第十三話
「今回は陰に所属していないやつどころか陽の人間もいるんです。そこまでされるのは困ります」
「かしこまりました」
「それで、陰からどこまで聞いてますか?」
「重要なお客様ですので手厚くもてなせと言われております」
「なるほど。つまりは見張りもこなせとそういうことですかね?」
「いえそのようなことはございません。私どもは誠心誠意お仕えするだけでございます」
西条と女将の間にかすかな緊張が走る。二人が行っているのは単なる確認ではない。
「へぇ、そうやって引き込めと陰のどなたに言われたのですかね。支部長ではないでしょうから、幹部連中の誰かですかね?」
「いえ、そのような他意はございません。あくまで私どもは私どもの業務を行うのみです」
「その業務内容が問題なんですがね」
陰という組織に属する以上、ある種の派閥は存在する。これは女将がどの派閥に何を言われたかを引き出すための作業である。
「私どもの業務はこの旅館を運営することのみです」
「建前上はそうでしたね。ですが今更そんな建前が通じるわけないでしょう?あなたが言った通り俺も陰の幹部。知ってますよ、あなたが外部の人間の懐柔も担当してることくらい」
西条がここまで何を命令されたかに固執する理由がこれである。この旅館が高級旅館であるのも外部の人間を接待するための甘い罠。
「ねえ、いい加減に正直に話しましょうよ。陰が口出ししないわけないでしょう?あなたも知っているでしょう。一般人がここに来るのは陰の役に立つ力を持っている場合しかないことぐらい」
「確かに存じております」
「おそらく今回はいつも以上に強く言われているでしょう?必ず陰に引き入れろと。それほど重要な人間であるわけですよ。ですので余計なことをして失敗したらどうなるかわかりますよね?」
「それでも私どもの仕事ですから」
「やらない時のほうが怖いと」
「……」
西条の言葉に女将は沈黙で応える。だが否定をしないということがそのまま西条の言葉を肯定することを示している。
「前回ここを使ってから増やした従業員はみんな何をすべきか知ってるんですかね?」
「いえ、知らないほうが楽しめるというお客様もいらっしゃいますから」
下種が。そう吐き捨てたくなるがこらえる。ここで女将に対してそういってところでどうにもならない。西条はそうわかっているからこそ表面上はあくまで冷静を保つ。
「でしたら何も知らない人を世話役に回してくださいね。彼らはまだ一般人ですので」
「ですが」
「たとえ人事や財務に何か言われているとしてもこの件では俺の方に決定権があります」
女将の言葉を遮り釘をさす。西条があげた人事と財務は女将に命令した可能性が最も高い二人である。人事は素質のある存在を陰に引っ張る仕事を持ち、財部は陰の利益になること全般に関わることになっている。こういうことに首を突っ込むのは当然ともいえる。
「それは」
「どうしてもというならば俺から二人に言いましょうか?それならあなた方も責められることはないでしょう」
「お願いできますか」
西条の言葉を聞くと女将はおもむろに携帯電話を差し出す。西条はそれを一度見てから女将に視線を戻す。
「やけに物わかりがいいですね?考えるそぶりもありませんでした。もしかして最初からこれを狙っていましたか?」
「いえ、そのようなことは」
淡々と答える女将の顔を西条はしばらく見つめる。しかし女将は顔色一つ変えずに無表情で西条を見つめ返す。
(やっぱりこの女が考えることはわからない。当然と言えば当然か。人員の入れ替わりが激しいこの場所で何年も女将として生き残った女だ。一筋縄じゃいかなよな)
結局西条はそれ以上の追求をあきらめて携帯電話を受け取る。
「通話履歴にある番号におかけください。人事様にかかりますので」
「人事のほうですか」
そう口に出してから、西条は通話履歴から人事の番号を押す。
プ、ガチャ。
「もっしもーし、女将さん?どうかした?」
コール音が鳴ったかならなかったかもわからない程の速さで軽薄そうな声が携帯から流れ出る。
「もしかして、デートのお誘いかな?いやーもてる男はつらいなぁ」
何も電話する相手を間違えたわけじゃない。幹部というある種の重役にもかかわらずこのいかにもノリの軽そうな声の主が人事なのだ。だがこんな口調であろうとも西条にとっては全く安心できない。
「すいません、残念ながら女将ではなく西条です」
「おやおや?西条君?どうして女将さんの携帯から西条君?」
「なんでかわからないわけないですよね?」
「わかんないよ?どうしてかけてきたのっかな~」
「人事さん。あなたの業務上、この件に関わりたいのはわかりますがこれは俺が任された仕事です。俺に任せてもらえませんか?」
「この件ってどれの事かな?俺にはわかんないな」
はぐらかされていると感じながらも西条は冷静に指摘していく。それはこの男がどういう存在か知っているからだ。
(こいつのペースに飲まれたら無理を押し通される)
「本郷の担当は俺です。あなた女将にいろいろと指示を出しましたね?」
「そのことね。でもさ、西条君。こういうのはやっぱ俺のほうが得意だと思うんだ?だから少し手伝わせてよ。大丈夫大丈夫。あくまで君を善意で手伝ってることにするから」
「でもいつの間にかあなたの手柄になってるんでしょう?」
「や、やだな~。俺はそんなことしないよ。ほらほらトラストミー」
「人事さん。俺が何年間この任務に従事しているか知っているでしょう?ここは引いてくれませんかね?」
「いやいや、だからこそだよ。君も不安でしょ?大丈夫、俺のほうが先輩なんだからフォローしてあげるって」
「ここの従業員を使って引き込もうとするのは愚策だと思いますけどね」
「え、そんなことないでしょ?そこには美男子から美少女までそろってるよ?ああ、もしかして陰の内情とかばれるのがやばいって危惧してるのかな?大丈夫、ばらすようなへまをする子はいないよ?ちゃんと指導してあるから」
「指導ですか」
「そうそう、俺は面倒見がいい先輩だからね。しっかり教育してあげたんだ。もうそんな失敗する子はいないはずだよ」
「教育を」
そう呟いて女将の様子を観察する。女将は相変わらず無表情ではあるものの……。
(震えてる。そういう教育か)
「あ、でも西条君が知ったってことはだれか俺からの指示だって漏らしちゃったか。確かにそれじゃ不安だよね?じゃあ時間作ってそっちに行くね。やっぱり人事も大事だけどこういう教育も大事だからね。それに俺がいればフォローもしやすいね」
(まずい。ここに来る口実ができる)
西条が人事という男を相手にしたくない理由がこれだ。人事は一見、どんな幹部よりも人当たりが良く、優しく見える。しかし実際は違う。人事という仕事上そう見せかけてるだけで平気で冷酷な真似ができる男である。そして自分のペースに巻き込んで己の思い通りに場をコントロールする。そんな男だ。
「いえ、必要ありません。本郷はこういうことには鋭い。おそらく従業員の方が秘密を守ろうと感づいてしまいます。それに人事さんも忙しいでしょう?俺がこの仕事を行っているようにあなたにもかなり大きい仕事が任されていたはずですが?」
「まあ、確かに適合する人間を探せって命令が来てるね。君のほうにも中位を調達しろって来てるでしょ?」
「ええ、ですからここは俺に任せてください。適合する人間を探すのは非常に難しいのですから。たとえ人事さんでも時間がかかるでしょう?」
「ま、多少はね。うん、やっぱ西条君のことを信用するのも大事だしね」
「ということは?」
「わかったよ。君に任せるよ。でも困ったらいつでも頼っていいからね?待ってるよ」
「はい、その時はよろしくお願いします」
(そんなときが来ることはありえないけどな)
電話を切る。思わず脱力しそうになる体に鞭を打って女将のほうを向く。
「女将さん、そういうわけですので今回は俺の指示に従ってもらいます。いいですね?」
「かしこまりました」
「ひとまず世話役は何も知らない人を」
「はい、手配しておきます」
「後は、前回の参加者はできる限り孝たちに接触させないでください。それ以外は特にありません。夜までは普通に営業してください。夜はどうするべきか知ってますよね?」
「はい、妖に備えて結界装置を起動しておきます」
「では、そういうことですので。これからよろしくお願いします」
「はい。それと」
もう話は終わりと西条がお辞儀をして踵を返そうとしたとき女将が声をかける
「なんでしょうか?」
「ありがとうございました」
その予想もしていなかった言葉を聞いて西条は驚きつつもあくまで落ち着いて女将に背を向けて返事をする。
「いえ、俺の都合もありましたから。だから気にしないでください」
(本当に俺のためにやったのだから)