〈死神使いのフィナーク〉
酒場「復楽園」にはさまざまな客人が来る。行商人、旅人、時には〈魔術王〉が来る。この店の主人ゼジムは寡黙な人で、誰でも等しく接し、淡々と仕事をこなしていた。
その日来た客人にも彼は淡々と相手した。その客人は遠く南方のヴァルティンの娘で、長旅をしてきたらしく、赤茶色の目には疲れがにじみ出ていて、外套もぼろぼろだった。
「ご注文は?」
「……地下室に通してください」
ゼジムは心の中で納得していた。彼女はこの闇の時代に生まれた商人に会いたがっているのだ。
この時代、魔界から魔人を召喚する黒魔術が横行していた。世界最初の〈魔術師〉マラクが遺した魔道書がさまざまな人々に研究され、〈魔術師〉たちを生んだ。〈魔術師〉たちは自ら〈魔術王〉を名乗り、魔術帝国を築き、領土を奪い合った。
人間の血には少量だが、魔力が含まれている。〈魔術王〉は血の魔力を軍事利用し、戦争を始めた。魔術戦争は多大な犠牲を払い、〈魔術王〉の欲望を満たした。しかも戦場が血で染まれば染まるほど、激しさを増していくのだ。
「かしこまりました」
ゼジムは地下室に繋がる扉を開けた。
客人が石造りの階段を下りると、赤い扉が現れた。彼女が扉を開けると、質素な地下室が天井に吊るされたランプの光でぼんやりと浮かび上がった。元々は酒の貯蔵庫だったらしいその部屋には未だに強い酒の匂いが残っており、客人の鼻に迫った。部屋の隅には赤い上質なソファが置かれており、その後ろの壁には一本の斧槍が飾られていた。
ソファの上で一人の男が横になって眠っていた。黒いマントを毛布代わりに、茶色のつばの広い帽子で目を覆って眠っているようすは、とても心地がよさそうだった。
「あなたが〈死神使い〉?」
マントの中から銀色の籠手が伸び、帽子をずらした。人間のものとしては異質な紫色の目が客人を見ていた。
「もう朝か。それにしては暗いようだが?」
客人は呆れて肩をすくめた。
「地下室で明るいも暗いもないでしょう。仕事を頼みたいの」
〈死神使い〉はむっくりとソファから起き上がった。彼は黒い長髪をかき、紫色の目を客人に向けた。その目には世間に疲れた憂いの色が浮かんでいた。
「あなたは誰?」
客人は名乗っていなかったことに気づき、赤面した。
「わたしはイミリア。南方のヴァルティンから来ました。あなたは、〈死神使いのフィナーク〉ですよね?」
「ああ、わたしが〈死神使いのフィナーク〉だ」
「だとしたら、ある〈魔術王〉を殺してほしいんです」
フィナークは身体を動かし、足を下ろしてソファに座りなおした。
「簡単に言ってくれるね。帝国一つを滅ぼせと?」
「あなたはそれをやってのけているんでしょ? サウハード、オーヴ、イニンティ、ジャバルノ……」
「歴史の講義は受けたくないね。なくなった国に興味はないし。それで? 今度はその名前にどこを加える?」
イミリアは目の前の男に恐怖を抱いた。あまりに冷酷で、国を滅ぼすことに慈悲がない。
「〈獅子王〉スレイヴンと呼ばれている。捕虜や罪人を塔に閉じ込めて責め苦を与えている男よ」
「ふうん……その〈魔術王〉を殺してほしいのか?」
イミリアの必死の訴えが、フィナークに通じなくてうろたえた。この男に任せるべきなのだろうか? 〈死神使い〉はあまりにも無感情だった。非情と言ってもいい。残虐な〈魔術王〉の話をすれば大抵人は怒りや悲しみに震えるか、怯えるかするものだ。殺し屋をしているから怒りや悲しみを感じなくなっているのかもしれないが、この男は恐怖すら感じていないようだった。でも、スレイヴンを殺す男とすれば、これほど無情な男のほうがいい。
「そ、そうだけど……」
「スレイヴンのことは噂で聞いたが、成り上がりの小物のようではないか。わたしを見くびっているのか?」
依頼人は怒りに震えた。
「何よ! 本当は怖いんじゃないの?」
フィナークは冷笑した。
「わたしが手をかけずとも、それくらいの〈魔術王〉は勝手に滅びるさ。今はそういう時代だろ?」
イミリアはかっとなって殺し屋を叩いた。
「あなたも〈魔術王〉と同じね! 国が滅びたら、その国の人の命は? 自由はどうなるの?」
フィナークは妙な顔つきになった。まるで懐かしい知人に会って、自分の目を疑っているかのようだった。彼は目をそらし、ため息をついた。
「その〈魔術王〉は塔の中で何をしているんだ?」
「塔の中で奴がそこから魔力を得ているのは間違いないの。『魔力が足りない』という理由で濡れ衣を着せて塔に閉じ込めるくらいだから……」
〈死神使い〉は客人の目をしばらく見つめた。紫色の目と、素っ気ない部屋が生み出す沈黙に、イミリアは緊張しながらも、紫色の目から逸らさなかった。
「それは確かか?」
「……ここで嘘をついてどうするの?」
「たしかにそうだな」
彼は客人に背を向け、斧槍を手に取った。
「それで報酬は?」
イミリアは外套の下から蒼白い宝石を差し出した。
「ヴァルティン産のオルイラン石です。質屋に出せばクウド金貨五十枚くらいはするでしょう」
クウド金貨は魔術帝国間で流通している貨幣であり、クウド金貨一枚だけでも大金だった。フィナークは娘の持つ蒼白いオルイラン石をしばらく見ていた。偽物ではないか、盗んだものではないか疑っているのがイミリアにも分かった。だが、彼は何も言わなかった。
「その仕事を引き受けよう。ただし、わたしは報酬を後払いで受け取る。仕事の成功は常に保証出来るものではないし、わたしにとって仕事の失敗は死を意味する。死人に金は必要なかろう? 今はそれをしまってくれ」
イミリアはオルイラン石をしまった。殺し屋はマントの下から紙を出した。黒いインクで並べられた文字の羅列は、誓約書だった。彼女はペンも渡され、そこに自分の名前も並べた。書き終えるとそれを契約相手に渡した。
「さて、交渉成立だ。では、すぐに取りかからせてもらおう」
「え? もう行くの?」
〈死神使い〉はぞっとするような笑みを浮かべた。
「死神が獲物の魂を決めたら、すぐに奪いに行くものだ。足音を気づかれぬようにな」




