序章
港区で殺人事件?それは何たって憂鬱な出来事だ。
それは、また警察署に泊まり込む日々が始まるからでも、管理官の煩い小言を聞くはめになるからでもない。
ビルが連なるオフィス街。お昼時だからか、行き交う人々は財布を片手に楽しそうに話ながら歩いている。しかし皆ふと足を止め、会話を止める。彼らの視線は、ビルの一角に集まる野次馬に向けられる。
ーーー何?事件?
ーーー殺しだってよ。ほら、あの有名弁護士。
制止線の間際まで人々が押し寄せ、手前に立つ警察官が必死で彼らを押し返している。
その野次馬の中に、明らかにこの場に似合わない娘が一人。
ツインテールが人混みの中で見え隠れする。必死で制止線の向こうを見ようと、頭から二つの尻尾が垂れ下がる娘が跳び跳ねている。
やっぱり来た。
どこで噂を聞き付けてきたのか、平日のお昼にも関わらず、制服を着た女子中学生が野次馬の中に紛れ込んでいる。
ツインテールの女子中学生が、ふと顔を上げる。事件現場のビルのテラスから下を覗いていた酒井勝久は、彼女の大きな瞳と目が合う。
マズい。そう思った時には既に遅かった。
「酒井警部!事件?事件よね!取材させて!」
城宮愛美。彼女こそが、酒井の憂鬱の最大の要因なのだ。