19(18)
小説紹介PVをTikTok、YouTube、Instagramにて公開中
TiktTok:@kasa_hana
Instagram:kasahana_tosho
YouTube: https://youtube.com/playlist?list=PLt3PQbuw-r8O9HSlBuZ3glNfnbs2-4Al2
---
「酒井さんっ!」
背後から呼ばれて、酒井はゆっくりと振り返る。遠慮なしにこちらに飛び付いてこようとする城宮がそこにはいて、酒井は反射的に身を翻していた。
「危なっ…煙草!煙草あるからっ!」
「9ヶ月間もどこに行ってたの?!」
芝生に着地した城宮は、制服の汚れを気にする素振りも見せず、そう酒井に問いただす。
完全な敗北から立ち上がろうと出版社から立ち去ったあの後、酒井はその足で警視庁へと向かった。
警察という組織に嫌気が差し辞めようと思ったからではない。むしろどうにかして警察官であり続けるために、手を回そうと考えた結果だった。
酒井は一連の事件において上の指示を無視し独断で動いたとして処分を言い渡され、窓際部署に異動させられていた身だ。だから、敢えてどこか別の署への研修的出向を酒井の方から願い出たのだ。
現場に出られないのなら意味がないのだと、警視庁が駄目ならどこにでも行くのだと、そんな風に熱く語る酒井の姿は、上司達には異様に見えただろうか。何か思惑があるかもしれないと、そんなことを考えたかもしれない。
だから酒井も出向先はどこでも良いと伝えた。実際どこでも良かったのだ。警察官として現場に出続けることができて、自分の中で導き出した答えでもある「綺麗な正義」を全うできる場所なら、本当にどんな場所でも良かった。
けれどまさかそれが、地方の僻地の駐在所だと誰が想像できただろうか。
おかげで現場は現場でも、新人警察時代のように、誰かと誰かの喧嘩を止めに行くだとか、誰かが酔っ払って道路の真ん中で寝ているだとか、そんな事案ばかりを処理する羽目になっていた。
けれど、一見平和そうな田舎にも、平和呆けが故に危険に晒されている部分が数多くあるように思われた。
まず、住民間の警戒心の薄さだ。夜でも家に鍵を掛けない、1階だろうと窓は開けっ放し、いつどのタイミングで窃盗や強盗がやってこようが、お好きにどうぞとむしろお茶を出してしまうような危機意識の低さ。それなのに、警察としての機能は脆弱過ぎて、全く体制が整えられていない。
大きな課題は他にもあった。入ってくる情報の少なさや町民の情報への興味の低さだ。インターネットが使えないほど離児島ではないはずだが、そもそも年齢層が高く、新しいものには疎い人が多かった。テレビ番組や新聞は1週間遅れで、常に最新の情報を入手し続けることすらできない。
何より、住民がそれに何の危機感も抱いていないことが課題のように感じられた。老人だけでなく、酒井と同じかそれよりも若い層すらその価値観で生きている。
それが悪いことだとは思わない。田舎のような狭いコミュニティの中で生きていく上で、酒井が抱くような危機感など実感することもなく死んでいく人の方が多いのが事実だ。
けれど行政が、警察が、それでは駄目だとは思う。
だから、まずはこの小さな世界から変えていかなければと、これが酒井に課せられた使命の一つなのだと、目の前の現実と戦うことを決意したのだ。
そんなことで、朝から晩まで寝る間も惜しんで自転車で町内を駆けずり回る日々を何ヶ月も送っていた。最初は鬱陶しそうにしていた町の人達も、2、3ヶ月もすると徐々に気軽に声をかけてくれるようになって、酒井の熱意もある程度理解してくれるようにもなっていった。
もしかしたら、本当に自分の手でこの小さな世界を変えられるかもしれない。そうやってあまりに毎日奮闘する酒井の姿が、おそらく誰かの目に余ったのだろう。
つい先日、警視庁に戻ってこいとの通達を受けた。まだ島でやらなければならないことがあると突っぱねたのだが、最終的には強制送還にならざるを得なかった。
警察を懲戒免職になるか、警視庁に戻ってくるかどちらかにしろとなどと、よくもそんなことが軽々しく言えたものだ。
町の変革に最後まで責任が持てなかったことは大きな心残りだが、警視庁のその現状も早急にどうにかしなければいけないように思われた。
酒井が町を出発したのは、昨日の朝のことだ。あまり大ごとにせずにこっそりと立ち去ろうと思っていたのだが、小さい世界がゆえに、情報が伝わるのも異常なほどに早かった。
酒井が出発しようと思っていた時刻には、役所の前にほとんどの住民が勢揃いしていたように思う。その中心にいた町長が「酒井さんの意思は、必ず私が引き継ぎます」と声をかけてくれたことは、今でも思い出すと目頭が熱くなる。
酒井はあの小さな世界の体制を完全に変えることはできなかった。それでも、酒井の熱意が誰かに届き、誰かの行動を変えることができたのだと、その実感を得ることができた。
「まぁ、色々」
「宇月さんが、酒井さんは今、色々お休みして充電中なんだよ、とか言うから」
「だったら良かったんだがな。むしろ警視庁より忙しかったくらいだ」
警視庁にいた頃は、大きな事件さえなければ睡眠時間を確保することができた。だが出向先にいた9ヶ月間、ゆっくりとお茶を飲んだ記憶すらない。警視庁の頃は自分の代わりなどいくらでもいたが、田舎の派出所には酒井しかいないのだから。
「刑事、辞めちゃうの?」
酒井の隣に腰を下ろした城宮は、不安げな表情を浮かべてそう言う。
はて、何故そんな話になるのか。そう思って、きっと宇月があることないことを色々と城宮に吹き込んだのだろうと察する。
「やめねぇよ。5年前の事件の真相を明らかにするまでは」
次回投稿は4/26(土)
を予定しております。




