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銀色のハルカ3

 優恵の用意したお茶が、既に温くなってしまっている。俺は橋本の話を聞こうと、応接間に彼を案内したが、いまいち重要な部分を話してくれない。


「あなたのお父さんが、あのパソコンの開発者で、あれが最後の一台だから探していた。と、そこまでの話は聞きました。お父さんは亡くなられたそうですから、その形見とも言えるパソコンを、息子さんのあなたが探すのは理解できます。では、なぜあのパソコンがここにあるとわかったのです?」俺はお茶が冷めきってしまわないうちにと、カップを口元へ運んだ。せっかくのお茶だが、香りが幾分か飛んでしまっている。


「それは…、あまり大っぴらにできる話ではないのですが…」橋本がハンカチを取り出し、額に流れる汗を拭き取った。


「先ほど、私たちにお願いがあるとおっしゃってましたが、そのお願いを聞くためにも、ぜひ聞かせてもらいたいものです」俺は食い下がった。何らかの経路で、俺たちの行動が政府に漏れているのだとしたら、警戒する必要がある。もう、役人どもと付合ったり、政治家のご機嫌を伺うような立場には戻りたくない。


「…そうですね、ではお話ししましょう。あのコンピュータにアンテナがついているのはご存知ですか?」

「あの、裏についているホイップアンテナですか? 恐らく極超短波用の」俺はパソコンの裏についている、小さな黒いアンテナを思い出した。無線ネットワーク用のものだと思っていたのだが、特殊なものなのだろうか。


「そうです。コンピュータが起動したときに何らかの異常を感じると、あのアンテナから救難信号が発射されます。今までにも何度か短い信号が発射されたのですが、位置の特定までは出来なかった。しかし、今回は衛星を使い、お宅にコンピュータがあるとわかったのです」


 そこまでして探し当てようとするなんて、そんなに大切なものなのだろうか。もしかしたら、橋本個人が必要としているのではなく、政府が必要としているのかも知れない。


「そこまでするなら、情報省の設備を使っているでしょう。情報省が、このパソコンを欲しがっているのですか。そもそも、頼みって何なんです?」俺は苛つきを何と隠しながら、橋本をちらりと見る。

「いえ、私個人がそのコンピュータを必要としているのです。情報省の設備は黙って使用しました」橋本は、ふと遠くを見るような仕草をした。


「そのコンピュータには、いや、正確に言うとコンピュータに繋がれた銀色の球体には、ある少女の魂が閉じ込められています。私は、それを解放したい…」


 訥々と橋本の口から紡ぎ出される言葉。にわか信じがたいところもある。だが、彼の様子を見て、それが嘘だとは思えなかった。


 このパソコンは、もともと恒星系無人探査機に搭載される人工知能の端末だったのだ。そして人工知能とは、あの銀色の球体。球体の中には有機コンピュータが格納されており、それはある難病の少女の脳細胞から作られたものだった。生まれてからずっと、ほとんど外へ出ることの出来なかった少女。情報処理用の固有パターンは、その少女のものが使われ、実質的には少女の脳のコピーだと言っても良いようなものらしい。あまり気分のいい話ではない。


「それで、その娘はどうなったんですか?」優恵が、少しだけ切なそうな顔をしながら訊ねる。

「その娘は探査機が完成する前に、この世を去りました。最後まで、自分の分身が宇宙に飛び立つことを夢み、まるで自分が遠い高みへ飛び立つかのように感じていたようです」橋本は、先ほどまで汗を拭いていたハンカチで、今度は目頭を強く押さえた。


「じゃあ、宇宙に飛び立ってしまったものが、なんでここに?」優恵はパソコンの置かれた机に向かうと、そっと銀色の球体を抱え上げた。

「宇宙へは、行けませんでした。ちょうどその頃、国境付近で小競り合いがあり、それが紛争へ発展して…」


 あの最終戦争と呼ばれる大きな戦争があった後も、馬鹿げたことに局所的な紛争は何度も勃発していた。最終戦争後、人びとは核兵器の使用を躊躇わなくなっていた。それだけに、被害も甚大なものとなったのだ。


「戦争で使われたのか…」俺の言葉に、橋本は申し訳なさそうに深く頭を垂れる。そして、そのまま苦しげな声で話を続けた。

「無人迎撃機に搭載されました。爆撃機、戦闘機だけでなく、ミサイルを撃墜する目的にも。重力ドライブを用いた機体です。あれは生身の身体で操縦できるものではない。かといって、遠隔操縦であの機動性を生かすことはできない」


 橋本は、大きなため息をつくと、声を絞り出した。

「この人工知能は小型で性能もよく、まさにうってつけでした。それに目をつけた軍が。無人迎撃機への搭載を決定したのです。」


 俺と優恵は押し黙る。いつも思うことだが、なぜ大きな組織は個人の心を踏みにじることを、いとも簡単にやってのけるのだろう。今回はコンピュータの中とは言え、少女の心を踏みにじっていることには違いない。

「それで、なぜあなたが今ごろになって…」優恵が少女の心を入れた銀色の殻に愛おしそうに触れながら、鋭い視線を橋本へ向ける。


「私の父は、当時、新進の研究者で軍の研究所にいました。人工知能の搭載プロジェクトを指揮したのは、私の父なのです。」橋本は手を強く握りしめたまま、俯く。

「親の代わりに罪滅ぼしか…」俺のそんな言葉に、橋本は無言で肯定した。

 そして俺は、あることに気付いた。この人工知能体は無人迎撃機に搭載された。ということは、昨日優恵と楽しんだあのゲームはそのことに関係があるのだろう。


 それに、メモリ内に残された『彼女の最後の望みを叶えて欲しい』と言う言葉。あの言葉は、きっと橋本の願いと言うものに関係しているに違いない。

「まあ、あなたがどうしようと、実のところ私たちにはあまり関係がないと思います。ですけど、あのパソコンの中には『彼女の最後の願いを叶えて欲しい』というメッセージが残されていたんです。その願いなら、叶えてあげたいと思います」優恵が珍しく、初対面の人に物怖じしないで、自分の意見をはっきりと言った。いつもは、もじもじするだけなのだが。優恵はこの少女の心に親近感を抱き、何とかしたいと強く思っているのだろう。


「そうですね。優恵の、彼女の言ったように私もその少女の最後の願いを叶えてあげたい。少女の願いと、あなたがここに来た理由には関係がありますか。あるなら、続きを聞きましょう」俺はそう言うと、すっかり冷たくなったお茶を飲み干した。橋本は、そんな俺の仕草にお茶の存在を思い出したのか、少しだけ口をつける。


「私も、その少女、名前を『ハルカ』と言いますが、彼女の最後の願いを叶えたくて伺いました。これは私の父の願いでもあります。その願いを叶えるため四十年近く、ハルカを探していたのです」

「で、どうやってハルカさんの願いを叶えるんですか?」と、優恵。

 橋本は再びお茶を一口飲み込むと、俺たちの目を見据えて言う。

「彼女の人工知能部のデータを符号化して、宇宙に送信したいのです。彼女の魂を、本来旅立つはずだった宇宙へ」


 カップに残ったお茶に、一滴だけ橋本の涙がこぼれ落ちた。


    *


 橋本は、そのまま去って行った。ハルカの最後の願いを叶えるには、十日ほどの準備が必要らしい。準備が整いその日が来たら、また訪れると言うことを約束して行った。


 橋本と出会ってから三日後の朝。奇妙な荷物が届いた。橋本から送られたものだった。中身はパソコンと銀色の球体、つまりハルカの本体とを接続するインタフェースと設定ソフトウェア、それにマニュアル一式だった。俺はマニュアルを見ながら、恐る恐るハルカの本体のカバーを開けた。その中には有機コンピュータがつまっているはずで、きっと見た目は人間の脳みそに似た少々グロいものだろう、などと失礼な想像をしていたが実際は違った。


 中身はほとんど空で、強化プラスチックの容器に有機体へ栄養を送る循環器、それに握りこぶしほどの結晶回路の塊があるだけだった。本来なら、このプラスチックの容器の中に有機コンピュータが格納されていたんだろう。だが、戦争が終わってから長い年月が経つうちに、それが失われてしまった。マニュアルをよく読むと、有機コンピュータにはパターン認識および推論の機能が組み込まれており、外部センサからの情報をもとに機体の姿勢制御を行っていたらしい。認識処理の大部分や記憶はおもに結晶回路で行われている。そして、ハルカの心は有機コンピュータ内にパターンとして記録されていたが、システムの防衛機能がうまく働いているとすると、有機コンピュータが活動を停止する直前に、その内容、つまり魂を結晶回路にアップロードしているはずだ。ただ、結晶回路には容量の制限があるため、新たな神経回路を形成することは無理らしいが。

 つまり、この防衛機能がうまく働いていれば、ハルカの心の一部は結晶回路に転写され、その中で永い眠りについているはずなのだ。


 パソコンとハルカ本体の接続およびセットアップは夕方までには完了していた。今は、学園から帰ってくる優恵を待っている。彼女と一緒に、ハルカを目覚めさせたい。


「た、ただいまーーー。レポートの締め切りが早まって、来週の木曜になっちゃった…」帰宅するなり優恵は俺の家に押し掛け、ぐったりと項垂れながら大きくため息をついた。月曜と言えば、四日後か。ふむん、今はハルカを復活させない方がいいかも知れないな。復活の作業でパソコンに異常が起き、レポートが仕上がらないなんて事態になったら、優恵に申し訳ない。


「あー、すっかり涼しくなったのに、歩くと汗が出てくるー。って、あれ? パソコンと、あのたまごさんを接続したの?」優恵はめざとく、パソコンとハルカ本体が接続されているのを見つけた。ちなみに、ハルカ本体がやや長細い球形なため、優恵はいつの間にか『たまごさん』などと読んでいる。


「あ、見つかったか。そうだよ、接続キットとマニュアルが今日届いたんだ。どうする、起動しないで先にレポートを仕上げるか?」俺は優恵に麦茶を用意しながら訊ねた。ついでに簡単なおやつも用意する。優恵が大好きな、いもようかんだ。


「わわわ、いもようかんーーーー♪」優恵が尻尾と耳を大きく動かしながら、テーブルにつく。俺は彼女にお茶といもようかんを差し出した。

「もしかしたら、ハルカの本体を起動したことによって、パソコンが壊れてしまうかもしれない。そうしたら、レポートが書けなくなる。どうする、起動するか?」


「うーん…」優恵は口いっぱいに、いもようかんを頬張る。

「今まで書いた分はフロッピーに移しているから、いざとなったら学園で続きを書きます。それよりも、やっぱりたまごさんを動かしてあげたいな。中のハルカさん、今まで何十年も眠っているんでしょう? やっぱり起こしてあげたい」


「了解」俺は頷くとパソコンを起動し、スタートアップシーケンスをディスクから読み込んだ。が、とくにいつもと変わらない。唯一の違いといえば、ハルカの本体である銀色の球体に埋め込まれた複数の発光ダイオードが不規則に点灯しているのみだ。


「おっかしいなあ」俺はパソコンの裏側に回り、接続を何度も確認する。が、とくに異状は見られない。

「あれれ? 画面には何か文字が出てますよ? 『ボリュームを上げて』?? あ、これかな?」優恵がそう言った途端、


『ふわぁぁぁー、おはようございましゅ』と、間の抜けた女の子の声が、パソコンに内蔵されたスピーカーから聞こえて来た。

「のわわわ」

「ええええ?」俺と優恵は二人でパソコンから距離を置いた。あ、あやしい。怪しすぎる。


『おはようございますです。今日の日付と今の時刻を教えて下さい。あ、音声認識モードがオンになっているので、話しかけてくれれば大丈夫なのです』なおも音声がパソコンから流れる。


「わわわ…。な、何か言ってるよ拓人さん…」優恵が口をパクパクさせながら、パソコンを指差した。

『了解です。えっと、ただいまこの部屋にいる人物は男女一名ずつ。で、男性の方の名前が拓人さんですね。では、女性の方は?』

「優恵…」俺は優恵の名前を口にしてから、日付と時刻を告げた。

『優恵さんですね、めもめも。って、ぬあ!? もう四十七年も寝ていたですか!? あ、あとそれに有機ユニットと私の身体が見当たらないのですが… ってそもそも、戦争はどうなりました!!?』


 俺は突然ぺらぺら喋り出した『ハルカ』に驚くばかりだった。それでも、彼女に今の状況をかいつまんで説明する。

『なるほど、橋本さんは未だにそんなことを考えているですか。別にハルカのことなんて、放って置いていいのに。やっぱり、修司さんの息子さんです。それにしても、戦争が終わって良かったです♪』

「修司さん?」優恵が大きく首を傾げる。


『あ、えっと、その…、ごにょごにょ…。優恵さんたちに会いに来た橋本さんの、たぶんお父さんにあたる人が修司さんと言う人で、ごにょごにょ…」なぜか照れくさそうに口ごもるハルカ。

「そうか、あのメッセージを残したS.H.と言う人物は、橋本修司さんか」俺が一人で納得していると、ハルカは突然大きな声を出した。

『さー、ゲームをプレイしましょう。どうも、優恵さんはゲームが好きなようですね。よかったら、対戦しませんか?』ハルカは嬉しそうだ。そして、なぜか彼女の声には、聞くだけでむずがゆくるなるような喜びが溢れている。


「やるやるーー」優恵は喜び勇んでキーボードに向かった。

「あー、えっと、その。レポートは?」そんな俺の声などは、ゲームの効果音と優恵のはしゃぎ声、それにハルカの笑い声でかき消されて行った。

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