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長い年月を経て、次話投稿です。遅くなってしまい、大変申し訳ございませんでした。現在、TikTokにて小説PV動画を投稿しております。そちらも合わせてご覧にいただけると幸いです。
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「ちなみに、この事務所はいつもこんなに散らかっているわけではないですよね」
「そんなことあるわけないじゃないですかっ」
そう言ったのは鈴木美恵子ではなかった。振り返ると、そこにいたのは遺体を見て腰を抜かす三十代くらいの男と、口に手を当てて大袈裟に驚く中年女性、その後ろに、無表情で遺体を見つめる若い女性。
「皆さんは、こちらの事務所で働く?」酒井の問いに、男は何度も頷き、中年女性はゆっくりと頷く。若い女性は何も言わない。
三十代くらいの男は市川和馬と名乗った。矢野法律事務所で働く弁護士の一人で、半年前にこの事務所に就職したばかりだという。中年女性の名は、榎本千枝。同じく矢野法律事務所で働く弁護士の一人。矢野崇と仕事をして、もう数十年が経つという。矢野崇の右腕のような存在で、この事務所になくてはならない存在なのだとか。本人談ではあるが。最後の一人は、小笠原星。終始声が小さく、酒井は何度も彼女の話を聞き返す。どうやら、この矢野法律事務所で事務としてアルバイトをしながら法科大学院に通う学生のようだ。榎本千恵とは違い、こちらが質問していない事には一切応えない。まず、目が合わない。そんな彼女を代弁するように、榎本千恵が小笠原星の説明をする。
小笠原星は榎本千恵の親戚だという。榎本千恵の姉の旦那の弟の子どもだとかなんだとか。小笠原星が大学生時代に法学部に入学したことを知った榎本千恵が、自分の勤めている法律事務所のアルバイトを勧めたのだという。
「それで、榎本さんの話によれば、ここはいつもはきちんと整頓されているわけですね。では、何かこの事務所から持ち出されたものはありますか」
酒井が尋ねると、榎本千恵が涙を目に浮かべながら答える。「ちょっと見ても良いかしら」
「えぇ。お願いします」
榎本千恵、市川和馬、そして小笠原星が手分けして事務所内を探す。広い事務所ではないから、そう長い時間はかからないだろう。
四方に目配せをして、酒井はその場を離れる。時間はかからないとは言え、一服する時間くらいはあるだろう。
事務所から出て、すぐ近くにあるテラスに出る。流石、一流オフィス街にあるビルだ。お洒落なテラスにデザインの凝った喫煙所が設置されている。
ジャケットの胸ポケットから煙草を取り出す。ライターで火を着けようとすると、横から酒井の持つそれとは違うものが、煙草の先を燃やす。
「宇月、お前はホステスか何かなのか」
「ボトル一本入れていいですかぁ?」
「断る」
宇月の冗談を鼻で笑いながら、煙草の煙と共に息を吐く。
「面倒な事件でないと良いですね」
「どうだかな」
「係長はどんな事件だと思います?」
「さぁな。現場証拠だけじゃ、何とも言えん。だが、遺体の損傷には強い殺意を感じた」
「今日、家帰れますかね……」
「用事でもあるのか」
「金曜ロードショー……録画してくるの忘れた……」
「諦めてツタヤででも借りろ」
酒井自身も今日は行くべきところがあったと思い出すが、諦めるしかない。こればかりは仕方がない。「彼女」も、それは理解してくれるだろう。
煙草を灰皿に入れ、喫煙所を出る。そろそろ、あの弁護士事務所から無くなった物が分かる頃だろうか。
ふと、テラスからビルの下を覗き見る。事件発生から数時間。既にビルの周りには野次馬が殺到している。テレビでよく見るあの矢野弁護士が殺されたらしいと、早々に噂が流れたのだろう。報道陣まで大勢集まってきている。
制止線の間際まで人々が押し寄せ、手前に立つ警察官が必死で彼らを押し返している。
その野次馬の中に、明らかにこの場に似合わない娘が一人。
ツインテールが人混みの中で見え隠れする。必死で制止線の向こうを見ようと、ツインテールの娘が跳び跳ねている。どこで噂を聞き付けてきたのか、平日のお昼にも関わらず、制服を着た女子中学生が野次馬の中に紛れ込んでいる。
ツインテールの女子中学生が、ふと顔を上げる。そのせいで酒井は、彼女の大きな瞳と目が合う。マズい。そう思った時には既に遅かった。
「酒井警部!」
城宮愛美が酒井を呼ぶ。野次馬の中で飛び跳ねながら、こちらに必死に手を振っている。
彼女から目を逸らす。何も見ていない、気のせいだと自分に言い聞かせる。
「係長。愛美ちゃん、また来てますよ」
「気のせいだ」
城宮愛美。彼女に付きまとわれるようになって、もうどれほど経ったかわからない。近所に家か学校でもあるのか、港区で事件が起きたとなると、それが日中であろうと夜中であろうと現場に駆け付けてくる。そして、必ずと言っても良いほど、こう言うのだ。
「酒井警部!事件?事件よね!取材させて!」