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全てを聞かずとも、彼はその異様な雰囲気から多くを察しただろうか。
ビニール袋を片手にゆっくりと社内に戻ってきた田崎廉太郎は、感情の読めない表情で辺りを見回して、井上の前で足を止める。
「井上」その田崎廉太郎の声は、穏やかでありながら強烈な迫力を含んでいた。「正義のヒーローになり損ねたな」
冷徹で、厳格で、教官時代の彼を彷彿とさせる。相手を睨みつけているわけではないのに、その視線を浴びた者は背筋が伸びて、その言葉に絶対的に従わなければという緊迫感に襲われる。
元々高い身長が、更に大きく圧倒的な存在感を見せる。
田崎廉太郎の視線は間違いなく井上を見ているのに、そんな彼を見ている酒井が気付けば唾を飲み込んでいた。
「田崎さん。悪いけど、俺にとっての正義のヒーローは、いつだって俺の中にしかねぇんだよ。他の誰にも左右されねぇ。俺が正しいと思ったことが、俺の中にある本物の正義だ。俺はただ、俺の中の正義に向かって突き進むだけなんだよ」
警察官すら震え上がらせる田崎廉太郎の凄みをものともせずに、井上は彼の肩を軽く叩く。
「ま、そういうことだから。大丈夫大丈夫。この記事、俺はすげぇと思うよ。昔のあんたの痺れる記事を思い出した。だから本当に今回は残念でしたってことで。俺んとこじゃなくてもさ、田崎さんのその熱意があれば、どっかが拾ってくれるって。絶対」
早朝にも関わらず、井上の携帯が鳴る。すぐにその掛かってきた電話に出た井上は、もう自分には関わるなと言わんばかりに、酒井達に手を振って追い払おうとする。
井上の視線は、もう酒井達を見ることはなかった。
無造作に荷物を掴んで出版社を出る。廊下に出るやいなや酒井が勢いよく壁を蹴りつけると、田崎廉太郎の舌打ちが聞こえた。
「失敗したな。井上には誰にも流されない強い軸がある。だからこそ、そこを上手く攻めることができれば、こっち側についてくれると思ったんだが」
田崎廉太郎が自身の持つ原稿用紙の端を握り締める。
悔しそうでありながら、けれど至極冷静に目の前の現実を受け入れている田崎廉太郎の姿に、こちらの方が腹が立ってくる。
田崎廉太郎の持つ原稿用紙を奪い取り、酒井はそれを彼の胸元へと突きつける。
「まだ…まだ闘えます。他の出版社を当たりましょう」
「無理だ」
「こちらには証拠があります。加賀崎のこの肉声と共に記事を持ち込めば、きっと協力してくれる出版社が見つかるはずです」
「俺がどうして井上を選んだと思ってる。付き合いが長いからだけじゃない。一番可能性があったのがあいつだったからだ。口先はふざけた奴だが、ジャーナリズムってのがどういうものか、あいつはよく理解している。それでいて、あいつはこっちを切る選択をしたんだ。情報戦の一端を担う者として、井上は、この戦に俺達の勝ち目がないと判断したんだ」
「だとしても、ここでこの記事を潰すわけにはいきません。この真実を公表することが、教官もずっと追い求めていた正しさの答えでしょう」
自分の記事が誰かの種になればそれで良いのだと言っていた田崎廉太郎の言葉を思い出す。誰かに届いてくれれば、その誰かの行動を変えることができるのだと。
今変えることができなければ、そのいつかは二度と訪れないのではないかもしれない。
そんな焦りが強く酒井の心を揺さぶる。
絶え間なく降り頻る雨のせいで、土に埋めたはずの種が流れていく。流れてしまった種は、もう芽を出すことはない。
今、今戦わなければ。
「酒井。今求められているのは、正しいか、正しくないかじゃないんだよ」酒井の持つ原稿用紙を受け取って、田崎廉太郎は静かにそう言う。「今の世間が求めているのは、興味があるかないか、面白いか面白くないか、それだけだ」
興味があるかないか、面白いか面白くないか。
今に始まったことではない。世間などと言うものは、もうずっとそうだ。
それでも、それに抗うためにこうして立ち上がったのではないのか。
勝つために、酒井のもとにやってきたのではないのか。
何故、はいそうですか、とこんなにもあっさり諦めることができるのか。
「教官は、どうしてそんなにも冷静でいられるのですか」
もうこれで本当に終わりなのだと、そう思えば思うほどに怒りが込み上げてくる。
酒井達は敗北したのだ。直接対決のみならず、情報戦という場においても完膚無きまでに叩きのめされた。
「どうして、そう簡単に諦められるのですか」
誰かが高みからこちらの様子を窺っている。自分はそこから1歩たりとも動くことなく、自分の勝利を他人事のように受け入れている。
その誰かは、加賀崎元防衛大臣ではなかった。彼も結局、駒として呆気なく捨てられた。
「諦める?誰が諦めるだって?」田崎廉太郎が鋭い視線で酒井を見る。「俺だって、腸煮えくり返ってるよ。だけどな、ここにとどまったままじゃ何も変わらない。残念ながら、悔しがって泣いている暇は俺にはねぇんだ」
次回投稿は4/13(日)
を予定しております。




