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偽善悪  作者: 傘花
8.探究
49/211

8(3)

2025/11/18 ▶全体の流れの調整、読みやすさ改善のため、一部改編を行なっております。

 どいつもこいつも、酒井しかいないのだとか、救えだとか、勝手なことを言ってくれる。


 峰村帝を救うことが酒井の使命だと思うには、自分はあまりにも彼に恨みを抱き過ぎている。


 少しずつ小さくなっていく2人の背中を見つめながら、シャツの下に隠されたネックレスに触れる。


 麗子の復讐を果たしたい。結局自分は、5年前からその思いを断ち切れずにいる。何度も違うと自分の頬を叩いては、警察官としてあるべき姿を保とうとする。亘も復讐の先には何もないと、何度も酒井を諭してくれている。


 けれどこれはもう、酒井の中にこべりついて離れない信念であり、天羽源十郎や峰村帝が死んだところで、消えて無くなってくれるものではないのだ。


 何がどうなったところで、麗子は二度と戻ってはこない。あの時からもうずっと、酒井は断崖絶壁の上でいつか落ちるかもしれない恐怖と戦っているのだ。


「酒井さんっ」


 四方の声がして、酒井は辺りを見回す。声の大きさの割には随分遠くから巨体を揺らして走ってきた彼は、酒井の目の前で足を止めて、額の汗をハンカチで拭う。


「四方。すまない。今、捜査本部に戻る」

「いや、そうじゃなくて…あの…相良田が…」

「相良田がどうした」


 覚せい剤所持で捜査4課に身柄を引き渡されていた相良田正臣。拘置所にいるおかげで青薔薇連続殺人事件に巻き込まれずに済んでいるようだが、何かあったのだろうか。


「相良田が…不起訴になりましたっ」

「まぁ、あの調子じゃ、逃げ切るだろうなって気はしてたさ」

「いや…問題はそこじゃなくて…」

「何だ。何があった」


 荒い息を吐きながら、四方は咳を漏らす。何とか呼吸を整えようとしているのだろうが、なりふり構わず全速力で走ってきたのだろう。大して呼吸も楽になっていない。


「朝倉さんが…」

「朝倉?」


 予想もしていなかった名前が出てきて、酒井は思わず聞き返す。


 朝倉は確か、百瀬武志医師の捜査の班に回されていたはずだ。監視下に置いていたはずの彼がまんまと殺されて、青い薔薇を残されて、管理官が激怒した後、その事後処理にかなり慌しかったはずだ。


 昨日、小笠原星を警視庁に呼んだ時にお茶出しをしてくれていたが、随分とやつれた顔をしていた。


 そう言えばあの時何故、あの場に朝倉がいたのだろう。酒井は朝倉にお茶出しを頼んだ訳ではなかったのだ。


「いや…もう、なんか、よくわからないことになってて…とりあえず、早く…」


 四方に促されるまま、酒井は走り出す。既に一度全力で走ってきただろうに、よくまた走れるなと、目の前の状況を見る前は、そんな悠長なことを考えていた。警視庁の裏手近くまで走って行って、そのただならぬ光景を目の当たりにして、ようやく四方の心中を理解する。


 相良田正臣と朝倉が対峙している。いや、朝倉の方は、警察官2人がかりで取り押さえられているせいで動けないだけで、その手を緩めたら、今にも相良田正臣に飛びかかりそうな勢いだ。


 一体どういう状況なのか、これは。


 スーツを身に纏った相良田正臣が気だるそうな表情で、取り押さえられている朝倉を見下ろしている。そんな彼も警察官に取り囲まれている。


「…ふざけるな」緊張感の漂う空間で先に声を発したのは、朝倉の方だった。「そうやってお前はまた…何事もなかったように生きるんだろ」


 相良田正臣は何も言わない。ただ、心底面倒くさそうな顔で朝倉を見ている。


 警視庁の外が騒がしい。記者達が押し寄せていて、それを警察官が押し返している。


 相良田正臣は先ほど東京拘置所から釈放されたばかりなのだろうか。そもそも彼は何故、警視庁にいるのか。


 相良田正臣が大きくて長い溜息をつく。自分を取り囲む警察官を押し退けて、朝倉の元に近付く。「捜査に協力して欲しいって言われたから来たのに、何でこんな仕打ちを受けなきゃいけないわけ?」


 よく見れば、相良田正臣のスーツはかなり乱れていた。ネクタイは緩み、シャツははだけている。ボタンがいくつかシャツから無くなっていて、随分と激しい取っ組み合いをしたと見受けられる。


 状況から察するに、相良田正臣と朝倉が取っ組み合いをしていたのだろう。だが、その意図がわからない。捜査中の朝倉は、相良田正臣と何か関係があるような素振りを見せることはなかった。他の刑事にとっても、それは同じだったと思う。


 あまりに突然、それは起きた。


「警察って、突然襲いかかってくるような野蛮な連中なんですかねぇ。ねぇ、土居さん」


 相良田正臣が吐き捨てるようにそう言う。彼の見つめる方に振り返ると、腕を組んだ土居一課長の姿が目に入った。


「すまない。そいつには、然るべき処分を与えておく」

「こんなんじゃ、その辺のチンピラと変わりありませんねぇ。警察の皆さん」


 随分周囲を煽るような言い方をする。けれど土居がいる手前、誰一人として逆上できない。相良田正臣もそれを分かってて言っているのだろう。皆、煮え繰り返った腑をそのままぐっと飲み込んでいる。


 土居と相良田正臣は知り合いなのだろうか。話を聞くに、土居が相良田正臣に捜査協力の依頼をしたような物言いだ。


 酒井の疑問を言わずとも察するように、土居はその眼鏡の奥から冷たい視線を酒井に送る。「相良田の自宅に青薔薇殺人の犯行予告があったそうだな」


 思わず四方の顔を見ていた。四方が目を丸くして、自分ではないと小刻みに何度も頭と手を横に振っている。


 土居が何故、そのことを知っているのだ。そのことは四方が捜査4課にいる後輩に頼んで、こっそり調べて報告してもらっていたものだ。勿論、捜査本部に報告も上げていない。


「報告がないが、何か知られるとマズいことでもあるのか、酒井」


 土居に知られてしまうのが、ある意味一番「マズい」ことだ。相良田正臣が青薔薇連続殺人事件に関与しているかもしれないとの酒井の訴えを跳ね除けたのは、紛れもなく土居なのだから。


「…いえ。申し訳ありません」


 事件の真相をあやふやにし事件を撹乱しているのは、お前ではないか。


 口に出せずとも、心の中でそう強く思う。


 折角得られた相良田正臣の情報も、土居の手に落ちれば揉み消されてしまうかもしれない。


 「ダイヤのエース」、そして、矢野崇弁護士の現場にも残されていた「スペードのジャック」の文字。これらが無関係なはずがない。犯人が被害者を敢えて異名で呼んでいるのは、そこに大きな意味があるからだ。


 青薔薇連続殺人事件が起きた理由を知っていたであろう百瀬武志は殺された。真実の鍵を握っているのは、もう相良田正臣しかいないのだ。


「早く朝倉を連れて行け」


 土居が朝倉を取り押さえる警官に顎で指示をする。警官が慌てて朝倉を引きずって行こうとすると、それに抗うように、朝倉が暴れる。驚いた警官が思わず彼女を掴む手を離してしまうと、その隙に朝倉は再び相良田正臣の胸倉に掴み掛かる。


「ふざけるなっ。どうせお前は、私のことなんか覚えてもいないんだろっ。私も星ちゃんも、お前にとっては掃いて捨てるだけあった玩具の一つに過ぎないんだからっ」


 頭で考える前に体が動いていた。朝倉の元まで駆け寄って、他の警官とともに酒井は彼女の体を抑える。


 どれほど掴み掛かられようと、相良田正臣はどこまでも冷静だった。掴まれた襟を手で払って、取り押さえられている朝倉の顔をじっと覗き込む。


「知らねぇな。お前のことなんて、俺は、知らない」


 あまりにはっきりと、相良田正臣は言い切る。その言葉は、朝倉の残された理性を奪うには十分だったのだろう。朝倉は再び制止を振り切る。そして、胸ポケットから取り出した何かを相良田正臣に向かって振り下ろす。


 これは、カッターか?


 反射的に、朝倉の肩を強く掴む。そのまま勢いよく引っ張ると、バランスを崩した朝倉が、酒井の方に倒れ込んでくる。背中を強く床に打ち付けるとともに、太ももに鈍い痛みを感じたが、なりふり構っている場合ではなかった。朝倉の手からカッターを奪い取って、自分のスーツのポケットに仕舞う。そのままその手で、彼女の頬を思い切り叩く。


「しっかりしろ、朝倉ぁ!!」


 騒がしかった空間が、一瞬にして静まり返る。周囲が呆気に取られている間に、朝倉の腕を掴んで半ば無理矢理立たせる。


 朝倉の表情は読み取れなかった。酒井に叩かれた頬を手で抑えて、俯いたまま何も言わない。

次回投稿は12/20(水)

を予定しております。

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