御家は朝廷や寺社と争う日が来るのかもしれぬ。わしは生きておらぬかもしれぬがな。
その時が来たら、尾張にて御家に仕える者らが確と己の立場と役目を見定め働けるようにせねばならぬ。
われらはこの国の者らと共にある。山の村に戻ったら、それだけは皆が確と覚悟を決めることが出来るように言うておこう。
たとえ、日ノ本と決別することになってもの。
Side:帰蝶
「また来るからね~」
お市殿が見送りにと集まった島の者たちに声を掛けております。
確かに、この国ならばまた来たい。そう思えます。
名残惜しそうに船に乗る者、戻り尾張を変えようと意気込む者。皆、思いは様々でしょう。
殿は日頃からあまり過ぎたることを悔いるお方ではございません。失態も過ちも糧とせよという久遠家の教えがあるから倣っているのだと聞いたことがございます。
ただ、内匠頭殿を臣従させたことは、悔いているとおっしゃる時があります。せめて対等な立場で同盟を結ぶべきだった。左様なことをこぼしたこともございますね。
今ならば、殿のご内意を理解出来ます。ここは日ノ本より優れた国なのですから。
西に習うなら久遠に習え。数年前から領内で囁かれていることになります。武士だけではありません。民や寺社の者すらそう言うて憚らぬと聞き及んでおります。
これは家中もまだ知らぬ者が多いことでございますが、領内、とりわけ尾張・美濃・伊勢・三河の寺社の中には本山よりも清洲を、公儀を頼り信じる者が増えております。
学問と医術、このふたつを領内で施しておるのは主に寺社であり、それを支え助けているのが久遠家だからでしょう。
内匠頭殿は名のある寺社は好まれませんが、寺社の側から敵対しない限りは面目が潰れることも致しません。新たな治世で面目が立つようにと配慮を欠かさなかった、久遠家の本当の力を寺社も理解したのです。
「では出航致しましょうか」
皆が船に乗ったのを確かめた内匠頭殿が船を出します。
手を振る島の者に応えるように私もお市殿や土田御前様と共に手を振ります。
「人は、これほど変われるのですね……」
争い、殺め、奪う。血を分けた者ですら、それを止められぬのが日ノ本です。強く守らねばと思い育ちましたが、それでは争いの日々を変えることは出来ない。
日ノ本は、この国のようになれるのでしょうか? 血で穢れ罪を重ねた日ノ本が……。
私には分かりません。ただ、織田と久遠を繋ぎ、この国を守ることも必要なのかもしれません。
皆と共に。
◆◆
永禄四年、五月。久遠一馬の本領への帰省があった。
この年は、土田御前、帰蝶姫を筆頭に、奥羽で功を挙げた楠木正忠、神戸利盛、赤堀景治や、織田信実、織田信友、佐久間盛重、平手久秀、佐々政次、今川義元、武田晴信、小笠原信定など、身分や古参新参問わず多くの者が同行している。
滞在中の様子は『永禄四年・久遠諸島帰郷記』に記されているが、前回までと比較し、より具体的な視察や学びの機会となっていたことが窺える。
この頃の日ノ本では将軍足利義輝が近江に御所を造営しており、尾張においても京の都や畿内との関係は悪化の一途を辿っていた。
有史以来続いていた朝廷における東国軽視などもあり、商家などでは『畿内者お断り』の暖簾を掲げていたところすらあったという。
そんな中、尾張を中心に東国の人々の希望となりつつあったのが久遠家であり、織田家中においては久遠に追いつけと熱心に学び励んでいた者が多かったという記録が多い。
同盟関係にあった六角家からは目賀田忠朝、北畠家からは長野稙藤が同行をしている。
両名とも久遠諸島の進んだ治世もさることながら、織田家家臣や商人、職人たちの勤勉な態度に衝撃を受けたという逸話が残っている。
この時、身分を超えた議論をしていたという記載が『永禄四年・久遠諸島帰郷記』にあり、両名の逸話の裏付けになっている。その様子から京の都や畿内とはまったく別の方向性で発展と進歩していたことが分かる。
滞在中には農場、漁業、学校や病院の視察以外にも、牧場にて各地の珍しい動物を見るなどしたとされ、南久遠諸島在来のモアなど貴重な動物が研究されていたことが分かっている。
久遠家は少なくとも一馬の代には動植物の収集と研究をしていたことが明らかとなっており、本来の生息地で絶滅した動植物が久遠家の保護のもと現代に残っているものがいくつもある。
この時見たモアも、久遠家入植時には絶滅の危険があったという資料が残っており、久遠家の保護政策のもとで生息数を回復した記録がある。
なお、この時に織田市が兄弟や姉妹へのお土産にと久遠諸島で購入したとされるのが、久遠諸島において晴れの日に身に着けていた赤珊瑚の首飾りである。
市本人どころか織田家の者たちですら価値を理解してなかったとされるものの、土田御前はその価値を見抜き、子供たちに末代まで家宝とするようにと命じた結果、今も直系の子孫が保有している。
後に子孫のひとりが映像放送の番組にてこの時の珊瑚の首飾りを鑑定してもらっているが、歴史的な価値と装飾品としての価値が合わさっており鑑定不能と言われたことでも知られている。
書籍版の書き下ろしなどは、今後webなどでの公開はありません。
書籍としての付加価値は守ります。
web版と違い、一冊の本として読むことを意識した加筆修正になっており、購入をお願いできるものに仕上がっていると思います。
どうか、ご購入をお願い致します。
カクヨムにて『オリジナル版戦国時代に宇宙要塞でやって来ました。』と『改・戦国時代に宇宙要塞でやって来ました。』があります。
『オリジナル版』は、2130話まで、先行配信しております。
『改』は言葉、書き方、長期連載による齟齬などを微修正したものに、オマケ程度の加筆があるものです。
なお、『書籍版』の加筆修正とは別物であり、書籍版の内容とは違います。
そちらも、どうかどうか、よろしくお願いします。














