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偽善悪  作者: 傘花
1.足音
6/211

1(5)

2025/11/13 ▶全体の流れの調整、読みやすさ改善のため、一部改編を行なっております。

 各所の報告を聞けば、矢野崇の死亡推定時刻は、今日の午前0時から3時の間。事務所の従業員の証言は全員裏が取れたそうだが、矢野崇の死亡推定時刻を考えれば、犯行が可能な人物は2人いた。


 市川と小笠原星だ。


 市川は確かに昨日の午後11時には自宅マンションの防犯カメラに映っていたが、マンションの防犯カメラの設置数は決して多くなく、いくらでもカメラの死角を通って現場に戻ることはできたように思える。


 小笠原星も同じく日付を超える頃にファーストフード店の防犯カメラに映っているが、そのまま自宅に戻った確証がまだ得られていない。


 ただ、どちらも決定打とは言えない。二人とも「やろうと思えば可能」という程度に留まっていた。


 鑑識に提出したシュレッダーの紙ゴミについては、まだ時間が掛かるとの報告を受けた。


 果たして、事務所の人間による犯行なのだろうか。


 犯行現場に残された青い薔薇の花束。殺意の高い遺体の損傷。矢野崇が持ち帰った不自然な手紙。それに、下半身を露出し死んでいたという状況。


 トイレで殺されたわけでもないのだから、顔見知りに殺されたと考える方が合点がいく。それこそ、下半身を露出するような関係の人間に。


 市川と小笠原星のアリバイが完全には証明できないことを考えると、まずは彼らに捜査の焦点を当てるべきなのかもしれない。


 捜査本部の報告に再び耳を傾ける。


 麻布署の刑事が報告するのは、当日の矢野崇の足取りだ。


 事務所の監視カメラに映っていた通り、矢野崇は午後10時半に事務所を後にすると、その後、ビルの駐車場に向かっている。彼はそこに自家用車を停めており、車に乗り込む姿が駐車場の監視カメラの映像に残されていた。


 この点には大きな疑惑が残る。


 誰かと電話で話しながら乗車した矢野崇は、そのまま発車することはなかった。


 時間にしておよそ1時間。そしてその後、彼は再び車から降り、どこかへ向かっている。


 つまり矢野崇は、午後10時半に事務所から出たものの、ビルの敷地の中には居続けていたことなる。執務室の裏手の鍵を使って、そのまま事務所に戻ったと考えても不自然ではない。


 矢野崇の死亡推定時刻は、午前0時から3時の間。彼が事務所に誰もいなくなったことを確認し、再度1人でそこへ戻ったのだとしたら。


 彼がその時電話を掛けていた相手についても、調べがついていた。


 百瀬武志。


 矢野崇の携帯電話の着信履歴から考えるに、さして親しい間柄ではなかったのだろう。というのも、矢野崇の携帯電話の着信履歴には、事件当日を除いて百瀬武志に連絡をしていた形跡がないのだ。電話帳にも、百瀬武志の番号は登録されていない。


 事件直前に矢野崇が久々に彼に連絡を取った理由とは何なのだろう。


 ーーー夜が明け、酒井は四方を引き連れて百瀬武志のもとを訪れた。


 都内にある国立高茶宮センター病院院長室。


 酒井達を心底迷惑そうに出迎えた初老の男は「手短にお願いしますよ、刑事さん。私も暇ではないんでね」と、椅子からゆっくり立ち上がる。


「お時間は取らせませんよ、院長先生。我々の問いに素直に答えてさえくれれば」


 案内された客間の椅子に腰掛けながら、少々高圧的な態度で四方は言う。


「一体何だって言うんですか」

「昨日、矢野崇さんから着信がありましたね。何の話をされたんです?お二人の関係は?」


 酒井の問いに、一瞬戸惑いの目を見せたのは気のせいだろうか。


 一度瞬きをした時には、百瀬武志の顔は、また迷惑そうな表情に戻っていた。そして彼は、大きな溜め息を着く。


「古い知人です。久々に食事に行こうとか、そんな話を。何故、そんなことを訊くんです?」

「矢野さんは殺されました。貴方と連絡を取ったそのすぐ後に。重ねて質問しますが、矢野さんとの電話前後、どこで何をしていましたか」


 言葉に詰まり、目が泳いでいる。これは確実に、百瀬武志は何かを知っている。


 畳み掛けるように、四方は言葉を続ける。


「もう一度訊きますが、矢野さんとは電話で一体何をお話に?」


 百瀬武志が睨み付けるようにこちらを見る。さすがの威圧感だが、四方は眉一つ動かさない。


 もう一押しというところだろうか。


 百瀬武志は再び大きな溜め息をつくと、椅子からゆっくり立ち上がった。窓際に近付くと、そこから外を覗きながら口を開く。


「矢野とは本当にただ久しぶりに食事に行こうという話を。私をお疑いなら、証言する者は沢山いますよ。電話をしていた時、私は病院にいました。その後は緊急のオペがありましてね。ずっと、オペ室にこもりきりでしたよ」

「決して疑っているわけでは」

「ではもう良いですかな。私は忙しいのでね」


 逃げるように百瀬武志は部屋を出ていく。


 彼の秘書に促されるまま、酒井と四方も部屋を出るしかなかった。


 これ以上、彼から情報を探り出すのは困難か。

 

 四方と二人で顔を見合わせ、仕方なく病院の駐車場に停めておいた車に戻る。 


「かなり匂うな」

「ですね。ガイシャが殺されたと聞いても、動揺はしても『自分が殺したわけじゃない』ことを強調していた」

「もっと矢野崇自身のことを気にかけても良いだろうに、自分の保身を気にしていたような感じだな」

「確実に何かを隠していますね。でも、ガイシャの死亡時刻にアリバイがあることは間違いなさそうですよ」

「殺していなくても、殺される理由は知っているのかもしれない」

「任意で引っ張りますか?」

「素直に応じるわけないだろ」


 百瀬武志にアリバイがあるとすれば、容疑者は再び法律事務所の人間に絞られる。だが、彼の態度を顧みれば、殺害に手を貸した可能性も否定はできない。


 状況証拠だけでは、これ以上犯人を特定するのは困難だった。


 今は各所の報告を待つしかないか。


 空を見上げる。殺人事件現場に駆け付けてから早くも1日が経過しようとしている。


 雲の流れが速い。空の向こうの方に黒い雲が見える。


 午後からは天気が崩れそうだ。


「四方、悪い。ちょっと野暮用を済ませてきてもいいか?」

「サボりですか?酒井さん」

「本当は昨日行く予定だったんだけど、バタバタして行けなかったからな」

「あぁ、昨日でもう5年ですか」

「そう、だな」


 ごゆっくり、と苦い笑顔を浮かべた四方は一人車に乗り込む。


 駐車場を後にする四方を見送ると、酒井は駅へと向かった。


 時間にして15分程で目的の駅につく。から出てすぐの花屋で花束を購入し、先を急ぐ。


 駅からしばらく歩いたそこにあるのは、ひっそりと佇む寺だ。


 長い階段を上がると、多くの人が眠っている墓地に辿り着く。その一画に酒井は近づく。


 花束を邪魔にならない場所に立てかけ、まずは墓周辺の掃除をする。手桶から柄杓で水をすくい、墓石に掛ける。雑巾で墓石を軽く拭いて、花束を飾る。


 最後にネックレスに下げていた指輪を水鉢の近くに置いて、酒井は静かに手を合わせた。


 「狭間家」と書かれたその墓には、酒井の婚約者が眠っている。


 5年前に死んだ。彼女は警察官で、殉職だった。


「麗子、ごめんな。昨日来られなくて」


 風が吹く。まるで彼女が返事をしてくれたように感じて、酒井は目を伏せる。


 5年の歳月が経ち、今自分に残る感情は哀しみではなく、憤りと焦燥感。


 思い出すだけで、胸の奥が酷く熱く焼けるような感覚に陥る。


 5年前、狭間麗子はざまれいこは爆破事件の捜査をしていた。


 とある教団が画策した、テロ事件だ。


 午後4時50分。デパートの非常階段が爆破。


 一般客の被害はゼロ。代わりに、事件を捜査していた2人の警察官が還らぬ人となった。


 その1人が、麗子だった。


 教団の教祖はすぐに捕らえられたが、真相は何一つわかっていない。報道規制がかかり、マスコミはほとんどこの事件についての報道をしなかった。だから世間はこの事件について知らないし、覚えてもいない。


 当時、ほんの少しだけ話題になっただけだ。警察内部ですら、事件資料の閲覧制限が掛けられている。


 当然、麗子の婚約者であった酒井にも、事件について納得ができるほどの説明をされることはなかった。


 事件に関する情報は全て、酒井と心を同じくする友人が独自に調べ提供してくれたものだ。彼の協力がなければ、麗子が爆破事件の捜査員であったことすら知ることはできなかっただろう。


 原型など殆ど留めていない彼女の遺体と向き合った時の絶望感は、今でも鮮明に思い出せる。


 5年前の事件は解決していない。犯人は捕まったが、それで全てが終わったわけではない。


 何故5年前の事件は起きたのか、何故彼女は死ななければならなかったのか。犯人が捕まったところで、それは何一つ明かされていない。


 必ず、真相を明らかにしなければならない。それが、酒井が刑事であり続ける理由なのだ。



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― 新着の感想 ―
[一言] ながら運転しないだけマナーがあるなぁ とはいっても、頭の中でコナン君のテーマが エンドレスw ―――――― 素直に言うなら、推測しながら読んでて 見えない答えに迷い中 まあ、当たり前で…
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