第百四話・伊勢守家のゆくえ
side:佐治為景
「久遠船の扱いはどうだ?」
「殿。扱いは難しいですが、慣れれば良い船でございます」
久遠殿から教わった南蛮技術で改造した船は素晴らしい。今までの船より速く安定しておる。
操船に慣れるのに少し苦労するが、いい船だ。
「帆や器具は少々値が張るが、一から造るよりは安上がりだな」
「ハッ。木綿の生地の値を考えれば、おそらくは安く融通してくれているのでしょう」
何より今ある船を活用できる技術を教えてくれたことには、感謝せねばなるまい。いつの間にか家中では改造船は、南蛮船でも日ノ本の船でもない久遠船と呼ぶようになっておった。
誰が言い出したか定かではないがな。
「この船ならば、堺まで一日と掛からぬでしょう」
「とんでもない船だな。速すぎて使えんとは笑い話ではないか」
「本当に。そうですな」
久遠殿が、この船を交易には当分は使わないでくれと言った意味がよく分かった。
騒ぎになるのは明らかだ。各地の水軍が目の色を変えるであろう。それに寄港回数が減れば、かかる銭も減る。運ぶ側は良いが、港を持つ者は騒ぐはずだ。
「久遠殿と我らで、周囲の水軍を制するだけの戦力が整うまでは使えんな」
「服部水軍は、さぞ面白くないでしょうな」
「あそこは織田に敵対的だからな。我らの臣従と久遠殿が津島に小型の南蛮船を置いてからは、実入りも減る一方であろう」
すでに影響が出ている。津島から近い市江島の服部は水軍を持つが、我らが織田に臣従して津島近海も勢力圏に収めて以降は、通行税を取れなくなり不満を口にしておるとか。
元々織田に水軍らしい水軍はなかったので、津島に行く船から勝手に税を取っておったのだ。
久遠殿も威嚇のためか、少し前から小型の南蛮船を一隻津島に置いておるしな。動かさずとも服部水軍は南蛮船を恐れていよう。 もちろん我らも服部水軍ごときに遠慮する気はない。
「織田の殿は服部を臣従させるのでしょうか?」
「さて。どうであろうな。伊勢守家が片付けばあるいは……。ただ、あまり眼中にないのかもしれん」
水野殿が織田に臣従すると言ってきた時に一緒に臣従して良かった。服部水軍と我らは規模が違うが、それでも立場が逆になれば、我らが久遠殿と服部水軍に圧迫されていたかもしれん。
織田の殿からは、久遠殿に力を貸してやってほしいと言われただけだ。服部水軍のことなど全く言われてないが、織田に敵対的な服部水軍に近場でうろちょろされるなど、我らの沽券に関わる。
「まあ、じわじわと締め上げてやればいい。他の伊勢の水軍とは上手くやっているのだ。問題はあるまい」
服部水軍の件は織田の利となり我らの利となる。臣従したのだから我らの力を見せねば。
side:織田信安
「皆のもの。この度、守護様の仲介で弾正忠家と和睦することにした」
「なっ!!」
「戦ではなかったのですか!」
猪之助は見事に話を纏めてくれた。守護様が仲介して弾正忠家と和睦をする。
内容は守護代の返上と、織田の総領を弾正忠家にすると認めること。実質的には降伏に近いが、領地は現状のままと言うのだから悪い話ではない。
まあ犬山のような独立領主や、弾正忠家と当家の双方に臣従姿勢を見せておる者は、弾正忠家に持っていかれるだろうがな。実入りはさほど変わるまい。
「なりませぬぞ! 殿は騙されておるのです!」
「必ずや全てを奪われ殺されますぞ!」
反対するのは一門衆と武辺者か。反対せぬ者もそれなりに多いが、和睦を表だって喜ぶ者は居ないな。
ワシとて同じだ。心から喜ぶわけではないが、猪之助の言う通り。中途半端な戦は誰のためにもならぬだろう。
「それは言い過ぎであろう」
「そうだ。元々我らと弾正忠家の関係は良好だったのだ」
「まあ、弾正忠家との力関係を考えれば、立場をはっきりさせる時が来たということなのでしょう。仕方ないのでしょうな」
声高に反対をする者が居る中で、仕方ないと理解をする者もおる。ずいぶん前から力関係ははっきりしていたのだ。
まだ大和守家が居れば、形式上でも守護代として振る舞えたが。大和守家がない今、ワシが守護代として振る舞えば遅かれ早かれ弾正忠家とはぶつかる。
「元々織田一族が分裂しておったのが原因で、他国に付け入る隙を与えたのだ。それに弾正忠殿が居なければ、今頃我らは今川を殿と呼んでおったのかもしれぬ。今川よりは織田一族の弾正忠殿を主君とした方がいい」
苦渋の決断だな。だが猪之助の言う通り、ワシには尾張を纏め今川や斎藤と戦うなど無理だ。頃合いなのだろう。
「誰だ! 殿を騙して良からぬ入れ知恵をしたのは!」
「伊勢守家の誇りはいかがなる!」
「ワシは認めんぞ!!」
「黙れ! ワシの決断に逆らう気か!!」
こやつらめ。自分が責任を持つわけではないからと、好き勝手に騒ぎおって。
今まで弾正忠殿を恐れて、大人しくしておった程度の輩が!
「それほど戦がしたくば、そなたたちでやればよい。今すぐ出ていけ!!」
「なっ! 長年尽くしたワシらにそのような言い方をするとは…… 信秀に臆したか!」
「ならばワシは好きにやらせてもらう! 臆病者と思われとうないからな!」
家中が割れたか。この程度で割れるということは、戦をすればいかがなったことか。口惜しいが戦では弾正忠殿には勝てん。
居なくなったのは一門の数人と元々独立意識の強い小領の者か。
「殿。このままではいけませんぞ」
「誰が好き好んで頭を下げるものか! 殿の苦渋の決断も理解できぬたわけどもが!」
「ふん! 奴らは自分で責任を取らぬから好きに言えるのだ。戦の噂が立って以降、我らの領内では物の値が高騰しておる。だが弾正忠家の領内ではそうでもないと聞くぞ。戦う前から力の差が明らかではないか!」
「確かにの。戦をして臣従というのは我ら家臣ならばいい。だが殿の立場を考えれば、弾正忠殿の義弟として扱ってくれる今のうちに臣従すべきじゃろうな」
「殿。陣ぶれを。謀叛人は我らの手で片付けねばなりませぬ!」
「ちょうどよい機会ですな。我らが臆病者でないと示してみせましょうぞ!」
こんな形にはしたくはなかった。だが付いてきてくれる者たちが居ることを喜ぶべきかもしれぬ。
「よし。陣ぶれだ! 猪之助は弾正忠家に走れ。我らが謀叛人を始末するのを誤解されてはたまらん」
「はっ!」
戦しか頭にない愚か者どもだが、最後の最後で役に立ったな。
弾正忠殿や弾正忠家の者たちに、断固たる決意を見せる機会を与えてくれたのだから。
――――――――――――――――――
久遠船
久遠船とは戦国時代中期から末期に登場した船の名称である。
戦国武将であり海洋商人でもあった久遠家より、知多半島の佐治水軍に伝えられた船と言われている。
基本的な船体の構造は竜骨を用いない伝統的な和船の構造であるが、船底にセンターキールを追加し操舵と帆を当時南蛮船と呼ばれていた西洋船の技術を流用した船になる。
製作経緯は分かってないが、この船を設計したのが久遠家であることは当時の資料から明らかである。
伝統的な和船を利用しながらも、西洋技術を取り入れたこの久遠船は、当時の佐治水軍の実情に合わせた物のようで、佐治水軍の発展の礎と言われている。
久遠船の名称自体は佐治水軍が考えたようで、久遠家の船という意味からいつの間にか定着した物と思われる。
あまりの性能の良さに佐治水軍では、当初おおっぴらに使えなかったとの伝承が残るほどで、船外機などの動力が普及するまで日本で広く使われた船になる。














