第十二話
前には草原が広がっている。遠くには山がある。右を見る。やっぱり草原が広がって、遠くに山が連なっているのが見える。左を見る。右と全く同様である。草原と山しか見えない。そして後ろを振り返る。ちっぽけな旅館風の建物だけがある。田舎とかではない。そもそもだれも住んでいないような秘境。
「ここが陰が持ってる土地の一つ。ここにいるのはそこにある旅館の従業員十数名のみ。彼らも戦闘能力はないとは言え陰の一員。巻き込むことを気に病むことはない。食事に関しても心配する必要はない。結構うまいもの作ってくれるし、舌に合わないなら旅館内にコンビニがあるからカップめんでも食えばいい。さらに温泉もあってな。普通にここに泊まろうと思ったら数万円は必要になるんじゃないか?そもそも一般人は泊まれないんだけどな」
西条はそう言い、いったん孝たちを見回す。火鳥を除き、唖然とした顔をしているのを見て満足そうに話を続ける。
「じゃあ、さっさと部屋に行って荷物を置いてこい」
「あ、ああ。しかしこんな場所に来ることになるなんてな。信じられないぜ」
驚きの感情を込めた孝の声を聴き、西条は笑う。
「言っただろ?疎開するってな」
そう言いながらここに向かう前の会話を思い出す。
「疎開しようか」
「疎開?それってあの疎開だよな?どこに行くんだよ?」
「一般人がいない、周りを山に囲まれてる場所だ」
「……そんな場所、近くにないよな?」
「大丈夫さ。こっから電車を乗り継いでいけば1時間程度で着く」
「え、おい」
「じゃあ俺は服とかの用意にいったん戻るからお前らもさっさと用意して来いよ。ああ、2週間分くらいでいいし日用品はむこうにもあるから」
「そんないきなり」
「こうしなければ何の関係もない人間に被害が出るぞ?」
「……わかった。用意して駅に行けばいいんだな?」
「ああ、わかってるとは思うが全員で来いよ?人質とか取られることもあるからな」
そう言い放ってから西条は自宅に戻り、もろもろの準備を整えて駅に行き、そこで集合して電車に乗り今に至る。
(しかし意外だったな)
孝、愛、泉希、火鳥、最後にキアラが部屋に向かうのを見て西条はキアラを呼び止めて口を開く。
「高崎、お前は何も口を挟まなかったがよかったのか?てっきり反対されるとばかり思ってたんだが」
西条が疑問に思ったのはキアラが何も言わなかったことだ。何せ西条が用意できる疎開先ということは間違いなく陰の私有地である。キアラからすれば敵地のど真ん中に行くようなものだ。当然何か言うと思っていたのだが。
「そりゃ、私もできれば反対したかったけどね。だからって私、というか陽に用意できる場所は遠すぎるし。あなたの言うとおりあそこにいたままじゃ多くの人が巻き込まれていたし。仕方なくよ。それに」
「それに?」
口ごもったキアラに対し先を促す。
「あなたは少なくとも孝の味方でしょ?」
(ああ、訊くんじゃなかった)
「だから、孝に関しては少しは認めなくも、ないわ」
キアラが何か言っているが西条はそれすら耳に入っていなかった。何度も言うが西条は孝に負い目がある。利用している自覚もある。そしてそのうえで孝の味方であると何のためらいもなく言えるほど面の皮が厚いわけじゃない。自分で言う分にはまだ心の準備ができる。しかし何の準備もないときに言われるとどうしても後ろめたさが勝ってしまう。
「別に信頼してるわけじゃないから、勘違いしないでね」
「ああ、わかってるさ」
「西条、あなた大丈夫?」
西条の気の抜けたような返事にキアラが思わず気遣うように尋ねる。いつもの西条であれば、
「そういうツンデレは孝にやれよ」
という感じで茶化すのだが全く茶化す気配もなく疲れたような声を出したのだ。体調でも悪いのかとキアラは訝しむ。
「大丈夫さ」
「本当に?」
「ああ。これから孝をめぐる女たちの争いを目の当たりにするのを想像して疲れただけだから」
(何とかごまかせたか?孝に対して負い目があると気づかれるのはまずい)
「西条、あなたねぇ!」
「はははっ。気をつけろよ、高崎。お前はほかの二人に比べて孝と過ごした時間が短い。不利だぞ」
ごまかせたみたいだなと西条は考え、からかいの言葉を口にして立ち去る。そう、西条にとってはこの言葉は他愛もない冗談にすぎなかった。しかしキアラにとってはそうじゃないようで。
「……わかってるわ、そんなことくらい」
ぽつりとつぶやかれたその言葉を西条は聞くことはできなかった。あるいは聴く気がなかったというべきか。
(後、数時間で夜が来る。妖どもの時間がやってくる)
別に妖と闘うのが初めてというわけじゃないし、護衛対象がいる状況での戦いも何度か経験している。しかし、しかしだ。
(これから始まるのは特別な戦いだ。俺の目的のためにたった一つのミスも許されない)
西条には絶対にかなえなければならない目的がある。そのためにはどうしても孝が必要なのだ。だから今までの妖殺しとはわけが違う。ただ妖を倒す、ただ孝を守る。それだけでは意味がない。
(すまない、孝。だけどおれにはこれしかないんだ。これしか、見つけられないんだ)
「麒麟そこにいたのか。ちょっと質問があるんだが」
「ん、なんだ?」
考え事をしていたことを悟られないように孝の声に冷静を装って応える。
「部屋は1人1つでいいのか?」
「……そりゃそうだろ。むしろほかにどういう分け方をするんだよ。俺とお前が一緒の部屋か?それともお前、誰かと一緒の部屋がいいのか?一応相手も賛成するならそれでもいいぞ?誰と一緒がいいんだ?」
「いやいやいや。冗談はよせよ。冗談だよな?」
「一つ言っておこう。火鳥や愛ちゃんと一つ屋根の下で生活してたのに今更だぞ?」
「……この話はやめよう」
「まあそれはともかく、聞いてなかったのか?一般人はここには来ないから、部屋を余らせるほうがもったいないだろ?」
「そりゃそうかもしれないけど、ここまで立派な部屋だと少しな。明らかに高級旅館じゃないか」
「だから言ったろ。普通なら数万はかかるって」
純和風の室内。高そうなツボと掛け軸。広めのゆったりした空間。妖対策に窓こそ開かないものの計算しつくされた配置。木造建築ならではの色合い。確かに高級旅館といえる。もっとも西条も孝も高級旅館に行ったことはないので完全に想像でものを言っているが。
「俺らはまだ高校生なのにこんなにいい部屋で本当にいいのか?従業員の人もみんな丁寧だし、サービスもいいし。場違いじゃないか?」
「いいんだよ。確かにここは陰の幹部級も使う場所ではあるけど、今はいないし。それに幹部連中をもてなすよりお前らをもてなすほうが従業員たちもうれしいだろうさ」
「そうか?なんでこんな子供にとか思うんじゃないか?」
「いや、間違いなく俺らのほうが好まれるさ」
(玩具のように扱われたり、気分次第で奴隷のように扱われたり。それがないからな)
西条の脳裏に前回ここに来た時の記憶が浮かぶ。幹部は基本的に上位クラスの妖に対抗しうる力をもつ戦闘者か組織の管理を行う者のどちらか。言い換えれば化け物とそれを顎で使う人間だ。そいつらの多くにとってはここの従業員など眼中にないか奴隷扱いかのどちらかだ。だからあの時、従業員の半数がここで働くことができなくなったのはある意味必然だった。死人は出ていないということになってはいるもののそれが事実かどうかすら怪しい。
「そうかねぇ。で、これからどうするんだ?」
「夕食までは自由にしてていいぞ。あと大体4時間くらいか?その間1人でのんびり過ごすでもいいし、愛ちゃんと家族水入らずで話し合ってもいい。妖のことが不安なら高崎か火鳥に話を聞いてもいいな。あるいは同じく不安だろう如月と一緒にいるのもいいかもしれないぞ。あいつが本当に不安がっているかは知らんが。妙なとこで勇気あるからなあいつ。今日も高崎と火鳥を止めていたし」
「訓練はなしか?」
「さすがに今日は駄目だ。今朝初めて術を使ったんだ。想像以上に疲れがたまってるはずだぞ」
(孝のやる気はありがたいがかといって体を壊されるのもまずいしな)
「仕方ない、大人しくしとくよ。ちなみに麒麟はどうするんだ?」
「俺か?俺はここに到着したことを陰に連絡するとかの用事を済ませる」
「了解。じゃあ夕食前にまた会おうぜ」
「ああ、部屋に行くよ」
そういって西条は孝に背を向け、歩く。
「っ」
途中従業員に出会うが、小さく息をのむような音とともにお辞儀をされる。
「はぁ」
一見するときれいなお辞儀であるがよく見ると体が震えている。だが西条はため息をつくだけで特に何も言わず通り過ぎる。
(そりゃ怖いだろうさ。前回俺は何もしなかったとはいえ、それでも怖いだろうさ。だって)
「お待ちしておりました、西条様」
今度は正座で頭を下げられる。
「女将さん。そこまでしなくていいです。今回は幹部連中はいないんですから」
「そういうわけにはいきません。私どもは精一杯のおもてなしをすることが仕事ですので。それに」
「西条様も幹部のお一人ですので」
(俺も幹部の一人なんだから)