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まだ明かされていない先の展開が覗き見できる?!
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「係長」背後から声がする。振り返ると、宇月が気まずそうにこちらに手招きをしている。「四方警部補がお呼びですよ」
従業員の誰かが、この殺人事件の手がかりでも掴んだか。
今は関わりたくないとでも言うようにそさくさと踵を返す宇月を追い掛ける。城宮が背後で何かを言っていたが、逃げるように酒井も現場に戻る。
四方が法律事務所の入口で頭を抱えていた。酒井の姿を見つけると、すぐに駆け寄ってくる。
「酒井さん。このヤマ、ちょっと面倒なことになりそうです」
「面倒なこと?」
「ちょっとこっちに来てもらえますか」
案内されたのは、亡くなった矢野崇の執務室。荒らされた部屋の端に、従業員の鈴木美恵子らと鑑識が集まっている。
「これは?」
四方に尋ねると彼は困った顔で答える。「無くなったのではなく、増えたものがありました」
「増えたもの?」
「これです」
四方が指差すのは、棚の上に置かれた花瓶。そこに生けられているのは花束だ。青い薔薇の花束。染料を使うことで比較的簡単に作れるという話は聞いたことがあるが、実際に見たのは初めてだ。
「ガイシャが亡くなる前、この薔薇の花束はなかったそうです」
「矢野さん自身が買ってきた可能性は?」
「花に興味なんてない人だったから、有り得ないと思います」
酒井の問いに榎本千枝が答える。他の者も頷いていて、彼女の言葉の信憑性が増す。
「となると、犯人が置いていった可能性が高いと」
殺害方法と言い、青い薔薇の花束と言い、犯人は現場に随分と強いメッセージを残している。
青い薔薇の花束か。何か覚えがある気がする。しかし、それが何だったかが思い出せない。とても古い記憶だったような気もすれば、割と最近の出来事だったような気もする。
鼻で笑いそうになるのを咳払いで誤魔化す。覚えがあったとしても、それが今回の事件と関係がある可能性はほぼゼロだろう。
「何かなくなった物はありましたか?」
「見る限りでは何も」
「参考までに、皆さんの事件前後の行動をお訊きしても良いですか」
「刑事さん、それ、アリバイってやつかしら」
榎本千枝が言う。嫌がっているというよりは、自分が事件の当事者になったことへの好奇心のようにも受け取れる。
さっきまで被害者の死亡に涙していたはずなのに、随分な身の代わりようだ。
「アリバイというほどでは。まだ、矢野さんの死亡推定時刻も特定できていませんし」
「私は、昨日は夜の8時くらいに事務所を出た後、一人で飲みに行ってたわ。今日は休みの予定だったから」
「その時、矢野さんはまだ、事務所にいた」
「えぇ。というか、防犯カメラがあるから、それ見ればいいんじゃないかしら」
四方の顔を見る。そう言えばそうだったと、四方がばつが悪そうに、酒井を案内する。
パソコンで管理された、かなり最新式の防犯カメラのように見えた。設置されているのは、出入り口とスタッフの各デスクの近く。
「何だか、これだと仕事を監視されている気分だな」四方が呟く。
「いいえ、刑事さん。これはしょうがないのよ。うちの事務所は刑事事件も扱うから、情報管理はしっかりしないと。昔、バイトさんに顧客の個人情報を盗まれちゃったことがあってね。それから先生、セキュリティにはうるさくなっちゃって。でも、監視カメラがあるからって、デスクで漫画読んでてもネイルしてても、先生は何にも言わないわよ」
榎本千恵は言葉を続ける。
「ほら、この時間。まず最初に星ちゃんが事務所を出て、そして私ね。大体、8時くらいでしょ」
榎本千恵の言う通り、監視カメラの映像には、小笠原星が退社し、その後すぐに榎本千恵が退社している姿が映っている。その間、被害者の矢野崇は映像に映ったり映らなかったり。少なくとも、昨日の午後8時には生存している。
そのまま時間が進み、市川和馬が午後10時頃に、鈴木美恵子の証言通り、矢野崇が10時半頃、続けて鈴木美恵子がすぐに事務所を後にしている。鈴木美恵子が事務所を出る直前、事務所内の電気は消され、その後は何も映っていない。そして、再び映像が明るくなったのは、次の日の午前8時。鈴木美恵子が出社してきた時間だ。そこには、矢野崇は映っていない。
「この映像、妙ですね」いつの間に宇月が隣にいて、神妙な面持ちでカメラ映像を見ている。「矢野さんはいつ中に入ったんです?」
「榎本さん。この事務所は、そこの扉以外に出入り口はありますか」
「先生の執務室に、テナントの裏の非常階段から入ることのできる扉があるわ。でも、そこは先生しか鍵を持っていないから」
再び矢野崇の遺体のあった、彼の執務室に戻る。棚が邪魔をして先ほどは見えなかったが、確かに執務室の奥に非常階段に続く扉がある。近くにいた鑑識に話を聞くと、そこに鍵はかかっていなかったという。
矢野崇が夜中にこの扉を使って事務所内に入ったのだろうか。執務室のもう一つの扉の近くの監視カメラには何も映っていなかったし、執務室内に電気が灯された様子もなかった。
そう言えば昨夜は、月明かりが眩しい夜だった。
「矢野さんの執務室には、監視カメラはないんですか」
「ないわ。あるのは、執務室の外側だけ。まぁ、先生、秘密主義だったから」
スタッフはしっかりと監視しておいて、自分は秘密主義か。だが、それ故に自分の死の瞬間まで隠してしまったのだから、皮肉なものだ。
「窓は強化ガラスだし、勝手に入ればセキュリティが作動するようになっています。先生が鍵を使って事務所に入ったのは、間違いないと思うわ」
矢野崇が殺されたのは、午後10時半頃から午前8時頃までの間。遺体を解剖すれば、もう少し時間が詳しくわかるだろうか。
「矢野さんは、いつも自分の執務室から事務所に入っていたんですか」
「いいえ。美恵子ちゃんが朝一番で表の扉を開けてくれてるから、先生もそこから来てました。そっちからの方が、エレベーターもあるし」
矢野崇は事件時、わざわざ非常階段を上ってまで裏の扉から事務所に入ってきた。彼が事務所に戻ったのは、単に忘れ物をしたからとか、そんな理由ではないのかもしれない。
「でも、少し妙な気がしますね。まるで、ガイシャ本人が防犯カメラに映りたくなかったみたいだ」
「あの」
小さな声を上げたのは、鈴木美恵子だ。四方と二人で彼女の方に振り返ると、鈴木美恵子は気まずそうに言葉を続ける。
「多分、昨日、ビルのエレベーターが終日停止していたからだと思います。エレベーターは2台ありますが、片方は工事で、もう1台は故障?とかで。帰りは私を含め、皆さん階段で帰られてます。私が朝出勤してきた時には、もう動いていましたが」
「なるほど。確かにそれなら、矢野さんがエレベーターが動いていないことを見越して、非常階段側から事務所に入ってもおかしくはないですね。ですが、それでは」
「エレベーターが使えなかったことを知っている貴方方の犯行である可能性が高まりますな」
重要な部分を先に四方が口にする。
「皆さんが利用した階段とは、非常階段の方ではなく、エレベーター横の階段のことで?」
酒井の問いに皆が頷く。事務所の表の出入り口にある防犯カメラの映像にも、皆がそこから事務所を後にしているのを確認できるため、間違いないだろう。
ふと思い立ち、矢野崇の遺品を確認する。遺品の中にはキーケースが一つ。何種類か鍵がついている。そのままそれを鈴木美恵子に見せる。
「この中に、事務所の鍵はありますか」
鈴木美恵子はキーケースに触れないまま、じっと鍵を見つめる。「多分、この複雑な鍵は先生の執務室の裏の出入り口の鍵だと思います。ですが、事務所の鍵はありません」
鈴木美恵子の言う鍵を非常階段の扉に差し込んでみる。確かに、矢野崇しか持っていないという鍵はこれのようだ。
「というか、美恵子ちゃんくらいしか表の鍵持って来てないんじゃない?いつも美恵子ちゃんが開けて、閉めてくれるから」
榎本千恵が言う。
「皆さん鍵はお持ちだけど、職場に持ってはこないと」
「美恵子ちゃん滅多に休まないし、私も昔はちゃんと持ってきてたけど、一度無くしたことがあってから怖くて持ち歩くのやめちゃったわ。星ちゃんには持たせてないし、市川さんは?」
「私も昔は持っていたのですが、持っていても使うことがなくて。安全のために事務所にお返ししました」
例え鍵を持ち歩いていなかったとしても、それは大したアリバイにはならない。実際、監視カメラの映像からもわかる通り、皆が持っている事務所の表の扉は犯行には利用されていない。しかし、矢野崇が表の扉の鍵を持ち歩いていないという情報を犯人が知っていたという事実は、重要な点となる。
ますます、内部犯による犯行という線が濃厚になるか。
「榎本さん。昨夜は酒を飲んでいたということですが、それを証明できる人は」
「行きつけのバーに行って、そこの店長とずっと話してたけど、それはアリバイになるのかしら」
「ちなみに、何時まで」
「バーが閉まる25時まで。その後は、タクシーで家に帰ったわ」
宇月に目線をやる。頷いた彼は、速やかに部屋から出て行く。
宇月に任せて榎本千恵の証言が本当だったとわかったところで、その後の犯行は可能だ。鈴木美恵子が出勤してくる午前8時まで、まだ7時間もある。
「市川さんのお話を伺っても?」
「わ、私ですか?いや、私は家に帰って、そのまま寝ました」
「それを証明できる人は」
「よ、嫁が」
「残念ながら、奥様では証明になりません」
「え、えぇ。そう言われても。あ、あぁ、そうだ。私の住んでいるマンションの監視カメラっていうのはどうですか」
矢野崇がそうだったように、監視カメラはいくらでもその穴を抜けられる。だが一応、宇月に連絡をして一緒に調べてもらうか。
「小笠原さんは、昨夜から今日の朝にかけて、何をされていましたか」
今度は小笠原星に顔を向ける。相変わらず視線が合わないが、榎本千恵に急かされて、彼女は口を開く。
「私は仕事のあと、家の近くのファーストフード店に寄って、勉強をしていました。確か、日付越える少し前くらいまで。その後、家に帰って、寝ました」
これも、証言としてはかなり弱い。小笠原星についても、ファーストフード店と自宅周辺の監視カメラの確認が必要だ。
「そうですか。あと、これは皆さんにお訊きしたいんですが、矢野さんが誰かの恨みを買ったり、妬まれたりするような出来事とかありましたか」
「こういう職業だもの」榎本千恵が言う。「恨まれることばかりよ」
「先生はメディア露出も多かったですから。脅迫文とか来ることもありました」続けて市川和馬が応える。
「そうそう。もうそんなの気にしてたらきりがないって、先生は強気でいらしたけどね。脅迫メールとか電話とか手紙とか、そういうものの類いはすぐにゴミ箱へぽいっ。脅迫文のシュレッダーは、美恵子ちゃんのお仕事一つだったわよね」
榎本千恵が鈴木美恵子に顔を向けると、彼女は小さく頷く。
「あ、でも」シュレッダーで何かを思い出したのか、鈴木美恵子が酒井の方へと向く。「昨日の朝届いた奇妙な手紙は、何故か捨てずに自分の部屋へと持っていかれました」
「どんな手紙ですか」
「確か、消印がなくて白い封筒で、スペードのジャック様へって書かれた手紙です」
近くにいた四方と矢野崇の執務室を探る。
棚や机、ゴミ箱、どこを探しても、鈴木美恵子が言う手紙は見つからない。
既に、誰かの手によって隠滅されたか。そしてそれは、矢野崇本人の手によるものか。
「酒井さん、これを」
四方が示す方を向く。執務室の机の下。大きな業務用のシュレッダーがあり、そこにはまだ紙ゴミが溜まっている。
「本気で言ってるのか」
「やってみる価値はあるかと」
もし矢野崇が手紙をシュレッダーにかけていれば、まだ証拠はここにあることになる。だが、他の書類とともに混ざり合った紙ゴミの山から目当ての物を探し出すのは困難だ。
「鑑識に回せ」
「はい」
その日のうちに、麻布警察署に捜査本部が建てられた。夜も更けようとしている中、無機質な部屋にむさ苦しい刑事達が集まっている。