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2025/11/18 ▶全体の流れの調整、読みやすさ改善のため、一部改編を行なっております。
2023/12/30 ▶誤字脱字等の微修正を行なっております。
2023/12/30 ▶小説内の矛盾点についてやや大きめな修正を行なっております。小説全体の構成を変えるものではなく、主人公酒井勝久の思考に一貫性を持たせるための修正となっております。大変申し訳ございません。
「そんなことはしません。もちろん、要所要所で覚えなくてはならない部分はありますけど」
こうして見ると、本当にただの学生だ。警察官を目の前に言葉巧みに嘘をつけるような人間には見えない。
だとしたら、矢野崇へ送られてきた犯行予告の手紙を見ていたことを警察に話さなかったのは、ただの偶然か。
「勉強が大変な中、アルバイトもして。アルバイトは確か、事務仕事でしたっけ」
「はい。ですが、美恵子さんが優秀なので、私は事務として仕事は全然なくて。なので、千枝さんの後ろにくっついて、実践的な仕事見学をさせていただいてるのが殆どです。本当、お給料を頂いているのが申し訳ないくらいで…」
事件当初に比べると、自分のことをよく話すという印象。口調や声色も幾分かハキハキしている。たった数時間会話をしただけの酒井が、彼女のことをどれ程知っているのかと問われると、勿論その通りである。しかし、小笠原星がこんなにもすらすらと話をするのは、彼女の本来の姿なのか、何かを隠そうとしているのか、果たして。
「では、事務の仕事は殆どされていなかったと」
「私は学校が終わってから出勤するので、その時間にはもう事務の仕事は殆ど終わってるんです。なので、千枝さんの仕事の書類をまとめたり、千枝さんのお客様にお茶をお出ししたり。私の事務の仕事と言えば、そんなものでした」
一般的にポストに入った手紙を確認するのは、朝一番に出勤したときだろうか。裏を取る必要はあるだろうが、ともなると、やはり小笠原星が殺害予告の手紙を見る時間はなかったことになる。
けれど、矢野崇に届いた殺害予告の手紙には、彼女の指紋がついていた。
何故、小笠原星はそれについて語ろうとしないのか。
「何故、弁護士になろうと?」
酒井の問いに、小笠原星は目を伏せる。何かを考えているように、何度かゆっくりとまばたきをする。
「本当は、検察官になろうと思っていたんです」
「検察官?」
「はい。警察官になることも考えましたが、何分、体力がないもので」
「随分、正義としての道をどのように進むかで悩まれているんですね」
小笠原星が顔を上げる。酒井を見つめるその瞳には、先程までのおどおどおした様子は一切消え失せていた。
「許されてはならない人達がいます。守らなければならない人達がいます。間違いは正さなければいけない。だから、私は法の仕事に就くと決めました」
あまりにきっぱりと、そして真っ直ぐ言うものだから、酒井は言葉を失う。
その彼女の決意は、生と死を決める覚悟にも似ていて、まるで、麗子を見ているようだった。
正義を保てないのであれば、死んでいると同じだと。
「立派な志です」
「…ですが、私は普通の人とは少し違うのです。トラウマのせいで、人とまともに接することができない日があります。それを千枝さんも理解してくれていて、だから弁護士として自分の傍にいるように声を掛けてくれたのです」
「トラウマ、ですか。それについて、お聞きしても?」
小笠原星はゆっくりと首を横に振る。
「そうですよね。言いづらいことを、申し訳ありません」
「いえ…」
再び先程の彼女に戻ったかのように、背を丸めて、視線は酒井のスーツや机を行ったり来たりする。
正義を語る姿こそ、小笠原星の本質なのかもしれない。しかし、過去のトラウマとやらが、そんな彼女を真っ直ぐな思いを翳らせている。
それでも前を向こうとしているのだから、やはり小笠原星という人物は、よく笑いよく話す人なのかもしれない。
「あの…それで、何をお聞きになりたくて、私を呼んだんですか?世間話のためではないですよね」
小笠原星の顔を見る。
本題は、ここからだ。
「先程、事務仕事は殆どされていないとおっしゃいましたよね」
「…はい。それが、何か」
「事務所に送られてくる手紙などの管理も、鈴木美恵子さんが行っていた」
「そう、ですが」
机の横に置いておいた黒いファイルを開く。そこにあるのは、先程山口鑑識官から受け取った、殺害予告の手紙の指紋鑑定結果だ。
「犯人は矢野崇さん殺害前に、その犯行予告とも取れる手紙を送っています。事件当初、鈴木さんが『スペードのジャック様へ』と書かれた奇妙な手紙があって、それを矢野さんに渡したと証言している。小笠原さん、貴方がその手紙に触るタイミングはなかった」
小笠原星は何も言わない。目を見開いて鑑定結果を眺めたまま、まるで銅像にでもなったかのようだ。
「けれど、その手紙から貴方の指紋が検出されました。これについて、説明していただけますか」
彼女の視線が泳ぎ始める。矢野崇がシュレッダーにかけて処理したはずの手紙。まさか出てくるとは思ってもみなかったのだろうか。
「えっと、その日は、私も美恵子さんの仕事のお手伝いを…」
「そうですか。では、鈴木さんにも確認を取りますが、構いませんね」
「いや、えっと、あの…実は私も確認をしていたのですが、気味が悪くて戻してしまって」
明らかに動揺している。けれどそれが返って、彼女の怪しさを低減させている。
もし小笠原星が殺人に加担していたとしたら、殺人に加担しているという自覚があったのであれば、このような事態は予測できたはずだ。
「小笠原さん。鈴木さんは、矢野さんが殺された日の前日の朝に、手紙を見たと証言されています。そしてその後、矢野さんに手紙を渡している。貴方がその日に出勤した時間を調べれば、貴方の嘘は、すぐに立証されてしまいます」
「嘘、ではありません。鈴木さんが手紙を見る前に、私も手紙を確認していました。鈴木さんが手紙をみた前日の夜だったと思います」
「そして、気味が悪くて手紙をポストに戻してしまったと」
「はい」
頑なに認めない。嘘をついていることは明らかなのに、何が彼女をそうさせるのだろうか。
「小笠原さん。貴方の指紋がついていたのは、おそらく犯人からの殺害予告です。嘘では済まされない」
「手紙のことは申し上げた通りだし、私は矢野先生を殺していません」
「えぇ。我々も、殺したのは別の人物であると予測しています。けれど、決定的な手がかりに欠けている。だから、手紙の存在を知っていた貴方の証言が欲しい。もし、貴方の嘘が立証されたら、これは『殺人罪における幇助の罪』に当たる可能性があります」
小笠原星が、酒井を視界に捉えたまま唾を飲み込む。喉が波打つようにゆっくりと動く。唇を舐めて、そして小指で触れる。
動揺が隠せなくなってきている。もう少しか。
「仮にも弁護士の卵であるなら、わかるでしょう。その罪の重さが」
洋服を握り締めている手が震えている。
手紙を事務所のポストに投函したのは、小笠原星なのかもしれない。けれど、彼女は犯人ではない。一連の事件の犯人は峰村帝であるはずで、それならば小笠原星は、峰村帝とコンタクトが取れる場所にいる。
そして彼女は、何故矢野崇が殺されなければならなかったのかを知っている。
「…鈴木さんが手紙を確認する前に、私は手紙を見ました。でも、気味が悪くて、またポストに戻しました」
あくまで、嘘を突き通すか。
椅子の背もたれに背中を預け、酒井は大きな溜息をつく。
「そうですか。わかりました。貴重なお時間を、どうも有難うございました」
朝倉を呼ぶ。彼女に小笠原星を見送るよう頼み、酒井は部屋を出る。
青薔薇連続殺人事件の裏には、一体何があるというのか。隠さなければならない事実とは、何だと言うのか。
困惑を通り越して、憤りを感じる。
峰村帝。お前は、一体どれほどの人間の人生を狂わせば気が済むのか。
「あ、酒井さん。終わりましたか」
壁にもたれ掛かって腕を組んでいた四方が、部屋から出てきた酒井に元に駆け寄る。
「四方」
「相良田に届いた青い薔薇の件ですが、普通の宅配業者ではないと思われます」
「偽装か」
「おそらく。いくつかの運送会社を当りましたが、花束の入っていた段ボールに貼られていた伝票番号を処理している業者は見つかりませんでした」
「宅配員は男性だって言っていたな」
となると、小笠原星ではない。
「峰村帝本人である可能性もあるな」
「でも、警察に追われている中で、そんなリスクの高いことしますかね」
「大和巡査に、宅配員の背格好を確認しろ。あと、峰村の写真も」
「はい」
大きな体を揺らして、四方が廊下を走っていく。
峰村帝は教団と繋がっている。だとしたら今回の事件は、教団によって引き起こされている事件なのだろうか。
峰村帝の目的が復讐であるとすれば、そこに何故教団が関わってくるのだろう。峰村帝は教団を使って、自分の復讐を成し遂げようとしているのだろうか。
彼にとって、教団は駒なのかもしれない。復讐の道具。
だとしても、教団に同情はしない。教団がなければ、麗子は死ぬことはなかった。
少しずつ、酒井の中で「峰村帝」という人間像が変わっていく。
妹を殺され冤罪で捕まった悲劇のヒーローであろうが、彼のしようとしていることは紛れもなく犯罪だ。
もうそこには、涙で頬を濡らす無垢な少年は存在しない。いや、始めから無垢ですらなかったのかもしれない。20年前の女児殺害事件以前から教団にいたかもしれない彼は、その時から既に天羽源十郎の思想に染まってしまっていたのだ。
捜査本部に戻り、宇月を呼ぶ。彼を連れて、相良田正臣の自宅に向かう。
途中から雨が降り出していた。そこそこに激しい雨で風も強く、まるで足踏みをしている今の酒井の心境を表しているようにも見えた。
結論から言って、その日は犯人らしき人物が相良田正臣の自宅に現れることはなかった。それは、たまたま犯行がその日に行われなかったからなのか、それとも四課の連中が自宅をうろうろしていたために犯行を断念したからなのか、それはわからない。けれどどの道、相良田正臣は自宅にはいないのだから、犯人は犯行を諦めるしかない。
これまでの犯行時刻から考えて、今から殺人が行われることはないだろうと、朝方になってから、酒井は宇月とともに捜査本部に戻った。
警視庁の自分のデスクの椅子に腰を降ろした瞬間に、どっと疲れが押し寄せてくる。それは、宇月も同じだったようで、椅子に座った途端に、彼は気絶するように机に額を付ける。次の瞬間には寝息が聞こえてきて、思わず笑ってしまう。
無理もないだろう。もしかしたら殺人犯と対峙するかもしれない事態だったのだ。2人で張り込みをしていた時はそんな素振りを一瞬も見せていなかったが、現場としての経験がまだそう多くない宇月にとっては、緊張の一時だっただろう。
もう少し、上司として配慮すべきだったかもしれない。
酒井に足りない部分は、こういうところなのだろう。気を使って先回りすることが、どうにも苦手だ。そうした役回りは宇月の方が得意で、だからこそ、以前のように城宮のことを彼に指摘されてしまう。
麗子とともにいた時も、彼女はその事で気を揉んだりしていたのだろうか。気が利かない男だと、そんなことを生前に彼女は言ったことがなかったけれど、もしかしたら、麗子の悩みの種の1つだったかもしれない。
もっと宇月のように、亘のように「気がつく」人間であれば、自分は麗子を失わずに済んだのだろうか。危ない事件に関わっているのであれば、降りるように言ったのだろうか。
鼻で笑う。気付いたとて、言うことはなかっただろう。それは、彼女の意思だったのだから。
麗子といつまでも結婚せずにいたのは、彼女の志を邪魔したくなかったからだ。公安部で活躍したいと願う彼女に「妻」としての役割を押し付け、縛り付けたくなかった。
恋人として付き合い始めたのは10年以上前の話で、麗子の両親が事故で亡くなった時の事だった。麗子には親戚がいなかったから、両親がいなくなって、彼女は天涯孤独になってしまった。そんな彼女の背中を友人として見ているのが辛くて、傍で支えてやりたくて、麗子に交際を申し込んだのだ。
麗子は酷く迷っている様子だった。時を同じくして、彼女は所轄の交通課から公安部に異動になっていたから、余計だっただろう。
次回投稿は11/15(水)
を予定しております。




