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2025/11/18 ▶全体の流れの調整、読みやすさ改善のため、一部改編を行なっております。
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事件は異世界だ。そこにあるのは未知の世界で、まるで物語を読んでいるような気分になる。だから知りたくなるし、追い求めたくなる。今の耐え難い現実から離れて、新しい世界を飛び回っているような気分になる。小説とは違う、リアルだけれどリアルでない世界。新聞記事は、そんな世界を覗き見るための一つの手段だ。自らの手でその世界を追求し、真実を暴いて世に知らしめる。ただ物語を読むだけではない、自らの足で未知の世界を突き進んでいくことが、記者としての醍醐味なのだ。
そんな壮大なことを、新聞部を作った当初は思っていたはずなのだが。
シャーペンを指でくるくると回しながら、原稿を睨みつけること早1時間。全く記事が書けなくて、愛美はついにシャーペンを放り投げる。
テレビでは3件の連続殺人事件についての話題で連日持ち切りだ。どのチャンネルを回しても、追悼を兼ねた殺人事件のワイドショーが映し出されている。特に矢野崇弁護士については、最近のバラエティー出演本数が飛びぬけており、多くのテレビ局が色々な「素材」を利用して番組制作に勤しんでいる。
まるで、誰が一番、矢野崇追悼番組の視聴率を取れたかを競っているみたいだ。
けれど結局、どの番組も事件の込み入った内容については語っていない。益枝宗之や矢野崇がどんな人物だったのか、テレビ業界にどんな影響を与えたのか。内容は彼らの生前の活動に焦点が当てられている。3人目の百瀬武志院長については、そもそも殆ど触れられていない。
被害者達がどんな人物だったのか。犯人像を絞り込む上では確かに重要なことであるが、報道内容があまりにそちらに傾き過ぎている。
警察が報道規制でもしているのだろうか。3人も殺害された連続事件だとなれば、警察内部ではかなり重要視されるはずだ。次また被害者が出るようなことがあれば、追悼番組から警察無能非難番組に替わることだろう。
携帯を開いて、メールが届いていないか確認をする。宇月に連絡を取っていたのだが、忙しいのか2日前から返信がない。
宇月は揺さぶれば(というより脅せば)簡単に捜査情報を教えてくれるから都合が良かったのだが、今回の事件はそんな彼からの情報も殆ど得られずにいる。
完全に情報不足だ。有名人達が次々と殺されていく。その着眼点はよかったのだが、問題はその後だった。
やはり、現場に行くしかないか。
全身鏡の前に立って、自分の顔をじっと見る。指で口角に触れて、今度は触れた指を見つめる。
血は止まった。でも、傷口がまだ目立つ。頬の腫れもまだあまり引いていないようにも見える。
マスクを付ける。クローゼットから長袖と長ズボンを取り出す。初夏の陽気でこの格好は厳しいが、仕方がない。部屋を出る。ご飯の香りがして、愛美は心の中で舌打ちをする。
まずい。今日は彼女の日か。
キッチンにいる花絵が顔を上げる。いつもと変わらない仏頂面で、すぐにこちらに近付いてくる。「愛美さん、おはようございます。すぐにお出かけですか?朝ご飯がもうすぐできるのですが」
「いらない」
「朝ご飯は食べないと、一日元気に過ごせません。ただでさえ、愛美さんは貧血気味なんですから」
「お腹空いてないし、すぐに出かけるから」
顔に傷があるのが彼女にバレてしまうと面倒だ。以前にも体の痣を花絵に見つかってしまった時に、皮膚科やら産婦人科やらに連れまわされて大変だった。
放っておいて欲しいのに。
ずれてもいないマスクの付け位置を直して、愛美は足早にその場を去ろうとする。
「愛美さん」
後ろを振り返る。花絵が真っ直ぐこちらを見ていて、全てを見透かされているような気分になる。
怒っている訳でも、哀しんでいる訳でもない。けれど何かを強く訴えている彼女の視線が、愛美の気持ちを酷く揺さぶる。
どうして、そんな目で見るのか。その視線が、自分はこの上なく嫌いだ。見守ることが「正しい」のか「正しくない」のか。そんなことを決めかねているような目が、吐き気がするほど不愉快にさせる。
「…図書館、行ってくるだけだから。友達と約束してて」
ウザいと、関わるなと言えば良いのに、目を逸らして嘘をつく。
「わかりました。学校には休みだと連絡しておきます。食事は他にもいくつか作り置きして冷蔵庫に入れておきますので、お昼か、夕飯にお召し上がりください」
「花絵さん、今日いないの?」
彼女の言葉尻に何となく違和感を抱いて、愛美は尋ねる。花絵はいつも、食事は作り置きせずに出来立てを振る舞ってくれる。そんなところも、他の家政婦にはない彼女のこだわりだ。
「はい。半有をいただいております。午後はおりませんので、何か申し付けがございましたら、今お伺いしますが」
「別に、ないけど」
「わかりました。では、いってらっしゃいませ。お気をつけて」
次回投稿は9/17(日)を予定しております。




