表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/4

銀色のハルカ4

 優恵とハルカは毎日のようにゲームをした。おかげでレポートが仕上がらず、優恵はいったん単位を落としかけた。が、ハルカの協力のおかげで何とかレポートをまとめ、提出した。その評価はA。教師が「このレポートは、考察の部分が素晴らしい」と褒めちぎっていたそうだが、その半分以上はハルカが執筆したものだった。


 ハルカは、可愛らしい女の子だ。姿が見えないだけで。俺も彼女と話をしたりするが、優恵は俺の数十倍もハルカと話し込んでいる。優恵は毎日のように学園で起きたことをハルカに聞かせ、いつの間にかハルカも優恵に話をせがむようになっていた。


 話の内容は他愛の無いものばかり。ゲームのこと、好きな人のタイプのこと、日常のどうでもいい話。例えば、料理を作るときに塩と砂糖を間違えて、それを俺に食べさせた話とか。でも、こんなどうでもいい話が、ハルカにとっては宝物のようだ。


 優恵とハルカが意気投合した話で、一番印象深いのは『星空』についての話だ。優恵は常日頃、夜空を眺めているほど星が好きで、ハルカも探査機への搭載を希望するぐらいだから、それはもう話に華が咲いていた。


『遠く遠く、海王星や冥王星の軌道も外れて、太陽風も全く届かなくなる。そんな太陽系の端まで行きたいんです。そして太陽系から離れるとき、一度くるっと太陽の方を向いて、地球や火星や金星や木星、そう太陽系の家族のスナップを撮影したいんです』

 ハルカの願いは、そんな少し寂しくてロマンティックなものだった。


 俺はハルカに星空を見せたくなり、手持ちの監視用カメラを改造してパソコンに接続した。俺が子供の頃に母親に買ってもらった、アクロマートレンズを使った小さな屈折望遠鏡にカメラを取付け、土星へ向けてやる。熱によるノイズだらけの画面だったが、確かに環が見えた。


「うっわー、ちっこいけど、本当に環があるよーー」優恵は天頂プリズム越しに見える土星にしきりに興奮している。同じ画像をハルカも見ているが、彼女も何やら興奮している。

「ね、ね、拓人さん。写真で見る土星も綺麗だけど、こうして望遠鏡で見ると感動するね。なんていうのかな、手は届かないんだけど、実際に私の視線の向こうに土星があるんだよ!? それって、すごくステキです」優恵は大きな耳を、だらーっと垂れ下げながら望遠鏡をのぞき続ける。


『やっぱり、星って素敵ですよねっ!あー、宇宙に行きたいなぁ。もし、もしですよ? これから私が宇宙へ行くことがあったら、土星を近くから見てみたい』ハルカが、ふとそんなことを言う。優恵は望遠鏡から目を外すと、優しげにそして儚げに微笑んだ。


「うん、そうだね」優恵は銀色のハルカを優しく撫でながら、そう言った。


 ハルカが目覚めてからちょうど十日後。一通のテレックスが自宅に届いた。


 明日、ハルカの最後の願いは叶えられる。


    *


 つい先日までの暑さが嘘のようだ。日が暮れ始め、冷気をはらんだ風が吹き抜ける。俺と優恵は橋本の呼び出しに従い、ハルカの本体とともに郊外の通信基地へとやって来た。普段なら決して中へ入ることは出来ない、情報省管轄の施設であるこの基地。橋本の取り計らいがなければ、こうして中の様子を知ることはなかっただろう。


 俺と優恵は情報省の公用車から降りる。思いもかけない寒さに、優恵はくしゃみをした。俺は彼女の肩に上着をかけてやると、前方に続く舗装道路に目をやった。その向こうには、天を仰ぐ巨大な数機のパラボラアンテナが空気を震わせてそびえている。この基地で、橋本は何をしようと言うのだろう。


「橋本部長は、通信室におられます」家まで迎えに来た情報省職員が、俺たちを何かガレージのような建物へと案内する。どうやら建物の本体は地下にあるようで、俺たちはそのままエレベータに乗り込んだ。地下五階で、俺たちは橋本に再会した。彼は白衣姿だった。袖口が汚れ、かなりくたびれている。


「ご足労、ありがとうございます」橋本が恭しく頭を下げる。俺は軽く会釈をした。優恵はいつものように大きく頭を下げ、そしていつものように帽子が落ち慌てている。俺は帽子を拾いながら、橋本に訊ねた。

「ハルカの本体を持って来ました。いったい、何をするのですか?」


「ええと、その前にハルカのオリジナルである『美空遥』さんについて、少しお話ししたいと思います」

 俺と優恵は無言で頷いた。


「美空さんは、生まれつき身体が弱く、様々な病気を抱えていました。しまいには身体中の細胞がガン化しはじめ、十代半ばの若さで亡くなりました。実は、美空さんは私の父の遠縁の親戚にあたり、父が勤めていた基地の病院に入院していたものですから、彼女は父を兄のように慕っていたと聞きます」橋本はそこで話を区切ると、俺たちが立ちっぱなしであることに気付いて、奥の応接室へと案内してくれた。なかなか良いソファがあり、座ると身体が大きく沈んだ。何とか身を乗り出すと、橋本に続きを話すように促す。


「父はサイバネティクスの専門家でもあり、有機コンピュータを探査機に載せる研究をしていました。この探査機は太陽系を超え、別の恒星系へと向かうことを目的とされていました。ですが、電波天文学、おもに外宇宙生命体探査で用いる意味解析機がどうも完成しない。そこで父が考えたのは、人間の思考パターンをコピーした有機コンピュータと、そのコンピュータが故障したときのバックアップとして結晶回路を用いた解析機です。これなら宇宙電波の雑音から、有意な通信を取り出すことが出来るかもしれない」


「でも、父がおもな目的として考えていたのは他のことでした。美空さんは星空を眺めるのが好きでした。身体にさわるからと注意されるにもかかわらず、部屋を抜け出して病院の屋上で星を見ていたぐらいだったそうです。ですので、彼女の魂のコピーを宇宙に旅立たせてあげようとしたのです。その当時、すでに美空さんは余命数ヶ月と診断されていました。有機コンピュータへの思考パターンの移植はうまくいきました。そして、美空さんは自分の分身が星々の彼方へ旅立つことを夢みながら、息を引き取ったのです」


 橋本は大きくため息をついた。話が一段落したところで、彼はコーヒーメーカーからコーヒーを注いでくれる。

「それが戦争のせいで宇宙へ行けなくなった、と、そう言うわけですね」俺はコーヒーを受け取り、口に含む。泥のようなまずいコーヒーだったが、のどの渇きを潤すため構わず飲んだ。

「それで、ハルカをどうするんですか?」優恵がハルカの本体を愛おしそうに抱える。


「いま、恒星系探査機とは言えませんが、十数年前に打ち上げた惑星探査機が土星近傍を航行しています。それに向けて、ハルカの思考パターンを圧縮したものを電波で送信しようと思うのです。もちろん、相手先のコンピュータは旧世代のものなので、ハルカの意識がそこで再構成されることはありません。ただのバイナリデータとして保存しておくだけでしょう。そして、いつかそのデータも観測データを格納するために消される可能性が高い。でも、そんな状態であっても、彼女を宇宙に旅立たせたい。それが父の生前の願いでもあり、私の願いでもあります」


 俺は黙って優恵が抱える銀色の球体を見つめた。心無しか、ぼんやりと光を発しているように見えた。


 ハルカを宇宙へと旅立たせる儀式。それは一連のシーケンシャルな作業でしかなかった。コネクタを接続し、ハルカの思考パターンを読み出して符号化し、それに変調をかけ電波に載せるだけ。だが、ハルカの本体の防衛機能により、思考パターンを読み出すと、本体の中の記憶は一切が消去されるらしい。これは人格のコピーをいくつも作らないための、倫理的な措置と言うことらしいが…


「なんだか淋しい…。もうそろそろ、この中のハルカはいなくなっちゃうんですよね」優恵は鳴きそうな微笑みを浮かべながら、その白い指を銀色のハルカの本体の上に滑らせた。

「その中にはいなくなっちゃうけど、ハルカは電波になって空を飛んで行くんだ」


「でも、でも! それって、お別れってことですよね?」優恵は微笑んでいた顔を歪ませると、両手で顔を覆った。止めどない涙が、ハルカを濡らす。そんな優恵の様子を見て、橋本を始め研究員たちが切なそうな表情を浮かべた。


「確かにお別れだ。でもな、ハルカは彼女が望んでいたように宇宙へ行けるんだ。ほら、いつかハルカと望遠鏡で土星を見た時、彼女、側で土星を見たいっていっていただろう? それが叶うんだ。だから、笑って見送ってあげよう?」俺はそう言いながらも、心がズキズキと痛むのを感じた。符号化されて転送されるハルカの魂。宇宙の向こうではシリコンチップの中で眠り続けるだけで、きっと覚醒することはない。そんな現実に、俺はたまらなく淋しくなった。


「わかりました…。友だちの旅立ちは、祝ってあげないと、ね…」優恵はボロボロと流れ出る涙を拭いもせずに、無理矢理笑顔を作った。


「符号化が完了しました。送信を開始します」研究員の声がしたかと思うと、パラボラアンテナへ接続された送信機の制御パネルが点滅し始めた。

「いま、美空さんの魂は天へ昇っています」橋本はそう言うと、モニタスピーカーの電源を入れた。すると、まるで笛を吹くようなハミングをするような音が聞こえた。

「これは送信しているデータを音に変換したものです」


「歌ってる。歌ってるね、拓人さん」

「ああ、そうだな。歌ってるな」

 俺はまたもや泣き崩れる故を抱きしめ、歌を歌いながら旅立つハルカを見送った。


    *


 ハルカが去ってから、一週間が経った。たった七日のうちに季節は一気に冬めいてきて、着るものがかわり、食卓にあがるものがかわり、そしてあの扇風機は使い古した段ボールに押し込められ押し入れを次の住処とした。

 ハルカを見送ってからと言うもの、優恵は星空を眺めることが多くなった。そして、こう俺に聞くのだ。ハルカの乗った探査機は、今どこにいるのだろうと。


 あの少女の魂は、無事に空の高みへとたどり着けたのだろうか。漆黒の闇を彷徨ってはいないのだろうか。魂の旅立ちには、アンテナの空き時間を利用したためか思いのほか手間取った。最終的には四日ほどかけて、全部のデータを送信し終えたらしい。


「もうレポートはいいのか?」俺は机の上に散らばった資料をファイルに綴じながら、俺の横でテレビを見る優恵に言う。

「うん、しばらく出ないみたいです」優恵はこちらを向きもせずに、テレビを…、いやぼんやりと空中を眺めていた。


「じゃあ、ゲームはしないのか? 相手してやるぞ」俺はファイルをキャビネットにしまうと、優恵の側へと歩み寄った。優恵は儚げな笑みをこちらに向ける。

「ゲーム、そうですね…。久しぶりにやってもいいかな…」


 ゲームを始める俺と優恵。だが、二人とも一向にハイスコアが更新できない。ハルカがいなくなってから、心のどこかに何かを忘れて来てしまったような虚無感を覚える。そのためか、何をやってもあまり真剣になることができない。

「優恵、下手になったなー」俺がからかうと、優恵は少しだけ頬を膨らませたが、また宙を見つめ淋しげに微笑んでしまう。


「拓人さんだって、ぜんぜん進んでないじゃないですかー」

「そうだな」と、俺がそう言った途端にゲームオーバー。ハイスコア記録画面が出るが、そこには『HAR』の文字が並ぶ。そうだ、ハルカの残した記録だ。


「まあ、下手になって良かったのかも。ハイスコアをとったら、この記録が消えちゃう」優恵はたまらず涙ぐむ。俺は何もすることが出来ず、ディスプレイを見つめた。


 ふと、電話が鳴る。俺と優恵は無視していたが、鳴り止む気配はない。二十数回のコールの後、優恵が力なく立ち上がり受話器を取ってくれた。

「もしもし…。ん?」優恵が受話器を手に首を傾げる。


「どうした?」

「んー、なんだろ、電話の向こうで、ひょへひょへーって音がするの」優恵が受話器をこちらに向けるので、受け取って耳を当ててみた。

「おい、コイツはデータ通信だぞ。どこかのコンピュータがデータを送って来ているぞ。ちょっと持ってて」俺は優恵に受話器を渡すと、音響カプラを優恵の使っているパソコンに接続し、電源を入れた。このパソコンにはターミナルモードがあるので、すぐに受信できるはずだ。


 俺は優恵から受話器を受け取ると、音響カプラに受話器をのせた。何やらバイナリデータがバッファメモリに蓄積されて行く。

「結構、デカいファイルだな。なんだろ?」俺は首を傾げた。どこかのコンピュータから、何かデータが送られて来ているのだとは思うが…

 データの受信にたっぷり一時間もかかった。送られて来たデータは、やはりバイナリデータだった。どうも画像ファイルらしい。


「拓人さん、何が送られて来たの?」優恵はティーポットとお菓子を携え、部屋に入って来た。取りあえず、お茶にしようと言うことらしい。

「わからない。表示に数分かかるから、ちょっとまってて」


 画面の上部から一ラインずつ描写される何かの画像。俺と優恵は紅茶を飲みながら、じっとディスプレイを凝視する。

「あっ」優恵は声をあげ、くわえていたクッキーを床に落としてしまう。しかし、ディスプレイから目を外すことは出来ない。


「これ、土星の写真だ…」俺は目を見開いた。画面には解像度が低いながらも、しっかりと土星の写真が表示されたからだ。環の隙間まで見える。これは地上から望遠鏡で見たものではない。何らかの方法で、宇宙空間から写したものだ。


「え、ねえ、ねえ!! 拓人さん!!」優恵が俺の服を何度も引っ張る。

「お、おい」

「ここ見て! ここ! ほら、写真の下!!」

 優恵が指差す位置には、粗雑なフォントで『HAR』と書かれていた。そして、その下には『4U YUE TAK』とある。


「ハルカだ…」俺は唾を飲み込んだ。カラカラになった喉が、へばりつく。

「よかった…、よかったね。ハルカは、ちゃんと土星を見ることが出来たんだ。へへへ、羨ましいな…」優恵は手の甲で何度も瞳を拭う。

「そうだな、こりゃ、数年後が楽しみだな」と、俺。優恵は首をかしげる。

「ほら、太陽系を出る時、きっとまた写真を送ってくれるからな」


「うん!」

 優恵は元気よく立ち上がり窓を開けると、暗くなり始めた空を見上げた。冷たい空気が絶え間なく入り込んでくるが、それでも構わない。空の向こう、遥かな高みにいるハルカに自分の姿が見えるように、身を乗り出して空を見つめる。


 優恵はそっと、ハルカの旅の無事を祈り呟いた。漆黒の闇の向こうで微弱な太陽風を受けながら、遥か遠くを目指すハルカに向かって。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ