失楽園で眠る者
酒場「復楽園」にはさまざまな客人が来る。行商人、旅人、時には〈魔術王〉が来る。この店の主人ゼジムは寡黙な人で、誰でも等しく接し、淡々と仕事をこなしていた。
その日来た客人にも彼は淡々と相手した。その客人は遠く南方のヴァルティンから戻ってきた傭兵で、長旅をしてきたらしく、紫色の目には疲れがにじみ出ていて、外套もぼろぼろだった。
「ご注文は?」
客人はカウンターに斧槍を置き、主人に向き直った。
「じゃあ、ドレウを一つ」
店の主人はとげとげしいブドウのようなものが乗った皿を客人の前においた。傭兵は籠手を付けたまま器用にドレウの皮を剥くと、その赤い果実を口に入れた。
二人はしばらく何も話さなかった。やっとフィナークが口を開いた。
「何も訊かないのだな」
「客人の詮索はしない主義なんで」
フィナークは鼻で笑った。
「まあ、わたしとすればそのほうがいい」
ゼジムは主義を曲げるつもりはなかったが、フィナークの身に何が起こったのか気になった。ドレウを食べるときでさえ籠手を外そうとしない理由、傭兵であること以外話そうとしない理由――。
客はドレウを食べ終えると斧槍に手を伸ばし、ゼク銀貨を一枚置いた。
「地下室で眠る」
「おやすみなさい」
フィナークは地下室に通じる階段を下りていった。店の主人はもう一つの疑問を抱いていた。この店「復楽園」には一日に疲れた人々にとって楽園であるように、心に平安を取り戻してほしいという願いを込めて名付けた。あの客にとって、ここは楽園になっているのだろうか?
ゼジムはコップを洗いながら、その答えを探すかのようにフィナークと初めて出会った記憶を辿っていった。
フィナークが「復楽園」にやって来たのは、町を濡らす夜の雨の日のことだった。彼は相当酔っていたのか、崩れるように店に入ってきた。それは、心の在り所を失った放浪者のようでもあった。
「すまないが、水をくれ」
どうにかカウンターに着いた彼はそう言った。ゼジムはそっけなく、水を出した。
「困りますな。店内で静かにしていただけないと」
水を飲み干した彼はコップを置いた。
「大声で泣きたいくらいだ」
「泣くのなら、店外で泣いてください」
「聞いてくれないのか?」
「客人の詮索はしない主義なんで」
二人の間にしばらく沈黙が流れた。やがて彼は笑い出した。
「たしか、この店の名前は『復楽園』と言ったな? どうしてこんな時代にそんな名前を?」
「こんな時代だからこそです。お客さまが現実の苦しみを癒す楽園であって欲しいという願いから付けました」
「なるほど……救われたよ。次にどうすればいいか、考えがまとまった。地下室はあるのか?」
ゼジムがうなずくと、客人はクウド金貨十枚を出した。店の主人もさすがにそんな大金を見たのは初めてだった。
「毎月クウド金貨十枚で地下室を貸してくれないか?」
フィナークは地下室の赤い扉の前に来ていた。扉には「失楽園」と書かれていた。ここは、心の平安を失ったものが来る場所。復讐を誓った者が、異形の傭兵にその者の死を託す場所。
彼は扉を開け、斧槍を壁にかけると、赤いソファの上に横になった。多くの復讐を果たし、未だに復讐を終えぬ死神にとって、地上の楽園は場違いであった。
彼はテトゥアの帽子をずらし、光を遮った。意識が遠のいていく。彼はこうして眠りにつく。次の依頼者が来るまで。
(終)




