銀色のハルカ1
季節外れの熱気が部屋に立ちこめる。すっかり秋の気配が朝と夜の空気を支配し、蝉たちの声はとっくに消え失せた。それなのに、台風が南からじっとりとした空気を運び込んで来たのだ。
額に滲む汗をハンドタオルで拭い、押し入れに身体を潜り込ませごそごそとかき回してみる。しかし、なかなか目的のものは見つからない。目に汗が入り、俺は悪態をついた。
「優恵、扇風機!」
俺は再び活躍の場を得た扇風機が、その任務をまともに果たしていないことに苛ついていた。
「ん゛゛゛゛゛、あ゛゛゛い゛゛゛ー」と、側から奇怪な音声が聞こえ、俺は驚き頭を押し入れの柱にぶつけた。
「た、拓人さん!」扇風機の前から離れた優恵が、慌てて俺の様子を見に来る。そして、その途端に涼しい風が俺の背中にあたる。そうか、さっきまで優恵は扇風機の前に陣取って、顔を押しあてていたんだな。で、お約束なことに声を変調させて遊んでいたわけだ。
「扇風機を独り占めしないでくれ…」俺はしゃがみ込むと、後頭部の痛さをこらえつつ汗が入った目を何度もこすった。目に汗がしみて痛い。頭よりも痛い。
優恵は心配そうに俺の眼蓋に手を当てると、ぺろっと舐めた。
「おわわわわ! な、何するんですか、優恵さん!?」
「目薬の代わり? ほら、目にゴミが入ったときに応急処置で舐めたりとか、しますよね?」優恵はそう言うと、がさごそと自分のポーチから目薬を取り出し、俺の両目に指してくれた。
「あのさ、目薬があるなら、先にそれを使えばいいじゃないか…」俺が文句を言うと、優恵の頬がみるみる膨らんで来たので、俺はそそくさと捜索活動に戻った。優恵を怒らせないように、話題を変えてみる。
「でさ、優恵。何でパソコンなんているんだ?」
俺は、つい先ほどまで週末の午後を優雅に楽しんでいたのだが、三十分ほど前、制服姿の優恵が訪ねて来て開口一番に『私にも使えるパソコンを貸して下さい』と言って来た。俺は手元にあったメロンソーダを一気に飲み干すと、そのまま使わなくなったパソコンを探すため、押し入れを開けたのだった。しかしまあ、週末を優雅に過ごす方法がメロンソーダを飲むことだという現実に、少しだけ寂しさを感じる。
「ええと、後期から学校でレポートを出す授業が始まったんですけど、そのレポートをパソコンで書きたくて。プリンターは学校のを使わせてもらえるから、取りあえず本体が欲しいなって」優恵が両手の人差し指をもじもじと突き合わせ、恥ずかしそうに言う。
「だったら、部屋にあるのを貸そうか」俺は一瞬、パソコンを買わないのか、と言いそうになったが堪えた。新品のパソコンなんて、下手すれば年収の半分は下らない。一人暮らしで頑張っている、しかも学生の優恵にそんな事を言うのは気が引ける。
「それでもいいんですけど、出来ればいつでも使えるのが欲しいなあって」さらに人差し指をもじもじさせる優恵。
「そうかー」俺はタオルで首をぐるっと拭うと、再び埃っぽい暗闇へと身を乗り出した。
小一時間後、使っていなかった小型のパソコンが出て来た。こいつはテレビをディスプレイとして使え、しかもフロッピードライブまで備えている。これなら優恵も自分の家へ持って帰れるだろう。
「優恵、こいつはどうかな?」俺は硬く絞った雑巾でパソコンを拭う。本体とキーボードが一体化している非常にコンパクトなモデルだ。しかし基本性能は十分であり、一般的なアーキテクチャに準拠しているため、対応ソフトが多いと言う利点がある。
「わ、可愛い! これ、動かしてみて下さい!」優恵はふさふさの尻尾を大きく揺らしながら、期待の眼差しを机上の小さなパソコンへ向ける。
「おっけー」俺は即座にディスプレイに接続し、ワープロソフトの入ったディスクを本体に内蔵されたドライブへ放り込んだ。電源を入れるとキーボード上のLEDが点灯し、次に画面に起動メッセージが表示される。そしてその後、カタカタと音を立てながらディスクが回転し始めた。その様子に、ますますボルテージの上がる優恵。
「わ、わ。かっこいいーー。フロッピー、便利ーー!」
優恵があまりにもパソコンを褒めるものだから、ついつい俺まで嬉しくなってしまう。
しばらくすると、簡素な画面が表示される。あとはキーを押せば文章が入力できるはずだ。
「え? これ、なんですか?」優恵の尾っぽの動きが、ピタッと止まる。
「これ? ワープロだよ。何か入力してみたら」俺はそう言うと、パソコンを優恵の前へ移動した。
「やるやるーーー!」途端に優恵の尻尾が高速移動を開始し、しまいには回転運動まで加わる。そして、異常なまでのテンション。耳まで大きくバサバサと動き始めた。そう言えば、優恵は学園の電算機室に入り浸るほど、パソコンが好きだったりする。
「えっと、『kannazuki yue』…。あれ??」優恵はキーを叩き終えると、首を傾げながら俺のメロンソーダを手に取り、一気に飲み干してしまった。あ、もう残りが無いのに…
「ど、どうした?」俺は優恵からコップを受け取ると、残り少ないメロンソーダを惨めな気持ちで舐める。って、これ関節キスじゃないかっ!! そんなことに今更気付き、年甲斐も無くしどろもどろになった俺だが、優恵はそんな俺に構いもせずに人差し指をビシっと向けると、こう言った。
「レポートを書きたいんです、日本語で!」
あ、そうか。優恵はレポートを書くために、パソコンを探していたんだった。そこでふと、俺はある事実を思い出す。
「あ、これ、英文しか扱えないや。日本語は無理にやれば表紙できるけど…。カタカナぐらいなら…」
「ううぅぅ。それじゃレポート書きには使えないと思います。他に何か無いですか?」涙ぐみながら、愛おしそうに机上のパソコンを撫でる優恵。
「うーん、仕事で使うやつでは漢字入力できるものがあるけど、これは貸せないしなあ」俺は床に設置された大きなワークステーションを見つめた。この前中古で手に入れたもので、コイツのおかげで雑誌やタウン誌に載せる記事を短時間で書けるようになった。少し前まで和文タイプライタを使っていたからな。あれに比べたら、作業効率が上がること上がること。
「ふえーん。学園の電算室に泊まり込みで書かなきゃ行けなくなるぅ」優恵がぐしぐしと泣き出したので、俺は頭をかきむしりながら、ある提案をひねり出した。
「よし、中古で買ってやる。ただしジャンク屋で買うから、少し外観が汚いぞ?」
「え、ええええ? か、買ってくれるですか!? 使えるのなら、外観が汚かろーが構いませぬよ! 綺麗に掃除して使います」優恵が尻尾で床をリズミカルに叩きながら、眼を輝かせた。
「よし、今から行くぞ」俺は上着を羽織ろうとしたが、外の蒸し暑さを考えてそれを椅子の上へ投げると、出かける準備をした。
*
俺と優恵は乗客のほとんどいない市電から降り、旧市街を歩き始めた。日が傾き始め、ほんの少しだけ涼しい風が身体をくすぐる。
目の前を路面電車が横切ったかと思うと、今度は同じ線路の上を小さな機関車が数両の貨車を曵いてやってくる。きっと、夕刊や日用雑貨でも運んでいるのだろう。優恵は物珍しそうに、その小さな貨物列車を見送った。
俺は空を見つめると、太陽が秋の色を滲ませ始めているのに気付いた。暑いと言っても、やはり秋はやって来ている。
俺が子供の頃、あの最終戦争直後は異常気象が続き、夏が十一月下旬まで続いていたと、聞いたことがある。確か母親から聞かされていたと思うが、その母親も直接その異常気象を経験したことは無い。すでに、その経験を有しているものは、この世にはほとんどいないだろう。いたとしても憶えているかどうかは怪しい。
その異常気象が収まった今でも、夏は十月上旬まで続く。あの戦争の残滓がここにもああるのだ。
「拓人さん、じゃんくやさんって、なに?」俺の隣を歩く優恵が訊ねてくる。彼女は俺の部屋に来たときは制服を着ていたのだが、出かけるにあたって私服に着替えて来ていた。紺色のミニスカートに白いニーソックス。それにパーカーを着ている。
「使われなくなった機械を仕入れて、それを売るお店だよ。普通の中古の他に、リース切れになった機械も扱っている。リース切れのものの場合、基本的にはタダだから格安で買えたりするんだ」俺は薄暗い路地を見つけると、優恵を引き連れて奥へと進んだ。この辺り一帯は電子部品屋の他に、軍の基地や工場から放出されたジャンクを扱っている店が数多くある。
「それに、たまにだけど大昔のスゴイ機材が売っているときがある」そう、ジャンク屋には極希にだが、今は失われてしまったような過去の素晴らしい技術を用いた機材が流れてくることがある。それらは主に軍事用コンピュータであり、今となっては使い道がないため、好事家たちが手に入れてはレストアして楽しむぐらいの役目しかないが。
「中古でも動くよね?」と、優恵。
「ああ、動くやつを買うよ。お、ここだ」俺はなじみのジャンク屋を見つけ、狭い店内へ入ろうとする。が、入り口で何かがモゾモゾと動いている。
「?」優恵がしゃがんでその物体を見つめると、それはくるっと向きを変えた。
「あ、いらっしゃーい」突然、それがキンキンした声で言う。見た目は鈍い銀色をした箱にしか見えない、が、短い足と異様に長い手、それに大きな眼のようなものがついている。ロボットだ。
「わ、わわわ! ろ、ろぼっとさんだよ?」眼を輝かせる優恵。
「結構、イイだろ? コイツ、大昔に売られていた家庭用ロボットなんだ」店の奥からひげを蓄えた中年男性が出て来る。この店の主人だ。
ロボットは身体をよじりながら俺たちを何度も見つめると、その位置を記憶したのか、俺たちを避けて床の掃除を始めた。
「ロボットが入ってくるなんて、珍しいね」と、俺が声をかけると、店の主人はニヤっと笑う。
「まあな、久しぶりに大昔のジャンクが大量に手に入ったんだ。骨董屋が引き取らなかったものを、俺が引き取った。で、今日は何だい?」
「あ、ああ。漢字入力が出来るパソコンを探しているんだ」俺はロボットに視線を奪われながらも、何とか声を出す。優恵にいたっては、ロボットが掃除をする様子を楽しそうに眺めていて、こちらにまったく意識を向けていない。
「そうか、ちょうど良いのがあるぞ」と店の主人は、店の奥から一抱えの真っ黒な箱を持って来た。
「産業用コンピュータらしいが、エディタなどのソフトもついている。それに、汎用フォーマットでディスクに出力できるぞ」
「それなら問題ない。で、いくら?」俺は財布を開け、中身を確認した。ちょうど前の仕事の依頼料が振り込まれたため、いつもは薄っぺらな財布も今日ばかりは少しだけ厚みを増している。店の主人は電卓を叩くと、俺に見せた。
高い。かなり高い。
確かに良い品物だが、少々高すぎる。買って買えないことはないが、これから次の入金がある月末まで、ご飯に塩をかけて過ごさなくてはならなくなる。
「高いな…。少しまからないかな」俺がそう言うと、主人は、やっぱりな、と言う表情をした。そして、がさごそと別の機材を持ってくる。両手で抱えられるぐらいの、くすんだ鉛色の球形の物体だった。明らかに通常の工業製品とは異なる威圧感を発している。高価な測定器や、軍事用機器が発するような独特な雰囲気があるのだ。
「実は、このパソコンにはコイツがついて来たんだ。だが、何に使うものか解らない。よかったら、コイツの中身を簡単にでいいから解析してくれないか。やってくれるのなら、このぐらいまで勉強するよ」主人が再び電卓を叩く。今度は安心して買える価格だ。
「わかったよ。でも、完全に解らないかもしれないよ」俺がそう言うと、主人はニっと無言で笑った。
俺は荷造りされたパソコンと、例の球形の物体をカートに乗せると、若干よろけながら優恵とともに帰路についた。