第千二百七十九話・困難なこと
Side:久遠一馬
「面倒なことを」
開口一番で顔をしかめたのは信長さんだ。今後のことを話すために話し合う必要があり、急遽、信康さんと信長さんを呼んだんだ。
「そう言うてやるな。要らぬとはわしも言えなんだわ」
自身は言えなかったであろう本音をあっさりとぶちまけた信長さんに、義統さんは苦笑いを見せた。しかし義統さん、やっぱり本音は要らないと言いたかったのか。
「申し訳ございませぬ」
「よいよい。さて、いかがするか。寿桂尼は嘘を言うておるとは思えんが、義元と太原雪斎が謀っておらぬと言い切るのは早計か」
信長さんらしい一言だが、義統さんはあまり気にした様子はない。まあ言えない本音を言う若さを羨む様子に見えなくもないね。
そして本題に入るけど、やはり議論の始まりはそこか。オーバーテクノロジーによる情報収集がないと信じることからして難しい関係なんだよね。
「この件、まことの臣従の使者が来るまでは秘するべきではございませぬか?」
半信半疑。というか今ここで信じる必要がないと気付いたのは信康さんだ。客観的に見ると義元の本気度が分からないからなぁ。今も臣従と対抗の両方を見据えていると見るのが、自然といえば自然だ。
仮に臣従するつもりでも、甲斐信濃を降したら条件を巡って交渉して、駄目なら一戦交えてと考えてもおかしくはない。
それに下手に信じて裏切られると、こちらが騙された愚か者だと見られるので面倒なんだ。酷いところだと状況が好転したりすると、方針を変えることもあるので、これも想定はしておく必要がある。
「こちらは今川とはかかわりなく、駿河、遠江、甲斐、信濃を治めるための検討をしておればよろしいかと存じます。いずれにしても次はそこか越中ですので」
オレとエルに視線が集まったところでエルが無難な策を口にした。
さらにこの件の厄介なところは、どこからか武田と小笠原に情報が漏れるとあの辺りが大変なことになることだ。ここまで好き勝手にやって最後に一戦交えて終わりにするとか、それが漏れると最悪の想定として、武田と小笠原が和睦をして駿河遠江を攻めてもおかしくないだろう。
結果としてこの件は秘匿せざるを得ない。
評定も無理だろうな。誰かが口を滑らせないとも限らない。六角と北畠にも言えない。義輝さんには個人として耳に入れておいてもいいけど、聞かなかったことにしてもらう必要があるだろうね。
「しかしまあ、最後に意地を通したいからと戦とはね。後始末は臣従後にきっちりしてほしいところですね」
分かってはいる。ただ、甲斐信濃を散々荒らして、さらに因縁と恨みを深めて臣従して勝ち逃げとか。怒りで晴信が覚醒とかしないだろうな。
まあ、時代的に見るとおかしなことではない。こちらに刃を向けないだけ今川は配慮しているし、余所の領地が荒れて弱体化することは織田の利になるとすら考えていると思えるくらいだ。
もっともこちらとすると迷惑でしかないけど。
寿桂尼さん。斯波家との因縁を今川の生き残りを必死に考えたんだろう。この策なら臣従に反対する人たちは武田戦で使い潰せばいい。意思統一のために家中で戦をするよりは恨みが残らない。
武田と小笠原との因縁は残るが、勝って終わればどうとでもなると思ったのだろうか? 家中と織田に恨みを残すよりはマシだと考えた気はするけど。
駿河遠江はまだいい。海沿いだし、テコ入れをすると飢えてお荷物になるほどじゃないだろうから。ただ甲斐がなぁ。
前途多難だね。ほんと。
Side:ギーゼラ
「これは凄い」
竹千代殿に案内された新九郎殿が驚きの声を上げた。学校の敷地内にある大きな小屋よ。ここでは文化祭で使う山車を製作しているわ。
昨年は準備期間が短いこともあり、馬車灯篭とでもいうものを作った。
あの後、学校では総括と今年の文化祭のことを何度も話し合って新しく山車を作ることに決めたわ。
どんな山車にするか。熱田のような山車にするか、津島のような巻藁船のようにするか。結果として灯篭と人形を両立させることになった。
工業村の職人衆も加わり、立派な台座や枠が出来ている。それを見て新九郎殿は驚いてくれたみたいね。
「皆で、祭りをいちからつくったのでございます」
「祭りをいちから……」
誇らしげに語る竹千代殿の話を新九郎殿は静かに聞いている。授業が終わった放課後。老若男女問わず集まれる人たちで作業をしているのよ。
身分社会なだけにこういう光景はなかなか見ることはないわ。日によっては那古野神社の神職だって手伝いに来る。尾張の祭りは身分にかかわらず皆でやるということが常識となりつつあるわ。
人々の一体感の違いに新九郎殿は気付いたようね。
「やはり尾張は変わり続けているのですね」
噂以上に聡明でいい子ね。ただ、理解するだけでは難しい。
北条はかつて医術を学ぶ人を尾張に派遣しようかと検討したようだけど、うまくいかなかった過去がある。手頃な人がいなかったと聞いている。
身分が高いと人質を出したと家中に思われると困るし、かといって身分が低い者に当家の技と知恵を教えてと頼むのも問題だった。教えた知恵を秘匿する条件などで折り合いがつかなかったこともあるけど。
ケティの信条として、中途半端な形での医術の流出を望まなかったことも理由ね。
同じ理由で学校への留学も現時点では行なっていない。友誼はあるけど遠すぎるのもあるのよね。小田原と尾張では。
「大叔父はこの学校に感銘を受けたと申しておりました。ただ、小田原で同じことをするのは難しいとも嘆いておりました」
かつて北条幻庵殿が講義した内容は今も授業で使っているわ。そんな幻庵殿でさえ国を変えるのは困難だという事実。
知識や技術を不特定多数に教えるという難しさ。ここはウチが率先して知識を出したからこそうまくいったけど、北条だと寺社の僧などに頼む必要がある。寺子屋レベルなら出来るだろうけど、逆に言えば学校でなくてはならない知識を用意出来ないと意味がない。
知識や技術を多くの人に教えて国を支える人材を育てる。これひとつとっても他国には今のところ真似が出来ていないのよね。
「よろしければ少し作業をしていかれますか? みんな、願いを込めて山車を作っています。新九郎殿の願いも届くかもしれません」
「いいのですか?」
「ええ、是非。私にはこれくらいしか出来ませんが」
司令が気にかけているのよね。新九郎殿を。
とはいえ出来ることは多くはない。ここでは山車はみんなの祈りと願いが籠っているわ。新九郎殿の祈りと願いも一緒に届けてあげる。
きっと届くはずよ。天命ともいえる寿命を超えたんだから。














