銀色のハルカ2
家に到着したのは、どっぷり日が暮れてからだった。既に昼間の暑さは消えつつあり、扇風機はその動きを止めている。簡単な夕食を優恵が作り、それを二人で食べた後にパソコンを動かしてみようと言うことになった。
改めて買って来たパソコンを眺めてみる。外見は若干くたびれているが、頑健な構造をしており、一目で民生品でないことがわかる。部品のすべてがずっしりとした重厚感を醸し出し、そして鈍く輝いている。また、普通のパソコンにない特徴が二つあった。一つは、見たこともないピン数の多いコネクタが設けられていると言うこと。恐らく、複数の光ケーブルを接続するようになっているのだろう。
後もう一つは、本体の後ろに短いアンテナが立っていること。これは、そうだな、無線ネットワークに接続できるようになっているのだろうか?
俺はパソコン本体のチェックを済ませると、余っていた小型のディスプレイに接続し、一緒について来たシステムディスクを放り込んで電源を入れた。が、ディスクを読まずに、そのままコンソール画面が起動する。どんなOSかわからないので、取りあえずヘルプを見てみたが、どうやら一般的なUNIXと同等のコマンドで操作できるようだ。どうやらOSは本体のメモリに格納されていて、ディスクを読まなくても立ち上がる仕組みらしい。
付属のソフトをチェックして行くと、漢字が入力できるエディタが見つかった。
「どうです? レポート書けそう?」優恵が俺の肩に顎をのせ、画面を覗き込む。優恵の甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「ほら、使ってみたら」優恵にキーボードを手渡すと、結構なスピードで文章を入力し始めた。エンターキーを押すたびに、優恵は尻尾でも床を強く叩く。
「すごい、すごい!! 学園のパソコンと使い方が似ているから、楽ですよー」優恵が大喜びでキーボードを叩く側で、俺はあるディスクに目がいった。そのタイトルからして、どうやらゲームのようだ。
「優恵、ゲームがあるぞ?」
「ゲーム!!? わ、わ、やろう、今すぐやろう!!」優恵は目を輝かせると、俺の手からディスクを受け取りドライブへ挿入した。
しばらくすると、ワイヤーフレームの画面が現われる。ゲームが起動したようだ。
「んぅ? これ、何のゲームだろう??」優恵の尾っぽの動きが、ピタッと止まる。俺はいったんゲームからコンソール画面へ切り替え、付属のドキュメントを読んでみた。
「どうやら、戦闘機で相手を撃墜するゲームらしい。使うキーは…」俺は優恵にキー配置を教えた。優恵はキーの機能を確認する度に、大きく頷く。
「じゃあ、プレイしてみる?」
「やるやるーーー!」途端に優恵の尻尾が高速運動を開始し、しまいには回転まで加わる。そして、異常なまでのテンション。耳まで大きくバサバサと動き始めた。そう言えば、優恵は駄菓子屋の前にあるアーケードゲームに全財産をつぎ込んだこともあったっけな…。それに、学園のパソコンでゲームをやりすぎて、スペースキーを吹っ飛ばしたこともあったっけ。優恵が泣きついてくるもんだから、こっそりと修理しに行ったんだっけか。
そんなことを考えている俺を尻目に、優恵は一気にゲームの仮想空間へ没入して行った。優恵は動体視力と運動神経が抜群で、画面中央に視線を据えたまま無駄の無い動きでキーボードを叩く。
このゲーム、見た目以上になかなか難しい。プレイヤーは迎撃機のパイロットとなって、飛来してくる敵機を攻撃する。その操作がややこしい上に、ゲームならではと言ったところか、プレーヤー機の機動性が異常に高く飛行機とは思えない動きをするのだ。その度に画面がメチャクチャに回転し、俺はそれだけで酔ってしまう。
だが、優恵はそんな状況でもバランスを保ちながら機体を制御できた。それにすごいのが、画面の端に敵機が見えたと思ったら、次の瞬間に機首をそちらへ向けてミサイルをロックオンしているのだ。
ゲーム開始から一時間あまり。俺と優恵は交互にプレイをするものの、すぐに優恵はハイスコアを更新してしまう。ちなみに俺の最高記録は、五千四百点。優恵は…、二十一万三百点だった。
強い、強すぎる。
ゲーム終了後、ハイスコア保持者が名前を入力できるようになっていたが、画面すべてが『YUE』で埋め尽くされたのだった。
*
優恵とのゲーム対戦が無事(?)終わり、そのまま彼女はワープロソフトを起動して文章を入力し始めた。どうやら、レポートでまとめる資料の一覧を作っているようだった。しばらくキーを打つ音が聞こえたかと思うと、優恵の「うーん…」といううなり声が聞こえてくる。
「どうした?」と、俺。
「入力した文章を保存してみたんだけど…。いまいち、記録されているかどうかがわからないの」
「え? フロッピー入れたの?」俺はドライブを覗き込んでみたが、それらしきものは入っていない。
「ええ?? あ、そうか。でも、保存出来ちゃいましたよ?」優恵の頭の上に、大きな?がいくつも浮かぶ。俺は優恵からキーボードを受け取り、ファイルの保存先を調べてみる。保存先はRAMディスクになっていた。なるほど、これならフロッピーディスクはいらない。でも、電源を切る前にファイルを退避させないとな。
「優恵、一時的に本体の中に記録されているみたいだ。このままじゃ外に持って行けないから、フロッピーに移そう。ほら、机の上に未使用のがあるから、一枚取ってくれ」
俺の言葉に頷くと、優恵は机の上に置いてあるケースからフロッピーを選び出す。
「色のついたので、良いですか?」優恵が上目遣いで俺を見る。普通、フロッピーは黒いものが多いが、たまたまレインボーカラーのものが手に入ったので、それも置いておいたのだ。
「ああ、いいよ」
「やったー! じゃあ、黄色いやつーー」優恵は大きく耳を上下させながら、黄色い五インチのフロッピーディスクをドライブへ入れた。俺は優恵の書いた文章をそちらに移しながら、RAMディスク上のファイルをチェックする。すると、優恵の書いたもの以外に奇妙なファイルを見つけた。なんだ、これは?
「どうしたんですか?」優恵が、先ほどと同じように俺の肩に顎をのせて、画面を覗き込む。
「いや、何だか変なファイルがあるんだ。前の持ち主が残したものかな?」
恐らく、このRAMディスクにはバッテリバックアップのような機能がついているのだろう。俺は残された文書ファイル『MSG4U.txt』を開いてみた。どうやらテキストファイルのようだ。ファイルを開くと、一気に何画面分も表示が進む。
「わ、わ、何だろ、これ? というか、見ちゃっていいんですか?」優恵が俺の顔を覗き込む。大きな濡れたような藍色の瞳に、俺の顔が映った。正直、こんな状況の時、俺はかなり心拍数が上がる。優恵は顔つきが愛らしいだけでなく、そのパーツがすべて端正に作られたもののように、しっとりと輝いているのだ。肌にいたってはきめが細かく、白い。それに、スタイルもややぽっちゃりしているが、均整がとれている。
俺はそんなことが次々と思う浮かんでくる脳みそに制裁を加えるため、何度も大きく頭を振った。その仕草を面白く思ったのか、優恵はぴっとりと頬を押し付けてくる。
「い、いいんだよ、別に!」俺はぶっきらぼうに答えると、熱くなる頬を優恵から引きはがして、画面に表示される文章をざっと読んだ。
どうやらこの文書ファイルは、このパソコンについての概要が書かれているらしい。
「ふむん。このパソコンは単体で使われたんじゃなくて、『XF―85』とかいう大規模なシステムの端末として使われていたそうだ」
「え? それって、どんな機械なんですか?」優恵が不思議そうに俺を見つめる。
「んー、どうも自律制御を取り入れた移動物体らしいけど、よくわからん。専門用語が多すぎて」俺の言葉を聞くと、優恵が真剣な表情で画面に見入る。が、数分でめまいを起こして、ふらふらと尻餅をついた。
「むわぁぁぁー」優恵の頭から白煙が立ち上る。
「おいおい」俺は優恵に手を貸し、ぐいっと引き起こす。ちょうどその時、画面のカーソルが文書の最後へと到達した。そこには、今まで表示されていたものとはまったく異なる類いの文章が書かれていた。
『この文章を読んでいるあなた。どうか、彼女の最後の望みを叶えて欲しい。S.H.』
何とか復活した優恵とともに、俺は画面に見入った。何だろう、この文章は。関係者がこの文章を書いたのだろうが、彼女の最後の望みって…
「拓人さん。これって、いったい…」優恵がディスプレイを指で何度もなぞる。
「なんだろうな? ただ望みを叶えようにも、どうしようもない。ここでファイルは終わっているのだから」俺は画面の最後に表示されている、EOF(ファイルの終わり)記号を見ながらため息をついた。
「何だか、この文章には願いの他に、諦めのような悲しみのような、そんなものが含まれている気がします…」
そんな優恵の言葉は、そのまま空中へと拡散して行った。
*
次の日、優恵は朝から俺の家に入り浸っていた。日曜の朝ぐらい、ゆっくり寝ていたい。なのに、優恵は朝九時過ぎには俺の部屋にいた。
眠気のせいで、まだ完全に開かないまぶたを強く擦る。ぼやけた視界の向こうには、一所懸命にキーボードを叩く優恵がいた。
「あのさ、何してるの?」俺は優恵が入れておいてくれたコーヒーを口に含むと、パソコンのディスプレイの前に陣取る優恵に訊ねた。
「レポートです。まだ締め切りまで日があるけど、時間があるときにやっておこうと思って」優恵は、ちらっとこちらをみると、再びキーボードを打ち始めた。
「だったらさー、パソコンを持って行きなって…」俺は頭をかきながら、文句を言う。すると、優恵は目を潤ませてこちらを見つめて来た。
「だって、持って行っても接続の仕方がわからないんだもん…」
俺は大きくため息をつくと、優恵が作っておいてくれた朝食をとるため、リビングへと向かった。まあ、いつもの日曜と違って、こうして暖かい朝食をとれるだけありがたいけどな。
俺はテーブルにつくと、優恵の焼いたベーコンエッグをトースターにのせて、塩とタバスコをかける。そして、そのままかぶりついた。ふと時計を見ると、十時半ちょっと前。かなり長い間、自室でウダウダしていたようだ。
突然、口の中にガツンという衝撃が伝わる。タバスコの辛さだ。これが朝にはちょうどいい。ちなみに優恵は辛いものが苦手で、この前なんかタバスコをちょっと舐めただけで、大騒ぎだった。しまいには、「こんなものを使う人は、人として間違っています」とまで言っていたな。
もふもふとトーストを食べていると、玄関のチャイムが鳴った。誰だ。日曜のこんな時間に。
「優恵~、悪いけど出てくれ」俺はトーストを飲み込むと、優恵にそう言った。
「はーい」優恵は返事をすると、パタパタと玄関へ向かう。どうせ荷物の配達かなんかだろう。優恵は印鑑の場所も知っているし、そのまま任せれば俺が出て行く必要もない。
と、そんなことを思ったのだが、なかなか優恵が戻って来ない。あれか、変なセールスか何かか?
俺は重い腰を上げ、玄関へ向かった。すると玄関には、何やら困ったような表情の優恵と、品の良い、中年と言ってはやや歳をとりすぎている男性がいる。あ、お客さんか。
「あ、お待たせしました。何かご依頼でも?」俺は瞬時にビジネス用スマイルを浮かべ、その紳士に声をかける。すると彼は『橋本』と名乗り名刺を差し出した。俺はその名刺をあらためてみた。どうも情報省の人間らしい。役人が何の用だと言うのだろう。俺が訝しげに橋本を見つめていると、彼は奇妙なことを言い出した。
「すみませんが、昨日、中古のコンピュータを入手し、電源を入れませんでしたか?」
俺は一気に血の気が引くのを感じた。別にやましいことをしているわけじゃない。ただ、中古のパソコンを買って来て、それを起動してゲームで遊んだだけだ。だが、見ず知らずの人物がそのことを指摘し、そして何か嘆願するような表情でこちらを見つめている。その状況が、俺の肉体に異常なまで影響を与えている。
「と、いうと」俺はそれを言うだけで、精一杯だった。目は泳ぎ、隣の優恵を何とか見つめる。彼女もやや青ざめた表情をしている。
「あ、突然変なことを言い出して申し訳ありません。話せば長くなりますが…。あなたたちの手に入れたコンピュータは、私の父が設計および開発したものなんです。それで、ある理由により、ずっと行方を探していて…」橋本はそう言うと、鞄から書類袋を取り出そうとした。
「ここではなんですから、上がって下さい。そして、なぜ私たちのもとへ来たのか。そして、どうやってあのパソコンがここにあることがわかったのか、話して下さい」
「わかりました…。あなた方にお願いしたいことも、実はあるのです…」
橋本は話を続けようとしたが、俺は無言のまま彼を部屋へ通した。